/// 「新」ではないけれど、今熊野観音寺  ///  (01/03/12)

 ここ最近の話題は混乱しそうな話題が続いて、「新熊野神社」と
書いて「いまくまのじんじゃ」と読んでいましたが、今回は今熊野
(いまくまの)観音寺。
熊野の言葉が示すとおり、ここも紀州熊野と関わりがありそうです。
今熊野観音寺は平安時代初期、嵯峨天皇の
勅願により弘法大師空海が創建したと伝え
られています。ご本尊は空海が東寺での
修行中、輝きの山中で熊野権現の化身で
ある翁に出会い、その翁より授かったと
云う一寸八分の観音像を体内仏として、
空海が自ら彫刻したと伝わる十一面観世音
菩薩です。
新熊野神社もそうでしたが、後白河
天皇は、ここ今熊野観音寺をも深く
信仰され、今熊野観音寺を新熊野神社の
本地堂とされました。本地(ほんじ)とは、
本来の姿、元の姿、形と云う意味が
あります。
奈良時代より、神と仏は一体とする思想が
あり、よく話題の中で、神仏混淆とか神仏
習合と云う言葉、そして関連して廃仏毀釈
などの言葉が登場しますが、その意味合い
に通じるものです。
神仏混淆、神仏習合は仏の姿では庶民の
救済も難しいので、神に姿を代えて
庶民の救済をしようとするものです。
ちなみに紀州熊野神社の本地仏は
阿弥陀如来だと云われています。
この思想に重きを置いたのが両部神道と
云われる教義です。
しかし、明治政府の神仏分離令によって
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が
吹き荒れます。
本来この神仏分離令は神と仏を分ける
意味合いだけだったのが、退廃していた
仏教界にその矛先は向けられ、寺院、
仏像、仏具の廃棄運動へとつながります。
時おり寺院の境内に神社が見かけられる
のは、廃仏毀釈の難を逃れ、神仏習合の
姿を今にとどめている証です。
話は大きく逸れましたが、今熊野観音寺
境内を見渡すと、さほど広くはない境内
です。小高い山の山腹の広場に、
こぢんまりとした端正な本堂があります。
観光の方は以外に少なく西国三十三所
十五番霊場とかで、巡礼者の姿が目立ち
ます。
また、弘法大師が錫杖(しゃくじょう)で
岩をついたところ、清水が湧き出したと
伝わる「五智水」、そして本堂前の
「五色のもみじ」も知られます。
この「五色のもみじ」は知る人ぞ知る
隠れた紅葉スポットです。

今熊野観音寺へは泉涌寺への道程を
たどり、その中程で左に下がる坂道があり、
そして鳥居橋を越えればすぐの所に
あります。
お寺の境内に鳥居橋、これも神仏習合の
名残???
考えすぎのようです…

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