/// 秀吉を偲ぶ遺跡、旧蹟 /// (06/02/09)

 今回は豊臣秀吉を偲ぶ、遺跡、旧蹟などを二つばかり紹介したいと
思います。

まずは良恩寺、青蓮院の北側、小路を東に入り粟田神社を越えた所の
住宅街に良恩寺はあります。
小さな非公開寺院で、表からは境内の様子も伺いにくい寺院です。

永禄年間の開基で華頂山と号する浄土宗西山派のお寺で、本堂の
阿弥陀如来像は小野篁(おののたかむら)作と云われたり、地蔵堂の
導引地蔵は伝教大師が自ら刻んだとも伝わるなど、興味深い話が残り
ます。
導引地蔵尊の石碑が建つ良恩寺
導引地蔵の由来は、背後に火葬場があって
葬者がこの前を通る折に引導を渡したから、
また粟田口の刑場へ送られる罪人に末期の
水を与えた所からだとも云われます。

肝心の秀吉との関わりは、その昔、この
辺りに住み清貧の生活を送っていた茶人でも
ある善輔と云う酔狂な人物によります。
善輔は一個の釜をこよなく愛用し、茶を点て、
飯を炊き、煮物をして、往来の者を呼び入れ
ては、話を楽しむのを常としていたそうです。

ある時、秀吉はその釜が名品であるとの話を
聞きつけ、千利休にその手取り釜を黄金で
もって譲り受けるように命じたのでした。

この話に善輔は「もし、この釜を献上した
ならば、何を以て茶を飲もうか」、「太閤様が
所望されるのも、この釜を持っているからだと」、
怒りをもって惜しげもなく釜を打ち壊したと
云います。

この話を聞いた秀吉は大いに感嘆して「それ
こそ誠の道人である、釜を所望したのは自分の
誤りであったと」と云って、早速、二個の
手取り釜を鋳造させて、一つを善輔に与えたと
云います。美しい茄子型の手取り釜が良恩寺に
残り、それが秀吉より善輔に下賜された手取り
釜だと伝わります。
浄土院門脇の「湯たく山、茶くれん寺」碑
続いて浄土院、こちらも秀吉と茶に関わる話が
残る寺院です。千本今出川交差点より西へ直ぐ
の所にあるのが浄土院。浄土院は金戒光明寺に
属する小さな尼寺です。こちらも普段は非公開
ですが、門脇に「湯たく山、茶くれん寺」との
石碑が建ちます。

本堂には重要文化財にも指定されている阿弥陀
如来像が安置されていますが、皇室ともつな
がる般舟院の隠居所であったとの伝えが残る
ぐらいで、創建の時代など詳細は判らないと
云います。

「湯たく山、茶くれん寺」の由来は、秀吉が
全盛の頃、催す北野大茶会の検分に際して、
名水が湧くことで名高かった浄土院に立ち
寄って茶を求めたことがその興りです。

尼僧は名だたる茶人としても知られた秀吉に、
滅多な茶は出せぬと白湯(さゆ)を出したとか…、
秀吉は尼僧が聞き違えたものかと、再度茶を
求めたが、尼僧は再び白湯を出したそうな。
白湯ばかりで、お茶を出してくれなかった尼僧に、
秀吉は、洒落気を利かしたのでしょうか、
この寺は「湯たく山、茶くれん寺」とするが
よいと云ったとか。この話が伝わり石碑も建つ
浄土院です。

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