2004/7/18

 
  子供達と歩んだ道(ホームDr編)  
 
 夜中に揺り起こされました

奥 「秀人の様子が おかしいねん」

オ 「どないしたん」

奥 「えらい熱が出てんねん」


 ゲボーの音と共に 秀人の顔中吐いたミルクだらけ なんぼ愛児のゲロかて

臭いもんは臭い 奥様それ見て脱兎のごとくトイレへ

奥 「どないしょう 秀人死ぬんやろか」

オ 「人間そんな簡単には死なへん 何時頃から熱出てたん ?」

奥 「夕方ちょっと顔赤い思うて おでこに手当てたけど普通やった」

オ 「3ヵ月程経ってるから これが知恵熱ちゃうかー」

 肌着も着せ替え 奥様授乳中にまたゲボです

奥 「お乳やったら あかんねんやろか あーウンコもしてる
   ウンコびちゃびちゃやん」

オ 「乳やめて 水やり」

奥 「やったら又だすやんか それより先生所へ電話して」

 昭和49年は、公団住宅1DK住まいでしたので各戸には電話はなく

1棟に1台の公衆電話でした。

オ 「こんな夜中に電話するん失礼やんか 朝までモウチョット様子みとこ」

奥 「そんなこと言うて手遅れになったらどないするん」

オ 「昨日の夕方から 10時間程やんか手遅れなんかナイ」

 本当はオイチャンも(当時27歳)不安でしたが 両方不安ではパニックです

体温計では39。Cでした 男はここでガンバラないと

オ 「吐いてもエエから 水分の補給と 頭を冷やそう39.C超えると 
   冷やした方がエエ言うてはったで」

奥様は秀人の傍で泣いてるはるし

水まくら、フトン、湯冷ましなんぞの用意でテンテコマイでした。

 

    “子を持って 初めて知る 親の恩”

     昔の人の川柳ですが ナットク!

2へ 続く