/// 補陀洛寺は小町寺 ///  (01/06/15)

バス停も小町寺  小町姿見の井戸
 小野小町の伝説が残る所は日本全国に
広がっていますが、洛北、静原にある
補陀洛寺(ふだらくじ)は通称「小町寺」、
京都バスの停留所も「小町寺」とあります。

補陀洛寺に伝わる話によれば小町は陸奥の
国までも漂泊の旅を続け、晩年、懐かしさ
から父が住んでいたこの静原に帰り着くも、
昌泰三年(900)にこの地で亡くなったと
あります。
その亡骸は弔う人もなく風雨にさらされ、
髑髏と化していたと伝わります。
ここから「穴目のススキ」伝説が生まれます。

随心院に伝わる話では三十路を過ぎた頃には
宮使いも止めて、小野の里で穏やかな余生を
送ったとあり、この違いは何故なのか。
思うに、その後、人々へ伝承するうえで何に
重きを置いたかによるような気がします。
一方は戒め的な意味合いを込めて伝え
ようとしたのに対し、一方は優美な歌人と
しての才能に思いを馳せて伝えようとした…。
でもどちらも京都に伝わる小野小町です。

補陀洛寺がある静市市原町も平安期には
小野氏の領地であったこと、謡曲「通小町」
(かよいこまち)の舞台となったことなどから
小町伝説も残るようです。謡曲、通小町では、
舞台は市原野、夜な夜な何処からともなく
木の実を持った女性が現れるので、僧侶は
いつか子細を尋ねてみようと思います。
ある夜、名前を尋ねると女性は「小野とは
言はじ… 」と言い残し消えてしまいます。
僧侶は小野小町の幽霊だと確信し、その成仏を
祈ります。
すると今度はものすごい血相で成仏祈願を
邪魔する者が現れます。僧侶はこの者は
深草少将だろうと思い、小野小町の元へと
通った「百夜通」の様子を尋ねます。
すると幽霊は「百夜通」の様子を語り、
そして小野小町、深草少将の幽霊共に成仏
したと云う筋立てになっています。

能には「小町もの」と称して「通小町」、
「卒都婆小町」、「関寺小町」、「草子洗」、
「鸚鵡小町」などがあるようで、薪能として
見てみたい気もします。
深草少将供養塔  小野小町供養塔
補陀洛寺は小高い丘の上にあり、一時廃絶
したものを現在の寺が寺名を受け継いだと
なっています。後冷泉天皇皇后の
小野皇太后の山荘でもあった地で、境内には
鎌倉時代の小野皇太后供養塔が残っています。
小町ゆかりの遺跡としては小野小町老衰像、
小町姿見の井戸、小町灯篭、小町供養塔、
深草少将供養塔などが残ります。
小町老衰像はまるで三途の川のほとりで
亡者を待ちかまえ、着物をはぎ取ると云う
奪衣婆(だつえば)の姿に見えます。

京都バスでは、小町寺バス停すぐ、
叡山電鉄では市原駅下車、鞍馬街道を南へ
徒歩5分ほどです。途中には江戸時代の
儒学者、藤原惺窩(せいか)旧宅跡の碑も
見ることが出来ます。旧宅跡自体はその
碑から、西へ鞍馬川を渡って約600mの所に
あります。補陀洛寺は観光寺院ではない
けれど、鞍馬、貴船に行かれる時に時間が
あれば立ち寄ってみて下さい。

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