第一章 「カンマを伴う分詞句」をめぐる一般的形勢、及び基礎的作業

第4節 「特定」の諸相


〔注1−29〕

   こうした断片的語句から成る発話は、小説でもひもとけば随所に見出せるはずだ。村田勇三郎「現代英語の諸相」(『英語学体系 第3巻 文法論T』所収)は、「永年つれそったある夫婦が日没を眺めながら昔を思い出し語り合っている対話」をGunter, Elliptical sentences in American English,1963, p.143から引用して紹介している。

Husband: Gloucester Harbor!
Wife: Fish that night.
Husband: What a stench it made!
Wife: Well, I always burn everything.
(夫:グロスター港。
  妻:あの晩の魚……
  夫:すごいにおいだったな。
  妻:いつもなんでもこがしてしまうわ。)(p.561)
   発話の流れの一部である発話"Fish that night."〈あの晩の魚〉の中の"fish"が名詞であるという了解の支えとなるとともに、そこに何らかの在り方の「特定」を実現する働きをしているのは、発話の流れそのものである。つまり、受け手は発話の流れの中に"fish"の指示内容の「特定」を実現する働きをする情報を見出すのである。"Fish"の指示内容についてここで実現されているはずの「特定」がある程度受け手に伝わるようにしているのは、"Fish that night."という言語表現によって示される情報というよりむしろ、この発話をその一部とする発話の流れという言語表現によって示される情報、言語的脈絡を形成する発話の流れの中で示される情報である。しかしながら、これではまだ「特定」が十分ではないと、この「魚」は「魚という集合」ではなく、何かいわれのある魚、あるいは、特定の種類の魚である、つまり「何か特別な魚」であるはずだが、ここではそれが十分に伝わって来ないと受け手が感じるとすれば、そのような在り方の「特定」がそこでは既に実現されていることを受け手に伝えるのに必要な情報が発話の流れの中に言語表現という形で示されてもおらず、言語表現に代わる働きをする「発話に関わる非言語的脈絡」がこの発話の受け手(読者)には共有されていないためである。発話の流れ全体について、「この対話が第三者にとって了解が充分にいかない」(ibid)としたら、同じ理由によってである。

(〔注1−29〕 了)

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© Nojima Akira