夜中に揺り起こされました
奥 「秀人の様子が おかしいねん」
オ 「どないしたん」
奥 「えらい熱が出てんねん」
ゲボーの音と共に 秀人の顔中吐いたミルクだらけ なんぼ愛児のゲロかて
臭いもんは臭い 奥様それ見て脱兎のごとくトイレへ
奥 「どないしょう 秀人死ぬんやろか」
オ 「人間そんな簡単には死なへん 何時頃から熱出てたん ?」
奥 「夕方ちょっと顔赤い思うて おでこに手当てたけど普通やった」
オ 「3ヵ月程経ってるから これが知恵熱ちゃうかー」
肌着も着せ替え 奥様授乳中にまたゲボです
奥 「お乳やったら あかんねんやろか あーウンコもしてる
ウンコびちゃびちゃやん」
オ 「乳やめて 水やり」
奥 「やったら又だすやんか それより先生所へ電話して」
昭和49年は、公団住宅1DK住まいでしたので各戸には電話はなく
1棟に1台の公衆電話でした。
オ 「こんな夜中に電話するん失礼やんか 朝までモウチョット様子みとこ」
奥 「そんなこと言うて手遅れになったらどないするん」
オ 「昨日の夕方から 10時間程やんか手遅れなんかナイ」
本当はオイチャンも(当時27歳)不安でしたが 両方不安ではパニックです
体温計では39。Cでした 男はここでガンバラないと
オ 「吐いてもエエから 水分の補給と 頭を冷やそう39.C超えると
冷やした方がエエ言うてはったで」
奥様は秀人の傍で泣いてるはるし
水まくら、フトン、湯冷ましなんぞの用意でテンテコマイでした。
“子を持って 初めて知る 親の恩”
昔の人の川柳ですが ナットク!
2へ 続く
|