新世紀最初の旅はお遍路さんだ!!
今年の正月はどうするか?すごく悩んでいた。新世紀になるのに、家でゆっくり寝ていてもつまらないし、新しい分野の旅にも挑戦したい。とりあえず図書館に行って、日本地図と旅行関係の本をかき集めてみた。
興味があった旅行先は、小笠原(船で2日かけないと着かない)か屋久島(世界遺産の縄文杉目指して)か沖縄(自転車で日本一周するなら避けて通れない場所)にある程度決まった。
「よし!旅行会社に行こう!!」近くの旅行会社に行って旅行会社の人と一緒に考える。「小笠原はチケット売り切れですナー」「屋久島・沖縄は、この時期高いですナー」
なんと全部しっくり行かないし、時期も金額も合わない。いろいろ考えながらテキトーに場所を言って探してもらう。
「徳島行きのバス空いてますナー」
「・・・・・・」
「片道10000円ですナー。これなら2席だけ余ってますナー。」
「それ予約して下さい」
値段に負けて、衝動買してしまった。東京30日夜発で31日朝徳島着。頭の中でお遍路さんが浮かんできた。
そうだ!お遍路さんだ!この前四国旅行していたときに、お遍路さんに何人かあって話をする機会があった。特に異常に宗教がかったものでもなく、四国の昔からの独特な文化といえるような印象がした。四国は美しい自然が一杯で大好きだし、前回の旅行から帰ってからも何度か四国やお遍路さんの本も読んでいた。頭の中が一気にクリアになった。お遍路さんは、鳴門から行くはずだ。
「鳴門行きにしてください。」
チケットを鳴門行きに替えて、また図書館に戻り資料を借りまくり検討する。お遍路さんは良いけど、白装束の格好が嫌だナー。まあすべては行ってから考えれば良いや。
毎年正月と言えばスキーに行っていたけど、今年は昔からの旅行の原点に立ち戻ろう。これからこんなに一人でいられる時間が取れる機会も余り出来ないかもしれない。今回は今までに無い歩きによる旅行に決定した。コースは第一番札所の霊山寺からスタートして、第十七番札所の井戸寺まで、街中から山を越えて約100キロ弱。今回は当初考えた竜馬に会いに行くには時間が無い。また行けばいい事だ。よし行くぜ!!
<遍路とは?>
1200年程前に弘法大師(空海)が、修行して周った道を遍路と呼ぶ。修行した札所は八十八箇所あり、それぞれの札所となる寺には番号がついている。1400キロにも及ぶ八十八箇所を全部回る事によって、ご利益を得る事が出来ると言うのだ。今となっても年間約40万人がお遍路さんをしていると言われている。簡単に40万人と言っても、昔俺がしていたパラグライダー人口が5万人でカヌーの人口も5万人と言われていた。それをたした4倍の人たちがお遍路めぐりをしているのだ。すげー事だ。お遍路さんは、通常白装束を着て菅笠をかぶり金剛杖をついてお経を唱えながら遍路を周る。作法は一杯あるのだが省略。納経帳は俺の駅のスタンプ集めに似ていて、その場で寺の印鑑と署名をしてくれる。お遍路さんは、修行の一環とされているため地元の人たちは、非常に協力的にお遍路を手伝ってくれる。時には、「ご接待」と言う事で食べ物やお金をくれる事もある。ご接待した人たちは、自分も手伝う事で、ご利益があると言う事らしい。簡単に言うとこんな感じなのだ。
出発だー!!
2000年12月30日
浜松町の駅のバスターミナルより出発。みんなお土産を抱えて実家に帰るような様子の人たちであふれかえっている。この中でお遍路さんしに行く人はさすがにいね−よなー。
バスが出発した。バスもいつもの快適な広いバスではなく、臨時増発した普通の観光バスだ。ちょっとせめーナ。
結局あんまり調べなかった。何時帰るかも良くわからないし何処に泊まるかもわからない。全部着いたら考えよう。バスに乗ってからしばらく考えていたが、考えても何も浮かばないのですぐ寝てしまった。
2000年12月31日
「次は鳴門でーす。」
車内アナウンスで目がさめる。なんだか真っ暗だ。全部霊山寺で地図から何から買うつもりだったので着替え以外何ももっていなかった。道端で、5・6人が一緒に下りた。すごく寒い。6時過ぎだが真っ暗で道の街頭しかないし、小雨が降っている。一緒に降りたみんなは、迎えの車が待っていて乗って行ってしまい、すぐに一人になる。海らしき景色が遠くにうっすら見えるだけ。自動販売機すら一つも無い。
「どこ行けばいいんだろー?」
適当に、歩き始めた。こんな事なら徳島駅まで行ってからにすればよかった。誰も歩いていないし車も走っていない。誰にもたずねる事も出来ないのは心細いナー。
しばらく歩くと、バスの集積所があった。「助かったー!」
待合室には人は一人もいないが、ストーブがついていて暖かい。パンフレットがたくさん置いてあり、その中の一つに略図の書いた地図を発見した。現在地をやっと確認。鳴門駅までは1キロちょっとぐらいだろうか?これで先に進めるぜー!
