お遍路紀行第二部
お遍路さんに対する地元の人の考え方を、おじさんに聞いて興味をそそられた。あのショーケンも3回周っているとか、白装束のほうがご接待受やすいことや、白装束は老若男女を隠すので若い女性でも一人での旅行が安全になるなど新しい知識を教えてもらった。地元の人がお遍路さんに対しているときは、弘法大師に対しているつもりでいると言う事は、四国の人は弘法大師に対する尊敬の念は相当なものなのだろう。
俺が昔読んだ本の「宇宙の皇子(うつのみこ)」では、空海は妖術の天才で土地の妖怪退治をしたりしていた。空海は、明日行く予定の焼山寺の開祖である役の小角(えんのおづぬ)の弟子であった。「宇宙の皇子」は図書館行ったとき40巻もあったので、これだけ続くのだから、きっと面白いのだろうと思い読み出した。どちらかと言うと古い時代が舞台のSFで、日本中だけでなく地獄や天国にも修行に行く。そのときの主人公の師が役の小角で、その良きライバルが空海だった。お遍路の寺の開祖を見ているとみんなこれの登場人物ばかり。舞台の中心は京都だったけど、よく読んでみるときっと四国とも関係深いのかもしれない。表紙が漫画みたいなので読んでる人は少ないと思うが、内容は結構深くて面白い。そんな事も思いながら大晦日の夜を過ごした。
かえって分らなくなってしまう解説だが、おじさんに会った事で前よりお遍路に対しての興味が深くなったのは確かだ。
ちなみに、おじさんは「今8回目だけど21回まで連続で周る。」と堂々と言っていた。何で21回かと聞くと「21世紀を迎えるから」と言う。弘法大師は、21世紀という暦を知っているのかなー????
西暦2001年1月1日
翌朝、目がさめると21世紀になっていた。しかし足の状態はイッコウに良くなっていない。むしろ傷みがひどくなっていた。昨日は第十番札まで行っていたので、今日は第十一番札から。今まではお寺それぞれの距離が短かったけど次からは遠いいのだ。しかも次の第十二番札の焼山寺への道のりは、「遍路転がし」と言われるお遍路で一番きつい道のりと言われている山道だ。
「足の調子が心配だナー。」
山道なのでたどり着けなかったら野宿になってしまう。勿論この時期テントも寝袋も無しで山の中での野宿なんてとても出来ない。朝7時過ぎに出発して、歩きながらどうするか考えていた。第十一番札の藤井寺までは平坦なコース。そこまでは約10キロちょっとなので、足の状態確かめながら歩いた。
「シップ薬持ってくれば良かったナー。」
藤井寺から焼山寺までは約12キロの山道だ。しかも「遍路転がし」と言われるお遍路で一番きつい道のり。
「宿が取れたら行く事にしよう!」
いくら考えても答えが出ないので、泊まるところから決める事にした。電話してみる。
「正月は休みです。」「正月は休みです。」「正月は休みです。」「正月は休みです。」「正月は休みです。」・・・・・。
「あー腹立つナー!」
結局宿取れるところは、焼山寺を越えて10キロ以上離れ、さらに峠を越えた宿しか空いてなかった。
「とてもじゃない!そんなに歩けないぜ!」
結局元旦だからユックリしようと決め、鴨島に泊まる事にした。どちらにせよ、明日は25キロぐらいの山道と峠を越えていかねば泊まれない。何とか足だけでも治さねば。藤井寺行ってから薬を買うために駅に向かうが、すべての店が閉まっている。
「元旦だからあたりまえだよなー!」
寒かったので、鴨島駅の待合室でどうするか考えていた。どーしよーかなー。
「やあ!どうも!」
いきなり声をかけられた。昨日の晩一緒の場所に泊まっていた30歳ぐらいの男性だ。俺より気合が入っている白装束を着ていた彼はすっかりダウンを着た今風の若者に変身していた。声をかけられた時は、全く誰だか分からなかった程の変身だ。
「正月は無理ですよー!もう筋肉痛で嫌になってもうバスでここまで着ちゃいましたよー。」
「・・・・・・」
「寒いし、店開いてないし、歩くのは止めました。もうバスで周ります。バスは楽ですよー。ヘンピな所は正月なので特に泊まる所無いし・・・。焼山寺へもバスなら楽勝!」
「・・・・・・」
「徳島駅から出ているんでこれから電車で徳島行きます。一緒に行きますか?」
「ん・・・・。俺は歩いていく!」
「残念だナー。では電車来てしまうので・・。お気をつけて。」
彼の声は悪魔の声か、それとも俺の中に潜んでいる心の声か。そう思うのももっともだ。心が揺れる。
「何しに来たんだ?」
旅の目的を再度考え直した。今回の旅は、原始からの旅の基本である「歩き」を目的として始めたものだ。せっかくここまで来たんだ。目的は最後まで貫くのだ!絶対負けねーぞ!!
