/// 歌舞伎と出雲の阿国  ///  (01/01/12)


 「阿国歌舞伎発祥の地」の碑
 四条河原の南座は歌舞伎発祥の地として知られ、
南座横手には阿国歌舞伎発祥の地の碑もあるのですが、
よくよく調べてみると、それは1603年、出雲の阿国が
北野天満宮境内の小屋掛けで「かぶき踊り」を
披露したのが、その始まりとする説もあります。

今は「歌舞伎」と云う字を書きますが、当時は
「かぶき(傾奇)踊り」と云っていたようです。
それは念仏踊りがそのルーツです。
京都では六波羅蜜寺の踊躍念仏踊が有名ですが、
他にも大原、八瀬、松ヶ崎、岩倉、上高野、洛北などに
念仏踊りが伝承されています。

かぶき踊りは鐘の鐘(しょう)を鳴らし、恋歌を歌い
ながら踊ると云うもので、今の歌舞伎とは趣が異なって
いるようです。

   「出雲の阿国」の像
「傾く」(かぶく)を広辞苑で調べてみると、「異様な
身なりをする人」とか「歌舞伎をする」と云う意味が
あります。
この「かぶき踊り」は阿国(女性)が短い髪で、派手な
色使いの着物の男装姿で踊ると云うもので、当時としては
異様な光景だったのでしょう。

1603年と云えば、徳川家康によって江戸幕府が開かれた
年です。
それまでの戦乱に明け暮れた戦国の世と云う時勢にあって、
幕府が開かれたとはいえ、まだまだ混乱の世の中で
あったのでしょう。
そのような時代背景の世だから、阿国のような異様では
あるけれど、新鮮な感覚の踊りが登場したのかも
知れません。

四条大橋、右手、川端通を超えれば南座があります。
その異様さも次第に庶民のあいだでは
流行しはじめ、人気を博してゆくことに
なります。
この踊りが遊女の間で流行し始めると、
風紀の乱れを理由に女性の役者踊りが
禁止されてしまいます。
このような変遷があって、単なる話題性
から筋書きのある物語、演出の魅力を
もった演劇へと移り変わって、今の
歌舞伎へとつながてゆくことになります。

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