熱い缶コーヒーを買って、手を温めながら再度歩き始めた。地図はかなり簡単に書いてあったけど、方向は分かる。徐々に当たりも明るくなってきた。
「みんなもうすぐ7時だぞ!起きろよー!」暇なのでちょっと叫んでみた。
よく考えてみると今日は大晦日だ。みんな寝てるのあたりまえだよな。
しばらくすると駅発見。ヨーシやっと出発だー!略図を見ると板東駅から徒歩10分ほどで、霊山寺に着く。電車は今から30分ほど出発しない。発車予定の電車はもうホームに入っていて、ディーゼルエンジンの音が鳴り響いている。寒いので電車の周りを蒸気が包んでいて、ナカナカ風情があった。約10分前になってからホームに入って乗ろうとするが、ドアが閉まっている。
「ドーやって乗るんだ−?」
人が一人ホームに入ってきて、引き戸をあけるようにしてドアを開け、中に入って締めた。自動ドアではないらしい。何か新しい旅の予感にワクワクしてきた。
やっと走り始める。しかし板東駅の一つ手前の駅で乗り換えなければならない。車掌に聞くと「別の線の電車は1時間ぐらいこないよ。」と言われた。
どうするか?待つか?それとも一駅ぐらいなら歩くか?歩いたほうが早いんじゃないか?
迷った末、無人駅をそのまま降りて歩く事にした。目的地まで結構距離あったが、40分ぐらいで霊山寺に到着!早速「お遍路さんキット」を揃える事にした。店の人は親切で、いろいろ教えてくれる。
「最低限の装備でよいのです。」
「じゃ金剛杖と納経帳と地図。それから願い事を書いたりする納め札が必要だね。」
白装束は絶対着なければならないものでもなさそうだ。良かった。
<金剛杖>
この杖は、弘法大師自身だと考えるらしい。つまり一人で歩いていても、常に弘法大師が一緒に同行している。「同行二人」と杖にも書いてある。常に弘法大師と一緒でいる事を忘れてはならず、心細いときでも何かあったときでも勇気を与えてくれるものなのだ!!
霊山寺に入ると、白装束がボロボロのお遍路さんが座っていた。どうすればよいか聞くと、すごく丁寧に教えてくれた。彼は七周目だそうだ。つまり八十八箇所を六回も周っている強者なのだ。時には野宿しながら周るらしい。こんなに寒いのにすげーなー!
