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[2002.4.21 ケンジ]

「わたしを愛しているか」

 過去6年間で、私の人生には3つの大きなターニングポイントがありました。その3つに共通する、神様からの一つの質問はこれでした――「わたしを愛しているか?」

 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書21:15)

 クリスチャンになる前の私の人生を一言で言い表すとしたら、それは「無関心」であったと思います。自分自身の向上には努力を惜しまず、特に外国語習得に関しては最大限の力を使いました。しかし当時、友達はいませんでした。1週間一言も人と話さないことも当たり前でした。自信がなく、自分の力を証明しようという焦りのみに駆り立てられていました。自己を高めながらも、自己嫌悪に陥っていました。神様は当時、大学で一緒のクラスだった田口(旧姓:松葉)美保子姉妹を通して聖書に出会わせてくださり、自分自身ではなく、神様と周りの人々を愛するという人生の目的をくださいました。私は聖書を勉強し、1996年3月、大学2年生のときに洗礼を受けクリスチャンになりました。

 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書21:16)

 クリスチャンになって3年後、神様は2度目に同じ質問をなさいました。「わたしを愛しているか?」私は「はい」と答え、99年、教会のないアジアの地域にイエスを宣べ伝えに行きました。そこの「羊」を世話するためには異なる文化、言語を学ぶ必要がありましたが、政治的にも治安も不安定な国において、神様が私の世話をしてくださり、個人的な成長と共に、人が救われていくのを見ることができました。

 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。(ヨハネによる福音書21:17)

 その3年後、日本において、神様は3度目にまた同じ質問をなさいました。「わたしを愛しているか?」私は「はい」と答え、今年の春から東京キリストの教会スタッフとして仕えることになりました。現在、新しいレベルの戦いや試練の中で、ペトロのように、神様に何回も試されることを悲しく思う時もあります。しかし、神様から与えられた大切な兄弟姉妹を愛することこそが、神様への最高の愛情表現であるということを、この聖句から確信し、このように神様と他の人を愛することができる人生を特権に思っています。

 神様は、人生の中で何度も「わたしを愛しているか?」という質問を様々な形で投げ掛けられます。この質問によって、私たちは自分のためだけに生きるという虚しい人生の目的から解き放たれ、神様と人々を愛するという新しい人生の目的を持つことができます。今、試練がありますか? 人生のターニングポイントを迎えていますか? それは神様からの質問です。それに対して確信をもってこう答えましょう。「愛しています!」


[2002.4.28 パク]

「真実なる神様」

 今日、この紙面で、神様がどれほど真実な方であるかを分ち合いたいと思います。

 1990年8月25日、ソウル・キリストの教会が設立されて約1年後に、一人の高校生がバプテスマを受けました。彼が教会に行くことになったきっかけは、姉が「教会に来たらお小遣いをあげる」と言ったからでした。そんな軽い気持ちで出席しましたが、その礼拝で聞いた説教は、今でも彼の心にまざまざと息づいています。また、説教に対して感じたことを反応し合っている同じティーン・エイジャーのクリスチャンたちの様子が、とても印象的でした。「ぼくもこの人たちのようになりたい!」と彼は思いました。

 その高校生は私でした。私は次の日から毎日、聖書を勉強しました。高校3年生だったため、受験勉強との兼ね合いに葛藤もありましたが、聖書の勉強をすればするほど、傷つけられた心が癒されるのを感じました。中学3年生の時、父が交通事故で亡くなってから様々な苦労を負い、また人々への憎しみなどを抱いていましたが、聖書を通して愛と信仰と赦しを学び、そして奇跡的に4日後に洗礼を受けることができました! その時に学んだイエスの十字架の愛は、12年経った今でも、私にとって最も大切な人生の基点となっています。

 クリスチャンになってからも、私にはなかなか変われない罪がありました。しかし、そのような弱い私を守り導いてくださったのは、真実なる神様でした。私は時に、神様の愛を疑ったこともありましたし、徴兵制度により軍隊を経験した時には、多くの罪に囲まれて神様から離れようと思ったこともありました。が、自分で気づいていない間でも、神様は私を続けて守ってくださっていたのでした。

 あなたの慈しみは私の目の前にあり、あなたのまことに従って歩き続けています。(詩篇26:3)

 軍隊での義務が終わった大学3年生の時、ソウル教会のミニストリー・スタッフとなりました。自信のなかった私にミニストリーをリードさせてくださったのは、ただ真実なる神様の導きでした。教会のティーン、キャンパス、シングルの各ミニストリーを牧会しながら、多くのことを学びました。特に学んだことは、いかなる状況にあっても神様を頼ることでした。好調な時に神様を賛美するのは簡単ですが、難しい状況の中でも神様を信頼することは難しいことでしたので、困難も私には良い訓練となりました。

