/// 上御霊神社 /// (00/07/05)
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京都には御霊信仰、八所御霊などの 言葉が残ります。 そして京都には多くの怨霊を鎮めるための 神社が存在します。政争の犠牲になった 人々の御霊を祀っています。 今は学問の神様で通る北野天満宮も、その 歴史をたどれば、御霊信仰とも関わりが あります。 その中で名前もそのものズバリ名乗って いるのが上御霊神社です。「上」と付くから には「下」もある訳で、この上御霊神社は 御所の北側、更に相国寺の北にありますが、 下御霊神社は御所の南東に少しの所にあり ます。 |
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ハ所御霊の言葉の所以は、いずれの御霊神社でも 八つの御霊を祀っていることにあります。 上御霊神社は桓武天皇を祀りますが、それに 加えて早良親王、他戸親王、井上内親王、 藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麿呂、吉備真備を 祀ります。 同じく下御霊神社では平城天皇に加えて早良親王、 伊予親王、藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麿呂、 藤原広嗣、吉備真備を祀ります。 本来、政治の世界の犠牲者なのですが、それが 庶民の中で信仰として受け継がれているところ に京都の歴史の深さを感じます。 |
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このように上御霊神社は御霊信仰の中心となり 皇室の産土神として、また京都の守護神として 崇敬を集めてきた京都で最も古い神社の一つです。 また、応仁の乱の発端の地としても知られます。 この上御霊神社で、畠山政長と畠山義就のいとこ 同士の衝突に始まり、東軍と西軍に二分された 戦乱が京都の町を焼き尽くすことになります。 この応仁の乱の西軍の陣地となったことから 「西陣」との地名が残ることになりますが、 その西陣の話は別の機会としたいと思います。 写真はいずれも上御霊神社です。 |