『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第一章 「カンマを伴う分詞句」をめぐる一般的形勢、及び基礎的作業

第4節 「特定」の諸相


〔注1−36〕

   以下の"The tailor"に「発話内照応性」という在り方の「特定」を実現しているのは、発話の流れである。

"In a certain town there once lived a tailor who had a young daughter."〈ある町にかつて、若い娘の一人いる仕立屋が住んでいた。〉さらに続ける場合、その同じ男について定冠詞形を用い、次のように言う。"The tailor was known in that town under the name of etc."〈(その)仕立屋はその町では…という名で知られていた。〉
(Jespersen, The Philosophy of Grammar, pp.113--114)(下線は引用者)
   「a+名詞」や「the+名詞」の場合に体験し得るのと類似の事態を、例えば「時制」の場合にも体験し得る。
過去時制は、このように、過去時の特定化の信号である。それは、theが特定の事物に言及していることを意味する信号であるのと同様である。しかし過去時の中の時点または期間は、文脈中の何か(たとえば副詞)によって示されるのがふつうである…。 (『クロース 現代英語文法』164)(下線は引用者)
   現在形についても、その「相[aspect]」は動詞それ自体の働きで受け手に伝わるわけではない。
Fish swim in water.(魚は水の中を泳ぐ)では、泳ぎという一般的な活動に言及するが、We swim in the river every morning.(われわれは毎朝川で泳ぐ)では、泳ぎの特定の行動に言及する。(『クロース 現代英語文法』46-13)
   こうして「相[aspect]」を受け手に伝える働きをするのは、文全体、ときには発話の流れである。

   受動態の表す内容が受け手に伝わる場合にも類似の事態が生じる。

普通の受動態は、全体としての、つまり、事実としての動作・行為を表す。従って、それには終結を示す[terminate]力がある。それは、全体としての、つまり、事実としての動作・行為を表すのが常であるが、二つの全く異なる意味を有している。それは単一の出来事を示したり、通例としてのいつもの出来事を示したりし、文脈だけがその二つの意味のいずれがそこに示されているのかを決定する。単一の[single]出来事:'The attitude of the community is well described in today’s issue of our local paper.'〈地域社会の考え方が今日の地元新聞の紙面にはよく説明されている。〉'Our house was painted last month.'〈我々の家は先月塗装された。〉通例としての出来事:’Our house is painted every two years.’〈我々の家は二年に一度塗装される。〉'The end of the struggle is nearly always that the public is conceded everything.'〈闘争の目標は殆ど常に、大衆がすべてを与えられるということである。〉(CURME, Parts of Speech, 49-1)(下線は引用者)

(〔注1−36〕 了)

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