/// 時代祭 /// (01/10/16)
京都では10月22日は 時代祭です。 明治28年、平安遷都 1100年を記念して 平安神宮の創建と共に この時代祭も始められ ました。 参加人数は2000名、 約2Kmにもなる 行列です。 衣装は各時代の史実に 基づき厳密に再現 された衣装なので 歴史の勉強になります。 因みに10月22日が 桓武天皇入洛の日だ そうです。
行列のコースは長いので御所、平安神宮、御池通西側など混雑する所を 避ければゆっくり見ることができます。 比較的ゆっくり見学できるのは、烏丸通、三条通の東側です。<時代祭行事予定> 10月15日(月) 13:30−時代祭参役宣状祭 宣状祭は行列での役柄を任命する宣状を神前に捧げる行事。 20日(土) 鳳輦、神幸列祭具飾立。 21日(日) 10:00−時代祭前日祭、献花祭。 22日(月) 08:00−神幸祭(平安神宮)。 09:00−神幸の御鳳輦が京都御所に向かう。 10:30−京都御所建礼門前で行在所祭を執り行う。 12:00−時代行列が建礼門前を出発する。 16:00−還幸祭。 23日(火) 10:00−時代祭後日祭。 <行列の順序> 行列は明治維新から時代を遡って進みます。 名誉奉行 :馬車に乗った京都市長 維新勤王隊列、明治維新 :官軍に加わった京都の山国隊の列 幕末志士列、明治維新 :桂小五郎、坂本竜馬ら志士と三条実美らの勤王派 公卿の列 徳川城使上洛列、江戸 :大札、年始などに幕府が上洛させた城使列 江戸時代婦人列、江戸 :吉野太夫、出雲阿国などの列 豊公参朝列、安土桃山 :豊臣秀頼初参内の列 織田公上洛列、安土桃山 :織田信長上洛の行列 楠公上洛列、室町時代 :後醍醐天皇を兵庫に出迎え、上洛を先導した 楠木正成一族の行列 中世婦人列、鎌倉時代 :大原女、桂女、淀君、阿仏尼、静御前などの行列 城南流鏑馬列、鎌倉時代 :近畿周辺国の武士たちの狩装束の列 藤原公卿参朝列、藤原時代:藤原氏が最も勢力を延した折りの情景を表す列 平安時代婦人列、藤原時代:小野小町、紫式部、清小納言、常盤御前などの列 延暦時代武官列、延暦時代:大将軍坂上田村麻呂を模した列 延暦時代文官列、延暦時代:公卿文官が朝廷へ参上する列 講社列 :当日の奉納行事を担当する人々の列 神幸列 :平安神宮の祭神の列、前の鳳輦(ほうれん)が 孝明天皇、後の鳳輦が垣武天皇
時代祭は歴史を遡りますが、名誉 奉行は別として、行列の先陣を務める のは山国隊です。 「ピーヒャラ、ピッピッピ…」の 鼓笛が響く中、烏毛の白ハチマキに 陣羽織、脚絆、草鞋で時代祭の先頭を 行く隊列が山国隊を表現しています。 時代祭の案内では「維新勤王隊列」と 云われています。慶応四年、後の明治元年ですが、丹波の国は山国郷の山国五社明神 (山国神社)から、勤王、錦の旗印を掲げ倒幕のために出陣していったのが 山国隊です。 山国郷は平安時代より平安京建設の木材の供給地として、戦国時代には 御所の警護役に出向いていたりと、皇室とのつながりが深い地域でした。 慶応四年の鳥羽・伏見の戦いでの駆け引きの中で生まれた山国隊です。 この戦いでは淀藩、津藩の寝返りで官軍(朝廷軍)が勝利することとなり ますが、官軍側は万一の場合に備えて、山陰道を落ちのび倒幕の兵を募る 計画があり、その使者として派遣されたのが西園寺公望(きんもち)、 この西園寺が発した檄文(げきぶん)に呼応して生まれたのが農民兵で ある山国隊です。 山国隊は山梨県の勝沼では近藤勇が率いる甲陽鎮撫隊、上野では彰義隊 などと戦い、さらに東北各地を転戦し明治二年に京都に帰って来ます。 時代祭が始まった当初はその山国郷から参加してましたが、現在は 経済的理由などにより平安講社が代役を務めています。 なお、山国郷、現在の京都府北桑田郡京北町では山国隊の行列が 体育の日前後に行われているようです。 牛車が登場し、鎧武者の列は楠公上洛列、室町時代です。