とは言うものの、右足の膝の痛みと足首の軽い捻挫でフラフラと歩き始める。1件喫茶店が開いていた。
「メシ食おう!!気を取り直すのだ!!」
店に入り大盛りカレーを食べて、店の人にシップ売ってる所無いか聞いてみる。
「今日は店開いて無いよー!でもシップならあげるよ。」
10枚のシップを貰い、明日への希望を繋げる事になった。ありがとー!
「若いのに偉いねー。頑張ってねー。」
助かった。今の足の状態が回復しないと明日への自信を失うところだった。宿も近くのお遍路用の宿があっさり取れた。急に物事がうまく先に進み始める。
「誘惑に負けなくて良かった−!」
宿に着くと、入り口から想像できないほどの広い宿。100人以上は軽く泊まれそうだ。しかし今日は、俺一人だけの宿泊者だった。宿の人もとても丁寧で、異常と感じるほど丁重に扱ってもらった。
「杖をお持ちしましょうか?」「お風呂はいかがですか?」「明日のお弁当はご接待させてもらいます。おにぎりにさせて頂いてよろしいですか?」
お遍路さんパワーなのか?正月だからみんな意識し始めたのか?特に今日になってから会う人、会う人がみんな異常にやさしい。しかも丁寧さは、俺という人に接しているとは思えない。やはり弘法大師に対するものなのかもしれない。すぐ風呂に入ってシップを貼り明日のためへの、臨戦体制に入った。周りの人たちが真面目に扱ってくれるのでちょっと申し訳ない思いもあり、持っているお遍路の資料を読み、休みながら勉強してみる事にする。「般若心経」は唱えられたほうが良さそうだったのでチャレンジしてみる。でもさすがにお経だけは覚えられないナー。
暗くなって食事になる。お雑煮だ−!ばんざーい!宿の人と話しながら食べていると、20代の女性のお遍路さんが泊まりにきた。なんと一人。ちょっとだけ話をすると、宮城県からきているとの事。何よりも一人で来ていることにビックリした。何しにきたの?とはさすがに聞けなかったが、何だかスゲーなー。
1月2日
朝になると、足の状態が良くなっていた。朝食を取り7時前には出発!!歩き始めると足取りは軽くなっていた。ちょっと右足首が痛いぐらいだ。これなら行けそーだ!頑張るぜー!!
藤井寺を越えて、山道に入る。確かに険しい道だけど、山道は大好きなのでこの方が楽しい。歩く!歩く!どんどん歩く!!
中間地点ほどまで来ると、柳水庵という3人だけ泊まれる宿がある。そこで3人のお遍路さんに会いしばしの世間話。そこには大師堂があり、みんなスゲー勢いでお経となえはじめた。なんとなくその場に居づらくなり出発!
