/// ひっそりと淨住寺 /// (03/02/13)
淨住寺は地蔵院から南へ2、3分ほどでしょうか。 向かい側は住宅街ですが、お寺はこんもりとした森にあります。 歴史は古く、810年(弘仁元)と云うから、平安京の造営直後の頃に 円仁が嵯峨天皇の勅願によって、釈迦の歯を安置して開創した寺と 伝わります。ただ、創建当時は「淨住寺」ではなく「常住寺」と 名乗っていたようです。 その後、1261年(弘長元)に葉室中納言定嗣(法名は定然)が西大寺の 叡尊を迎えて今の淨住寺と名を改めると共に律宗寺院として葉室氏の 菩提寺としたと伝わります。 このような経緯から常住寺旧跡、嵯峨天皇仏舎利安置所とも云われたり するようです。 |
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時を経て、戦国時代にはその兵火に よってことごとく堂宇は焼失し、 長くの荒廃の歴史を刻むこととなり ますが、1689年(元禄二)、江戸時代 に入り、葉室大納言頼考により鉄牛 禅師に帰依するとともに黄檗宗の 禅寺として再興され今に残ります。 黄檗宗と云えば宇治にあって総本山 でもある萬福寺が有名で、その萬福寺は 卍くずしの勾欄など一目瞭然に中国風の 意匠が見て取れますが、ここ淨住寺は それまでの和様の寺院建築と、黄檗宗の 中国風の雰囲気も漂い混ざる印象を 受けます。 本堂には本尊として如意輪観音を安置 しますが、禅寺である淨住寺に何故に 如意輪観音が本尊なのって思ってしまい ます。 元々、禅宗は本尊に拘らない宗派で、 福井県の曹洞宗大本山、永平寺でも 本尊のことが問題視されたのは明治に なってからのことだと聞きます。 |
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臨済宗、黄檗宗の本尊は釈迦如来だと 云う説もあれば、本尊は一定しないと 云う説もあったりします。 考えれば禅宗は仏様に拘らない宗派と 云うのが、やっぱり正しい答えかな〜。 なので、他の密教系、浄土系のお寺と 異なり、本尊もひっそりと飾り気なく 安置されている場合が多いです。 宗派と本尊の関係はそのお寺がどの 経典に重きを置いているかで変わって くるので、宗派によっても異なるし、 同じ宗派でも微妙な経典の扱いに よっても変わったりするので、一定の 傾向はあるけれど、細かく書き出した ならキリがないってところです。 仏様があって自己の心を写すのも信仰 ならば、禅宗のように修行の中で心の 中だけに仏様を浮かばせるのも信仰、 よく他の宗教で形だけを見て心を 見ないで、像などは偶像崇拝とか 云っているのは真の信仰の意味が 判っていないのでは、と思ってしまい ます。 |
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山門をくぐり、こんもりとした 小さな森を抜け、手積みかとも 思われる趣ある石段を少し登ると 本堂に出ます。 夏は心地よさそうな淨住寺、 人知れず、ひっそりとした淨住寺です。 さらに南へは葉室神社、西蓮寺とか ありますが、話題として書きようが ないと云うか、調べようがないので 洛西めぐりはこの辺りでお終いに なります。 |
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そう、ひとつ小さな話題、道が戻って 申し訳ないですが、松尾大社から北へ 5分ほどの所でしょうか、薬師寺と 云う小さなお寺があります。 と云っても小高い山の上、人気も なく普段はそのお堂へも入れない ような雰囲気でしたが、そのお堂には 梯子地蔵が祀られています。 何でも幼児のおねしょや、シモの 病気の平癒祈願の信仰があるとか。 祈願成就のお礼に50cmほどの梯子を 奉納することから通称”梯子地蔵”と 云われます。通り道から小高い山の上を 見て、何とかお寺と見える程度ですが、 見つけたなら思い出して、ちょっと 微笑んで下さい。 |