/// 京都御苑と蛤御門 ///  (00/10/24)

 京都では多くの人が御苑も御所もひっくるめて御所と表現する人が
多いと以前に紹介したことがありますが、今回はその御所(御苑)を
紹介してみます。

京都御苑は東西約700m、南北約1,300mの広さがあります。
一周すれば約4km、一時間の散歩コースです。
その京都御苑には九つの門があります。南に堺町御門、東に廻って北に
歩いて寺町御門、清和院御門、石薬師御門、北側に廻って、今出川御門、
そして西側に廻って南に歩くと、乾御門、中立売御門、蛤御門、
下立売御門の九門があります。

出入り口としては他に、間ノ町口、富小路口、今出川口、出水口などが
あります。
御苑内は自由に通行でき、玉砂利が敷き詰められた道、そして緑の芝生に、
松、銀杏、楠、桜、紅葉などの樹木が茂り春夏秋冬、季節毎に彩りを
そえる市民の公園となっています。
この御苑も明治2年の遷都までは、
皇族、公卿の家屋が建ち並ぶ
屋敷街でした。遷都の後、屋敷は
次第に取り払われ現在のような
公園となっています。あまり
知られていないですが、その往時の
名残で、築山、池、神社が点在して
残っています。

 九つの門の中で歴史上有名なのは
蛤御門(はまぐりごもん)で
しょうか。以前は新在家御門と
呼ばれていましたが、天明の大火
(天明8年、1788)で開門したので、
焼けて口を開ける”蛤”に例え
られ、以後、蛤御門と呼ぶように
なったと云います。

写真は御苑内の黄葉と紅葉、そして
今回取り上げた蛤御門です。
それよりもさらに有名な事件は、
蛤御門の変でしょうか、禁門の変とも、
元治甲子の変とも云われますが、
長州藩が朝廷に強訴に及び、蛤御門を
守る会津、桑名、薩摩藩兵と衝突、
両軍が大砲で応戦したため、その砲声
に公卿達は顔を青ざめ慌てふためいた
との記録が残ります。
今でも御門の梁にはめり込んだ鉄弾が
残りますが、門柱の下の方にある傷は
修学旅行生などによる悪戯のようです
蛤御門の東脇に生きている樹齢三百余
年のムクノキの巨木は長州藩家老の
来島又兵衛が戦陣に倒れ、
このムクノキ下で息を引き取ったことを
見届けた生き証人です。
戦いは一日で終わりますが、京都は
三日三晩の大火となり多くの民家が
焼失しています。破れた長州藩は朝敵と
され、長州征伐へと時は進むことと
なります。そんな激動の歴史の一面を
今に伝える蛤御門です。

「猿ガ辻」の鬼門の話など、御所内に
劣らずの興味も持てる京都御苑です。

Produce By 京の住人 戻る