しばらく歩くと、地元の人らしいおじさんが歩いていた。
「こんにちは!」
話し掛けてみると、毎年この先の一本杉まで40年間毎年登っているらしい。道中たくさんいるお地蔵さんにお米をあげてお祈りしながら歩いている。お地蔵さんについても聞いてみる。
「ここのお地蔵さんは、お遍路の道中亡くなって行ったお遍路さんのお墓なんだよ。」と言われた。そんなつもりで接してなかったので、このあと一緒に手を合わせながら道中を進んでいった。一本杉は、すごくでかく40メートルあるそうだ。
一本杉でおじさんと別れて、そのままどんどん登っていく!道中はお遍路を示す札がたくさんぶら下がっていた。「同行二人」「南無大師遍照金剛」「がんばれ」など札がたくさんかかっている。「遍照金剛(へんじょうこんごう)」とは「弘法大師」のことである。大変なときは呼べばいつでも共にいるとのことで、唱えながら歩きなさいと資料にも書いてあった。地図は山道では全く役に立たないので、札を頼りに登っていく。途中で、焼山寺まであと3キロとの表示があり、苦しい中にも余裕が出てきた。景色を楽しむ余裕まで出てきた。
ヨーシ頑張るぞー!道が広くなる。どんどん進むと、アスファルトの道になってゆく。道の端には「焼山寺こちら」と表示がある。下っているのだけどどんどん進む。確か焼山寺は800メートル台の山頂だ。俺の時計には高度計がついていて、表示がどんどん下がっていく。この時計は、自転車旅行するときの峠越えのときに使っているもので、あとどれくらい登ればよいか目安になる。今回もこの時計を携帯していた。さっき700メートル台だったのに600メートル台になり、不安になってきた。車もほとんど走っていないこの道で、たまたま来た車をとめて聞いてみる。
「焼山寺はこっちだよ。」
あっているようだ。でもなんか違う気がするし遍路道の札も全く無い。500メートル台になった。また車をとめて聞いてみるがあっているとの答え。地図を見ても全くわからない。
「おかしい!ここはお遍路じゃない!札が無いのが何よりの証拠だし、3キロ以上もう歩いてるはずだ!!」
思い切って全部戻る事にした。寒いし、きついし、人も、車も全く無い。昨日あった男性の言葉を思い出す。
「お遍路どころじゃない。このままじゃ死んじまう!!」
早足で戻った。戻れば戻るほどどんどんやる気がうせてきた。何のために歩いてるんだ。携帯を取り出してタクシー呼ぼうかとも考えた。山深く過ぎて携帯も入らない。さっきの道に戻ってヒッチハイクするか?どんどんマイナスの感情が頭をよぎる。
来た道らしい道に適当に入っていくが戻り道も間違っている。もういい加減嫌になってしまい、座り込みそうになった。まずいぞー!落ち着くんだ−!深呼吸して、腹ごしらえに弁当を取り出した。よく見ると包み紙に何か書いてある。それは宿の人からの手書きの手紙だった。
「○○さまへ。お遍路は大変な事があっても必ず良い事があります。頑張ってください。そしていつの日か道中のお話お聞かせください。楽しみにしています。では道中お気をつけてください。」
予期せぬ出来事にビックリした。まるで俺がこうなる事を知っているかのように感じた。急に勇気が湧いてきて座ろうとしていたところをまたすぐ立ち上がり、元の道を探す。なんと不安でどうしょうも無くなってお遍路止めようと思っていた道から約50メートル戻ったらお遍路の札があった。本当にあと少しだった。諦めて車道に戻らなくて良かった。
「ありがとう宿主さん!おかげで途中で投げ出さずに済んだ。」
元に戻ると、すぐ3人の地元の人たちが遍路の途中で酒盛りしていた。酒振舞われ、お菓子などたくさん貰った。よーし!一気に行くぞ!
道を失った原因は、風景ばかり見ていて札をたどるのを忘れていたせいだった。ナンダカンダ言っても、行き先を失うと人は弱いものだとしみじみ感じる。
そんな事から違う事まで歩きながら考え始めてしまった。時に人生や会社で不安になる事もこういう方向を見い出せないところから来るのだろう。人が安心していられる事とは、行き先の道を示す事だ。つまりはビジョンがあるかどうかだ。でもそれを探すためには、自ら進んで迷い道に向かって行って迷わなければならない。俺もいろんな意味で迷い道に自ら入って行って、先人に負けない道を作りたい。道中に札をぶる下げられる道をつくれるように自分を強くしなくては!
さっきの酒が効いて来た。汗が大量に出てくる。道はますます激しくなってきてさっきから1キロぐらいずっと手を使いながら出なければ登れない。でも、道が合っていると思えばさっきよりずっと楽だ。いくらでも登るぜ!!
とうとう焼山寺に到着する。2時間ほど回り道したけど着いてみるとあれはあれで良かったのだとと思う。お寺には、宿で会った女の人がいた。弁当の話をすると彼女も自分の弁当を見て感動していた。しばらく弁当を一緒に食べながら話していると、彼女はお遍路2回目だそうだ。しかも全部歩き通しているらしい。スゲーな−。
しばらく一緒にいたが、次の宿は違う所らしいし、彼女が一生懸命お経を読んでいるのを見て、俺は次に進む事にした。
「縁があったら、また会いましょう。」(しかし縁はもう無かった。)
2時半ごろ出発したが、まだ峠越えて宿まで行かねばならない。
よーし。もうひと頑張りだ!!
つづく