 多くの困難な時、私は自分の信仰のなさに落ち込んでしまいますが、そんな私に神様は何回も立ち直る機会を与えてくださいました。スタッフを辞めた時期もありました。その間、2000年3月から、私は教会の事務局の仕事に就きました。しかし15年の間、荒野をさまよったタビデが神様に喜ばれる者に変えられていったように、私も神様の真実なる弟子に精錬されていきました。同年9月には一つのセクターをリードすることになり、2001年にはミニストリー・スタッフに復帰しました。そして2001年5月、東京キリストの教会の韓国人ミニストリーを牧会するため来日するに至りました。母国とは違う日本文化に囲まれ、難しい状況下でもベストを尽くしている韓国人クリスチャンたちの人生を通して、私は神様の真実さを違う角度からも見ることができています。これからも続けて神様の真実なる御業が見られることを期待し、胸がいっぱいです。神様に感謝します。


[2002.5.19 エルヴィン]

「できるだけ多くの人々が
関わること」

 「……あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身を持って示してきました。」(使徒20:35)

 善きサマリア人のたとえの中で、イエスは、追いはぎに襲われて半殺しにされたまま道に残された人について話しました。同じ道を来てその人を見たほとんどの人々は、助けようともせず、道の向こう側を通り過ぎて行きました。これが今日の社会の姿です。たいてい、貧しい人、困っている人は見捨てられ、避けられています。貧しい人々は違う国に住んでおり、あまり考えないでいるのは簡単です。

 イエスや弟子達は、それとは正反対でした。イエスは貧しく病んでいる人々を探し、そのような人々を助ける機会を探しました。彼は必ず、そのような人々のいる所に行くようにし、人々を癒し、ニーズを満たしました。イエスは、これらの人々に希望を与え、心を開いて御国についての福音を聞けるようにしました。もし私たちがイエスのくださった賜物――健康と福音――について考えるなら、なぜイエスが「受けるより与えるほうが幸いである」と言ったのか、容易に理解できます。

 インターナショナル・ラン・フォー・ホープ2002には、企画者、ボランティア、参加者、あるいは寄付をする、といった形で2000人以上の人々が関わりました。これによってイエスのビジョンである、できるだけ多くの人々を癒すために、できるだけ多くの人々が関わること、は体現されました。

 できるだけ多くの人々が関わること:日本と、その他ラン・フォー・ホープが開かれる4つの国には、自ら参加し、他の人にも参加を呼びかけようと決心した人々がいます。このチャリティーの素晴らしさの一つは、「私たちが一緒にやる」ということです。

 もし実際に参加した方なら、きっと親しみのある一体感を感じたことでしょう。そして、与えるということがどんなに楽しいことなのか経験できたことでしょう。私は、他の人と共に誰かを助けるという神様の計画、そして私たちが皆、その計画の一部であるということに感謝しています。

 できるだけ多くの人々を癒すこと:癒されることを真に必要としている人々がいます。道の向こう側に取り残され、見捨てられた人々です。ラン・フォー・ホープの目的は、カンボジアの人々をできるだけ多く癒すことです。カンボジアは戦争で荒廃し、世界のほとんどから見捨てられてきました。しかし、神様は貧しく病める人々のいる所へ行く心をお持ちで、シアヌーク病院ホープ医療センターは、貧困の中にある人々に対する神様の愛の、最も大きな現れとなっています。収益金は、できるだけ多くの人々を治療するために医師たちが一日24時間体制で働いている、このシアヌーク病院へ送られます。

 もし、カンボジアとシアヌーク病院を訪れる機会があれば、凄まじい現実を目にすることができます。カンボジアでは、病気と窮乏、命と死は、身近で日常の経験です。病院の働きを通して救われ、治療された人々の感謝は非常に深いものです。そして、病院の善い働きは、心ある人々からの金銭的サポートがあるからこそ可能なのです。

 もし、あなたがラン・フォー・ホープに参加するためにチームを作ったのだったら、これから先、一つのことを覚えていてください。あなたのこの週末の過ごし方によって、死んでいたはずの一人の人が生きている、ということを。参加してくださった皆さんに感謝します。土曜の朝を過ごすのに、これ以上の善い方法があったでしょうか?

