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科学的認識の進展による

二元論の復活


理解

理解は「理解すること」であり、また「理解したこと」です。
「理解すること」は認識であり、「理解したこと」は認識の表現です。

理解は解釈されます
理解は分かることであり、解釈は納得することです。
解釈は理解に基づき、理解できない対象、未知の対象を含む認識です。
物理科学者であっても量子力学を理解していない*と言われます。

理解は対象の認識です。
理解は対象の区別と関係を明らかにします。
区別は対象間の同一性と差異性を明らかにします。
同一性があって対象になり、差異性があって区別されます。
存在そのものが同一性にあって相互作用し、差異性を現します。
理解は存在が相互作用して互いに区別を現す秩序を明らかにします。
理解は区別され、表現されている差異を知ることに止まりません。
区別された存在対象を捉えることは知覚であって、理解ではありません。
理解の対象は存在が相互作用して互いの区別を現す秩序です。
理解は対象が何によって他と区別されるか、どのように区別されるかを明らかにします。
また、理解は対象がどのように実現しているか、成り立っているかを明らかにします。

理解は検証できます。
理解の対象秩序は区別と関係で表現され、同じ区別と関係が時と場所、扱う人が違っても再現されることで検証できます。
時と場所が異なって環境条件の違いが同じに現れなくても、繰り返すことで統計的に同一性、あるいは差異性を検証できます。
理解が不十分であったり、誤っていれば検証によって明らかになります。
理解は検証できても、解釈は検証できません。
解釈の誤りを見いだし、正すには理解を深め、理解を普遍化します。

理解は法則と理論によって表現されます。
理解は対象の区別と関係ですから表現は論理です。
区別と関係の秩序を表現する論理が法則です。
論理は対象の議論領域内で要素と集合の関係で区別と関係を表現します。
対象の実現を、対象の他との関係を法則によって論理的に説明するのが理論です。

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暫定版:2023.08.28