/// 京都の鬼門、御所の鬼門 ///  (99/12/26)

 鬼が出入りするとかで、嫌われる鬼門ですが、京都の民家、社寺では
鬼門除けの風習が残っています。写真は京都御所の猿ケ辻と呼ばれるところで、
御所の鬼門となる東北角になります。

ここでは御幣を担いだ猿を金網に閉じこめて魔除けとしています。
この猿ケ辻、維新の頃には姉小路公知の暗殺現場でもあります。
丁度切り込みの陰から刺客が飛び出し、公知を暗殺したのでした。

今では白い砂利の広い辻となっていますが、当時は軒を合わせるように
公家の屋敷が建ち並び、この猿ケ辻は昼なお、うす暗かったと云います。

この犯人は分からずじまいとなっていますが、この猿が唯一の
生き証人?? かも知れません。

御所の北東角の猿ケ辻です。
赤外線のセンサーが取り付けて
あり、溝を渡れば警告放送が
流れます。

事情を知らない修学旅行生が
よく鳴らしています。


上の写真の左側の妻入り屋根の
中の画像です。金網に入れられた
猿が御幣を担いでいます。

御所の猿ケ辻には猿が金網に閉じこめられ
その場を守っているのですが、その猿ケ辻
から北東に500mほどの所に幸神社があります。
読み方は「さいのかみのやしろ」と読みます。
延暦15年(796)の創建と伝わりますから、
市内では最も古い神社の一つです。
この辺りは出雲氏が支配していた地域と
云われ、古くは出雲路幸神社、出雲路
道祖神社と呼ばれていたそうです。


何故かこの幸神社も猿と関係があり、
絵馬にも猿が描かれています。
鳥居横の石碑にも出雲路幸神社の銘と
共に「皇城鬼門除」と刻まれています。

さらに北東に目を向ければ赤山禅院にも
金網に入れられた猿がおります。
本殿には皇城表鬼門と書かれた板札が
掲げてあり、この地も鬼門と深い関係に
あるようです。赤山禅院は神仏習合の
形態を保っており、神社のように本殿と
称しますが、建物はお寺の本堂のような
造りで不思議な所です。
赤山禅院は赤山大明神を祀りますが、
この神様は陰陽道(おんみょうどう)の
祖神(おやがみ)だと云うことです。
ここにも陰陽道と深い関わりがみて取れ
ます。
ただ赤山禅院の創建は 864年と伝わり
ますから平安京の造営とは係わりが
なさそうです。
また、赤山大明神を梵字で表した絵馬
ならぬ、字馬は大変珍しいものだそうです。
なおも北東には、比叡山がそびえます。
その比叡山延暦寺を守護する日吉山王神社の
神使(かみづかい)も猿です。
このように見ると単なる偶然とも思え
ないです。昔の人々は何を考えていたの
でしょうね〜〜。
猿にまつわり、庚申信仰と云うものが
ありますが、この話はまたの機会に…

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