[2002.4.14 アヤコ]

「新 学 期」

 そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。(1コリント13:1)

 ♪「ぴっかぴっかの1年生〜」、♪「1年生になったら〜」と新学期は心躍る時期です。新しいランドセルにつぶされそうな小学生から、まだ新しいスーツがぎこちない大学生や新社会人などを、街で見かけます。また、新入生に限らず多くの人にとって、4月は新しいことに挑戦して、新しい自分になろうと期待する時でもあると思います。

 私は、8年前の4月に初めて教会に来ました。初めて足を運んだ教会で、私はカルチャーショックを受けました。あいさつをする時のハグ、一人ひとりの笑顔、クリスチャンの友人関係の多さ、そして、説教の中で何度も出てきた愛という言葉にびっくりしました。 初めての説教は、内容としてはあまり理解できなかったのですが、その時に話されていたことは、何か大切なことだと感じ、それを機に聖書を学び始めました。

 今、振り返り、自信を持って言えるのは、聖書を学ぶ決心は、今までの中で最高の決心だったということです。イエス・キリストの人生から愛を学び、それまでの自分を大切にし、自分を守る人生から、他の人々を愛することを選ぶ人生へと変えられたことを、心から感謝しています。

 「人の喜びを共に喜び、苦しみを共に苦しむことは、人にとって、最高の道である。」――この言葉は、偉大な物理学者と言われたアインシュタインのものです。 私は、彼の研究については、全くといっていいほど理解できませんが、この言葉だけは良く分かります!

 この新学期に、新しいことを期待している人、新しいことを始めようと思っている人、今日の礼拝をきっかけに聖書を学ぶ決心をしてみてはどうでしょうか? 人生最高の道の答えである愛を、ぜひ見つけてみてください。


[2002.5.5 マユミ]

「教会の成長」

 先日、私の父は還暦を迎え、42年間勤めた会社を定年退職しました。大手ゼネコン会社に勤め、定年退職したその月に会社が倒産したことは、なんとも言い難いものがあったようです。父が働き始めた時は月給1万円にも満たず、コンピューターもなければ携帯電話もない、一足3000円する靴を履き減らしながら、地方にいる一人一人のお客様に会うため、乗り心地の悪い国鉄電車で毎日営業に走り回ったそうです。今やすべての設備が整っている会社では父の「営業スタイル」は古めかしいものとなっています。

 私はこのような父の話しを聞いて、ふと自分のクリスチャンとしての人生を振り返ってみました。留学先の米ボストンで、まだまだ青く粋がっていた大学1年生の私は、神様の愛に魅せられクリスチャンとなりました。当時は聖書の読み方さえよく分からず、ましてや人に教えることなど自分の中では想像もできませんでした。他の都市の教会の存在なども知るよしもなく、関心もありませんでした。思い悩みといえば、中間、期末テストぐらいで、ただ神様を知ることによって変えられた自分の人生が嬉しく、多くの人々にその喜びを話していました。

 11年以上の月日が経った今、私たちの教会には本当に多くのものが与えられています。聖書を深く理解するために多くの教師や牧師によって書かれたDPJの数々の本。世界中の御国の様子を知ることができるKNNニュースやホームページもあります。多くのボランティア活動を支援するHOPEワールドワイド、その活動のための寄付金を募るチャリティ・コンサートには有名な芸能人の方々も出演してくださっています。教会内では、子供たちに聖書を深く楽しく理解するための子供のプログラムが用意されており、10代の子供たちにはティーン・ミニストリーがあります。男女関係を素晴らしくするためのステディ・ディボや婚約カップルのためのグループ・カウンセリングもあります。心に病を持つ人々へのカウンセリングなど、挙げればきりがないくらい、多くのニーズが満たさるための沢山のものが与えられていることは神様の栄光であり、そして教会の成長につながっています。

 しかしながら、その教会の成長はどこから始まったのでしょうか? そのような中で自分は「教会の成長に取り残されている」と感じたことはないでしょうか? 私は、神様ではなく自分の利益を求めた時や人からの評価を気にしていた時に、取り残された思いになったことがありました。自分が不要な存在のように思え、昔の教会の懐かしさに浸ることさえしばしばありました。

 ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「わたしがの来るときまで彼が生きていることを、私が望んだとしても、あなたに何の関係があるのか。あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:21―22)

 イエスは、自分と人と比べて優越感を持ったり劣等感を持つことは何の意味もないことであると教えています。むしろそれは罪深い心を引き起こしてしまうことになる、と私は自分の人生から分かります。教会の成長は「あなたは、わたしに従いなさい」というイエスの言葉に、つまり個人個人がイエスに従うことにより成される、それが教会の成長へとつながるのです。

