/// かぼちゃ供養、安楽寺  ///  (02/07/22)

 この25日には東山の安楽寺で「かぼちゃ供養」が行われますが、
そのかぼちゃは今では”鹿ケ谷かぼちゃ”として知られます。
京野菜の一つともなっている鹿ケ谷かぼちゃですが、見た目は
典型的な瓢箪の形をしています。鹿ケ谷かぼちゃは約180年前に
粟田村の玉屋藤三郎と云う農民が津軽より持ち帰り、鹿ケ谷村の
百姓だった庄兵衛と又兵衛に作らせたのがその始まりと云われます。

当初は今の瓢箪形も扁平なものだったようですが、数代作り続ける
内に今のような瓢箪形になたっと云います。肉質は緻密、粘質で
煮くずれせず、光沢があり味付けがしやすく美味しいと云うので、
京都のかぼちゃと云えばこの鹿ケ谷かぼちゃを指す時期もあった
そうです。ところが鹿ケ谷の麓に琵琶湖疎水が通じてからは漏水に
より畑作が困難となり、水田へと変化していったこと、いかんせん
美味しい部分は瓢箪形の下の部分だけであったことなどにより、
徐々に衰退していきます。今では鹿ケ谷かぼちゃとは云うものの
洛北、洛西で作られているようです。
京野菜のひとつ、鹿ケ谷かぼちゃ
かぼちゃ供養は真空益随上人が、
かぼちゃを食すると中風にかから
ないとの霊験を得て、かぼちゃを
仏前に供えて供養したのが、その
始まりで220年ほど前のことになると
云います。
気付かれましたか、始まりの勘定が
合わないのです。かぼちゃ供養は
220年前、鹿ケ谷かぼちゃが作られる
のは180年前、と云うことは鹿ケ谷
かぼちゃ登場のそれ以前は別の
かぼちゃを供えていたことになります。
普通のかぼちゃだったのでしょうかね。
北野天満宮本殿のかぼちゃの彫りもの
かぼちゃと云えば北野天満宮にも
かぼちゃにまつわる話が伝わります。
中国ではかぼちゃに武運長久の意味が
あるとかで、これにあやかりたいと
豊臣秀頼が本殿再興の際に武運長久を
願い蛙股(かえるまた)にかぼちゃを
彫り込んでいます。改修工事も終えて
綺麗になり見やすくなっていますので、
本殿に向かって一番右端、奥の蛙股に
三つのかぼちゃが彫り込まれています。
北野天満宮へ行かれる機会があれば
確かめてみて下さい。

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