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科学的認識の進展による

二元論の復活


主観

主観は意識が意識する意識です。
ですから、意識は主観であり、主観は意識です。

意識は主観として対象の表現を受容し、対象表現を受容しての再表現です。
表現と受容の双対する区別の再帰表現が意識です。
主観は表現と受容の再帰する表現があって区別される意識です。

意識する意識が主観です。
主観は受容した表現の再表現ですから、自他の区別のない唯一単独の存在です。
主観は意識の唯一、絶対の存在であり、意識として自らを表現、説明できません。
主観は自らの表現を対象をとすることで、その対象表現によって自らを表現します。
意識は対象表現を受容し、受容した表現を再表現する主観として自らを表現し、説明します。
対象を意識する意識を対象にすることで、意識は自らを主観として表現します。

意識は主観として客観を意識します。
意識は自らを主観として意識することで、主観の対象を客観として意識します。
人の成長も紛れのない意識が、対象を意識する自らを意識するようになって、自らでない対象世界を意識するようになります。
客観は主観のうちに表現される意識の対象です。
客観は意識が主観を反省することで主観のうちに表現する対象です。
客観は主観と区別される対象ではなく、主観の否定ではありません。

意識が意識できるのは主観世界だけです。
主観世界の内に対象世界としての客観世界を意識します。
意識は対象としての客観世界を意識することで、自らの主観性を意識します。
主観は意識が客観世界に対する自らの意識です。
ですから意識は主観でしかありません。
意識は主観である自らを反省し、客観世界の内に自らを投影し、客観世界の内に自らを位置づけて自らを客観化します。
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_syukan.
2023,09.27