/// 住蓮山安楽寺 ///  (00/11/09)

 住蓮山安楽寺(じゅうれんざんあんらくじ)は鎌倉時代初め、
浄土宗を開いた法然の弟子である、住蓮房・安楽房の二人の僧が
念仏道場として「鹿ヶ谷草庵」を結んだのが、その始まりと
云われています。

普段は非公開で春のツツジの頃と夏の「鹿ヶ谷カボチャ供養」、
そして秋の紅葉の頃のみ公開されます。
紅葉特集でも紹介しましたが、今年の秋の公開は11月11日以降の
土曜、日曜、祝日と12月第一週の土曜、日曜、時間は 9:30〜16:30 の
予定です。
一部特権階級のみの貴族仏教が全盛の
時代、庶民の仏教を説いたのが法然
上人、その教えは「すべての人は
平等で、南無阿弥陀仏を唱えれば
救われる」と、簡単明解。
その教え、念仏仏教は瞬く間に庶民、
新興武士階層に浸透していきます。

その中で、後鳥羽上皇の女官であった
松虫姫・鈴虫姫が法然の教えに感化
され、住蓮房・安楽房の元で出家
してしまいます。二人の姫の出家に
怒り心頭の後鳥羽上皇は、安楽上人を
六条河原で、住蓮上人を近江の馬淵で、
それぞれ打ち首の刑に処し、時に
75歳の法然を讃岐への流罪の刑と
処します。俗に云うところの専修念仏の
弾圧で弟子の親鸞までもが越後に
流されると云う「建永の法難」です。
安楽上人、辞世の詠
「今はただ云ふ言の葉もなかりけり
   南無阿弥陀仏のみ名のほかには」

住蓮上人、辞世の詠
「極楽に生まれむことのうれしさに
     身をば仏にまかすなり希里」

その後、許されて帰京した法然が住蓮房・
安楽房の菩提を弔うため、かつての
鹿ヶ谷草庵の地に創建したのが
住蓮山安楽寺です。

 住蓮房・安楽房の墓/松虫姫・鈴虫姫の墓

例年、公開日には宝物である「住蓮
上人松虫姫剃髪図」、「安楽上人
鈴虫姫剃髪図」、「安楽寺縁起絵」、
「小野小町九相図」なども公開されます。

境内には住蓮房・安楽房の墓と五輪石塔、
松虫姫、鈴虫姫の小さな墓があります。
哲学の道の散策がてら、心優しき松虫姫、
鈴虫姫に思いをめぐらせて安楽寺を
訪ねてみて下さい。

もうすぐ山門前石段の紅葉が綺麗に
色づきます。

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