/// 時代祭の背景 /// (04/10/15)
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この22日は時代祭。時代祭は明治28年、 平安遷都1100年を記念して平安神宮の 創建と共に始められた祭ですが、祭と してその中心、主役となるのは桓武天皇、 孝明天皇の鳳輦(ほうれん)となることは、 あまり知られていないことです。鳳輦とは 俗に云う御輿(みこし)のこと。 桓武天皇は、「鳴くよウグイス平安京」 で知られるように、794年(延暦13年)に 平安遷都を成し遂げた天皇、京都の礎を 造った人物です。遠い昔の話ですが 京都人にとっては、ご先祖様との思いが こもっていたりで、行列の最後をしず しずと進む鳳輦に手を合わせる光景も時折 見受けられます。 もう一人の人物、孝明天皇は京都で在位 した最後の天皇。天保二年(1831)に京都 で生まれ、慶応二年(1866)に三十六歳で 急逝した天皇です。 時代は激動期、強行に攘夷を主張しながら も、妹和宮(静寛院宮)の将軍徳川家茂 への降嫁を容認するなど、明治維新の大業 を朝廷の側から支えた人物。 |
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この二人の天皇の神霊を鳳輦に移し、 町衆の安泰を記念して市中を行幸すると 云うのが時代祭です。 京都には中京区、左京区など11区が ありますが、その中には小学校を基準 とした百九十余りの学区があります。 時代祭の行列は時代毎に受け持つ学区が 定められており、その学区の市民に よって組織された平安講社が行列参加 します。 祭の経費も市民各戸からの協賛金に よって運営されている京都市民の時代祭 です。 時代祭は京都御所から桓武天皇、孝明天皇 を祀る平安神宮までを行列しますが、 当初の平安神宮は京都御苑内、仙洞御所 辺りに造営される予定だったそうです。 |
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岩倉具視らの元で社殿設計図や東京より 京都まで分霊を移す段取り、予算、職員 人事まで決定されていたけれど、 岩倉の急逝よって立ち消えとなったとか。 その十年後、第四回内国勧業博覧会が 京都で行われることとなり、折しもそれが 平安遷都千百年とも重なることから、 平安京大極殿復元計画が持ち上がり、 当初は博覧会の記念館と云った意味で 計画された建物でした。 それでは勿体ないと云うことでしょうか、 永く桓武天皇を祀る平安神宮へと計画が 変更されるのは間もなくのことでした。 そして、平安神宮が竣工するのは 明治28年2月、神社として平安神宮が 誕生するのが3月15日のことになります。 孝明天皇が合祀されるのは大正14年 (1925)のこと、時代祭は10月22日に 行われますが、この日は桓武天皇が都を 遷した日(旧暦)だそうです。 時代祭のコースと概略 |