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科学的認識の進展による

二元論の復活


二元

この「元」は存在の有り様、秩序の有り様です。
存在の有り様、秩序の有り様が一つしかないとするのが一元論です。
今日は物質一元論が一般的解釈で、二元論は観念的解釈として否定されます。
これまで、二元論は「心身(心脳)二元論」や物質とは別に霊魂、あるいは精神の存在を主張してきました。
ここでの二元論は「心」、「霊魂」、「精神」等が物質とは別の存在であると主張するのではありません。

今日、物質の有り様の解釈が行き詰まっています。
物質の波動性と粒子性、量子もつれ、不確定性原理による物質存在の有り様の解釈が定まりません。
また、脳神経、認知の研究が進み意識の存在が問われています。
意識は脳神経信号処理の表現であることが分かってきていますが、どのように意識表現が実現しているのかは不明です。
コンピュータ、ロボット技術として人工知能の実現が迫っていますが、人工知能に意識が宿るかの解釈は定まっていません。 物質一元論では意識を解釈できないと、明らかになりつつあると主張します。
物質そのものが場の相互作用によって互いの存在を区別し、関係を表現しています。
相互作用が互いを区別する存在を実現し、互いの区別の関係を表現しています。
互いを実現して区別する存在が実態であり、区別の関係の存在が表現です。

実態と表現の二元が存在します。
これまでの常識では存在が表現されるのであって、表現は存在ではありませんでした。
しかし、表現は媒介されて存在し、保存されます。
物質存在が変化し、運動し、変転しても、それを超えて、媒介されて表現は存在します。
ですから、過去の存在を認識することができます。すでに物質としては存在しない表現の存在を認識できます。

人は表現の存在を対象に認識します。
実態としての物質を感じ取ることはできません。
「物自体は認識できない」とも表現されてきました。
脳の神経信号処理で表現される対象を認識します。

情報は表現の有り様、存在です。
情報が存在であるから、信号を処理し、機械設備を制御することができます。

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_nigen
2023.09.29