 昨年から、私は夫と共にこれから結婚するカップルのカウンセリングを行なうという特権を与えられています。それは両親が離婚している私にとって当たり前にできることではなく、明らかに神様の栄光、そして神様によって変えられた私の人生の現れであると思います。

 一人一人に神様の栄光が輝くため、そして個人の成長が教会の成長につながることを祈って止みません。

 賜物はいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになりのは同じ主です。働きはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ主です。(Iコリント12:4―6)


[2002.5.12 ユキ]

「無償の愛」

 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(Iヨハネ4:10)

 私は本当に悪い娘でした。いつも反抗的でわがままで、両親を傷つけることばかりをしてきました。中学の時、母の作った料理がおいしくないと言って庭に捨てたことがありました。高校に入ったばかりの頃、夜中に父とケンカをしてそのまま家を飛び出し、家出したこともありました。また、せっかく入った大学も、面白くないからと何の相談もせず勝手に辞めてしまいました。私は自分のしたいことができれば、それで満足でした。両親の傷ついた気持ちなど考えたことがありませんでした。

 私は20歳の頃、この教会と出会い聖書を読み始めました。聖書の勉強を通して私は、自分の心に沢山の罪があることを知りました。それがどれほど両親を傷つけてきたものなのかも分かりました。でも、今さら謝ったところで母にはもう赦してもらえないような気がしました。昔の出来事を持ち出した時、母の口から「その通り。あなたを生んだことを本当に後悔している」と宣告されるのが怖かったです。

 しかし勇気を持って、自分のしてきた一つ一つの過ちを告白し謝った時、母は言いました。「お母さんも有希ちゃんは最初の子で、どうやって育てたらいいか分からず精一杯だったのよ。お母さんも親として沢山の間違いをしてきたと思う。本当にごめんなさい。でも、有希ちゃんがどんな子に育ったとしてもお母さんの娘に変わりはないし、たとえ世界中の人が有希ちゃんのことを嫌いになっても、お母さんは有希ちゃんを永遠に変わらず愛しているよ。」

 それは、私が初めて母の口から「愛してる」の言葉を聞いた時でした。私はずっと思っていました。両親は、私がこんな悪い娘に育ってしまって、きっと私を生んだことを後悔しているだろうと。私の顔を見るのもイヤなくらい、私を憎んでいるだろうと・・・。しかし母は、実はもう、私が謝るずっと前から私のしてきたすべての過ちを赦してくれていました。私がどんな娘であろうとも、ただ母の娘であるという理由だけで受け入れて愛してくれました。その母の無償の愛を知った時、私は今まで泣いたことがないくらい激しく母の前で泣きました。母も泣きながら、私の肩を抱いてくれました。

 私はそれまで一度も心から謝ったことがなかったので、赦されることの喜びを知りませんでした。いつも自分の罪に対し後ろめたさがあったので、「こんな私が愛されているはずがない」と不安ばかりが付きまとっていました。その焦りや虚しさから、私は周りの人たちに対し、ますます反抗的でわがままな態度を取り続けていたのでした。

 この日、私は、この母の愛を通して、神様からくる無条件の愛を心から理解しました。同じように神様も、私がどんなに神様に対して反抗的で心の悪い者であっても、ただ「ご自分が丹精こめて作られた」という理由だけで私のことを愛してくださっていたんだ。神様から愛されるのに努力も成果もいらないんだ。私は初めて、すべてが赦されていることから来る自由を、無条件に愛されていることから来る安心を味わうことができました。

 以前、母の教えてくれた言葉がありました。「『ありがとう』の言葉は、『愛している』と同意語なのよ」私たちは誰一人として、自分一人の力で大人になった者はいません。誰かが見返りを期待せず、ただ無償で愛情を注ぎ込み、私たちを愛し育ててくれたお蔭で今の人生があります。母の愛を通して、神様の愛を通して、無条件に受け入れてもらえる喜びを味わい、私の心は感謝でいっぱいになりました。そして今度は私も、そのような無償の愛で誰かのことを心から愛したいと思うようになりました。

 今も、人を愛するのに疲れてしまいそうになると、無条件に赦されたことや愛されたことの喜びと感謝を思い出してみます。すると、不思議とまた誰かを愛したい力が湧いてきます。

 今日も私は、この世の命を与えてくれて、自らが傷つくことも厭わず私を慈しんで愛し育ててくれた母に、心からの感謝の気持ちを捧げたいです。お母さん、ありがとう。そして私も、母の愛に負けないくらいの愛で身近な人たちを愛していきたいです。

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