/// 京都の大晦日からお正月 ///  (01/12/27)

 平安時代には大晦日の夜に、霊が戻って来ると信じられており、
食べ物を供するなどして慰めたとか、徐夜とは、除く夜と書き
ますが、夜がない、つまり寝ずに一晩中起きていることを意味して
いたそうです。

京都の門松はいたって質素です。大方の家では「根引きの松」を
門松として飾ります。根が付きますようにとの願いから、根の
付いた細い若松を白い半紙に巻き、紅白の水引を結びます。
そして本来、神様が降りてくる目印なので二つは飾りません。
玄関に一つです。今の二つ並べて飾る門松はどうやら本来の意味を
外れ、見た目を重視した為でしょうね。門松を立てる日は26、27、
28、30日が一般的です。29日は「苦立て」、31日は「一夜飾り」と
云って避けます。

また、旧家では歳神様を祀る風習があります。”歳徳さん”(とし
とくさん)と云う言い方をすることもありますが、その年の福徳を
つかさどる恵方に向かい合うように飾り祀ります。その神棚には
鏡餅が供えられ、正月の三が日はニンジンとダイコンのなますを
毎日供えます。恵方は毎年異なるので神棚を祀る部屋はどの方向
にも祀れるように細工が施してあります。来年2002年の恵方は
北北西だそうですよ。

徐夜の鐘は108つ、撞きますが過去、現在、未来の108つの
煩悩を救い、1年を示す12カ月、24節気、72候を足したもの
とか云われます。京都では除夜の鐘を聞きつつ大晦日の夜から
元旦の朝にかけて八坂神社に詣でる、「白朮詣り」(をけら
まいり)という風習があります。神火の白朮火を吉兆縄に移し、
その火が消えぬように縄をグルグル回して持帰り、その火で、
「おくどさん」に火を入れ、そして大福茶を入れたり雑煮を焚いて
食べると、一年無事に過せるという風習です。
北野天満宮でも「火之御子社鑚火祭」(ひのみごしゃきりびさい)
と云う同じような習慣、行事があります。

京都では「かまど」のことを「おくどさん」と呼びます。
もう「おくどさん」が残る家も少なくなって来ています。
「朮」、これ一字でおけらと読みますが、「朮」とは菊科の多年生
植物で漢方薬にも使われ、一年の邪気を払うという意味で正月に
飲む屠蘇散(とそさん)、その屠蘇酒の原料です。正確に書くと
和名が白朮(びゃくじゅつ)と云う植物の根を乾かした物を朮と
云います。

12月に入ると京都では「屠蘇あります」の貼り紙をよく見かける
ことになります。「屠蘇」の由来は屠蘇庵という草庵の名前に由来
するとも云われますが、もともとは中国の風習で、平安時代より
伝わります。三角の袋に入れ、大晦日に井戸に吊し、元旦に若水に
浸した後に酒またはみりんに浸して飲むと云う風習が伝わってい
ます。井戸が廃れた現在では、文献に伝わるだけの風習でしょうか。

またその昔、この「白朮詣り」の折には、朮の火が点々とする
だけの暗闇の中でお互いに悪口を掛け合い、過ぎゆく年の憂さ晴し
をしたそうです。この悪口は滑稽で奇抜なほど良いとされ各町内
同士で争ったそうです。
現在ではそのようなことはなく、観光行事化している面もあります。
これも京都の都市化の一面です…

京都の雑煮は白みそ仕立て、白くて、甘くて、まったりした味です。
その中に、丸餅を入れ、目が出るようにとクワイが入り、その他に
カシライモ、雑煮大根などが入ったのが京都の一般的な雑煮で
しょうか。

おせち料理は平安時代の朝廷での「節会の料理」がその起源の
ようです。節目、節句を祝う料理が一般民衆に広まり、「おせち」
につながっているようです。三段が昔の標準、正月三が日と云い
ますが、一日を一段で過ごす保存食の意味合いがあったとか。
多分、京都の特徴と思えるところは、棒鱈を煮て、その煮汁で
ダイコン、レンコン、ゴボウ、コンニャクなどを煮つけることが
あります。そうそう、京都では「おせち」を「お煮しめ」と云う
こともあります。あと直径が5cmも越える堀川ゴボウの中にウナギ
などを詰め込む料理も他ではないのかなと思います。

大晦日からお正月の風景も京都でも一般化、共通化しつつある
ところは否めないですが、まだまだ古い仕来り、慣習を守っている
京都の大晦日からお正月の風景です。

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