/// 善気山法然院 萬無教寺 /// (00/11/23)
「ぜんきさん ほうねんいん ばんぶきょうじ」、これが法然院の 正式な寺名です。 鎌倉時代の初期、法然上人が弟子の安楽坊、住蓮坊と共に六時礼賛 (ろくじらいさん)を唱え、念佛三昧の行を結んだのが、その始まりと 伝わります。 六時礼賛とは一日に六回、阿弥陀仏を讃えて抑揚をつけて唱える お経のこと、この法然上人の専修念佛の教えが広まる中で、 後鳥羽上皇の女官であった松虫姫・鈴虫姫の出家に端を発した 「建永の法難」において、法然上人は流罪の刑に処されてしまいます。 その後、ここ草庵は荒廃してゆくこととなりますが、江戸時代に忍澂 (にんちょう)上人が浄土宗の僧侶の堕落を憂い、宗祖法然上人の ゆかりの地、善気山に再び道場を建立することを発願し、知恩院の 法灯を継いだ萬無上人の許しを得て創建されたのが、現在の法然院です。 |
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善気山は山の名、法然は当初の開山主で ある法然上人、萬無は当時の知恩院貫首の 名となっています。 正面の茅葺き門は紅葉のポスターに 登場することも多いです。 一昨年はJR東海の「そうだ、京都へ 行こう」にも使われていました。 一段高くなったその茅葺き門からは、 さほど広くない境内、本堂が見渡せます。 そして目に付くのが参道両脇の砂盛、 |
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正確には白砂段(びゃくさだん)と云って 普段は水の流れを意味する文様が描かれて おり、その間を通ることによって身を 清める意味合いがあります。 その白砂段も季節に合わせての草花が 描かれることもあります。 今の時期なら紅葉の葉が描かれている のかも知れません。 本堂には恵心僧都作と伝わる阿弥陀 如来座像が安置され、その須弥壇 (しゅみだん)上には、仏の道を説くと いう二十五菩薩になぞらえて、毎朝 二十五の季節折々の生花が散華されます。 また、作家、谷崎潤一郎、東洋史学の 内藤湖南、哲学者の九鬼周造、経済学者の 河上肇などが眠る地としても知られています。 普段において本堂は非公開ですが、境内は 自由に拝観できます。 |