「がんばれよー!」
ボロボロのお遍路さんに励まされ、とうとう出発した。
今回の俺の旅はお遍路さんに染まるのではなく、旅の原点である歩きをする事が目的なのだ。ついでに、これだけ続いている四国の文化であるお遍路さんについても理解できたら、という程度の浅はかな動機だ。むしろ仏教徒としてでなく、客観的に自由にお遍路さんを評価してみたい。でも、はたから見れば一応修行者なので歩きながらのくわえタバコと、ビールを飲むのは控えようと今回は心に誓った。歩きながらタバコ吸っているお遍路さんはキット四国の子供の教育上やベーよなー。
始めの頃の札所は近くて、それぞれが歩いて30分から1時間ちょっとぐらいだ。当初は周りを見ながら興味深く人や建物・自然を見ながら歩いていた。お参りして色々願い事をし、納経帳を書いてもらうのだが、だんだん不信感を持ち始めてきた。やたらとお賽銭入れるところ多いし、納経帳も1回300円かかる。はじめの頃は、そんな高くないと思っていたけど300円を88倍すると26400円。お賽銭を入れるとどれほどになってしまうんだ。だんだん、八十八箇所が弘法大師の考えたフランチャイズで、四国に1200年間経済効果を与えてきたビックビジネスなんではないかと思い始めた。次第にお賽銭は、1円から10円の間になっていく。
あと、正月のためかさすがにお遍路さんが少なくて、歩いていて会ったお遍路さんはほとんどいない。普通は車やバスで周るらしい。こんな寒い時期に周るような奴はさすがに少なそうだ。でも、いくら真剣にやっていても、車やバスで周っていてお遍路さんになるのだろうか?これに対して関係者が何も言わない事も、お遍路人口増やすためのビジネスの匂いが漂ってくる。
それでも歩いていると、地元の人が必ず挨拶してくるし、道も聞いていないのに教えてくれる。その数はビックリするほどだ。それが無かったら、1日目で杖捨てて止めていたかも知れない。何か俺には理解できない事があるのかもしれないという期待が歩く事を促していった。
「まず、歩けるだけ歩いてみよう!!」
あと今回興味があったのは、宿坊。お寺に設置されている宿泊施設で、体験してみたい興味にそそられていた。
昼過ぎて腹が減ってくる。「うどんがくいて−!」前四国に来たときの思い出でうどんを食べることは今回の大きな目的の一つだった。しかし、大晦日なので店がみんな閉まっている。2時過ぎにやっと1件のうどん屋を発見した。
「うれしーぞー!うどんやー!」
四国のうどん屋はセルフサービスで安い。この店でも素うどんなら200円からだ。好きなものをトッピングする。このときの勘定が670円だったので、そのトッピングたるは強烈だったのだ。
腹を満たしたところで、泊まる先を決めるために寺に電話する。
「正月中はやってないよ!」
冷たい返事が次々と返って来る。
「なんだよー!泊めてくれよー!」
心の中で叫んでいたけどしょうがない。お遍路さん専用の宿も地図に書いてあったので、そっちに電話してみることにした。多くは同じ返事だったが、1件だけOKが出た。
「良かった−!布団で寝れるぞー!」
よく考えてみるとここから宿泊先まで10キロ以上ある。5時には日が沈むので、その前につかなければならない。急いで店を出て早歩き、たまに走るといった変なお遍路さんになってしまった。
宿は、第10番の切幡寺のたもと。途中の札所は飛ばせないので、全部急いでお参りして納経帳にサインしてもらった。いそげー。いそげ!
何とか4時半に切幡寺についた。納経は朝7時から5時まで。333段と書いてある石段を駆け上がる。今日はもう30キロ以上歩いているので、足がかなり疲れていた。今日の最後だ。頑張るぞー!!
無理して走っている途中で、右膝が急に痛み出した。この痛みは、自転車で無理したときに出てくる痛みだ。やばい!いつもナカナカ取れない痛みだと確信した。張り切りすぎたのがいけないのか、お遍路馬鹿にしてたのがいけないのか。でもやってしまったのだから、今更どうにもならない。石段の坂の表示を見ると、「女やくよけ坂」と書いてあった。
「やっぱこの坂のせいかナー?」
お参り終えて帰りの石段は、ひどいものだった。杖無しでは降りられないほど悪化していた。右足首も痛めているらしい。取り敢えず宿に向かおう。
宿に行くと、丁寧な応対で迎えてくれた。さすがお遍路さん専用宿だ。テレビも暖房も効いていて快適だ。宿は広かったけど宿泊客は8人。全員が歩きのお遍路さんだった。
「今は一年間で最も空いている時期ですよー。ゆっくりして下さいね。」
風呂から出て食事しにいくと、お遍路さんの集会になっていた。その中の一人が、8週目の強者だった。
「みんな弘法大師に呼ばれてきたんジャ−!」
「お参りしていたら、目が見えない人が見えるようになったり、耳が聞こえない人が聞こえるようになったりする不思議な道なんジャー!」
俺にとっては新しい考え方だった。興味があったのも手伝って話を聞いていて嫌な気持ちになる事は無かった。でも、このおじさんは嫌にご飯お代わりしまくって(5杯食べてた)「それでー!」と言う時にご飯を口から吐き出すのが、気になってしょうがなかった。ちゃんと食ってから話せよなー!
それよりも、女性が一人で周っていたり30歳ぐらいの男性が周っているのが、ちょっと興味深かった。
その後、俺はこの強者おじさんに気に入られ、部屋にまで呼ばれて説法されてしまった。スゲー大晦日だ!!
今日は迷ったりしたのも含めて35キロほどの歩行距離となる。明日はどっちだ!!(立つんだジョー!)
つづく