/// 貴船神社  ///  (02/05/30)

貴船神社本殿
 貴船神社はその昔、反正天皇の頃、
神武天皇の母である玉依姫が黄船に
乗って、加茂川、貴船川を遡り、祠を
設けたのがその興りと云われ、今は奥宮と
なっている所には、その玉依姫が乗って
きた船を石で囲んで隠したと伝わる
船形石が残っていたりします。
周りの小石三つを携帯していると航海、
旅行の安全にもなると云われます。
このいわれから船形石は安全航海に
ご利益があるとかで、こんな山奥の社
だけれど、船舶関係者の信仰も篤いよう
です。

その本宮も平安時代中期には貴船川の
氾濫により、現在の地に遷されたと云い
ます。社名は古くは木船、貴布祢とも
書いていて、今の貴船となるのは明治
四年と比較的新しい社名です。
そしてあまり知られていませんが江戸
時代は賀茂別雷社、いわゆる上賀茂神社の
摂社でした。
二の鳥居から本殿への参道
また、貴船と云う地名も、この黄船と
関係するものと思いますが、古くは
気生根、気生嶺と書いて「きぶね」と
読んでいた時代もあると云います。
気が生ずる所、気の生ずる根元と云う
意味があるらしいですが、約1600年前に
黄船の伝説がある訳だから、それ以前
の話?、だとすればもう古代飛鳥時代の
話となるのでしょうかね。貴船と木船、
そして気生根、うまく語呂がかみ合って
いるものだと感心しますね。
この当たりは伝説の面白さでしょうか。

そんな奥深い山の中の神への畏敬も
平安遷都後は平安京の水源として認識
されたのか、川の清浄を護る神とされた
タカオカミノ神が祀られることになります。
日照りや長雨が続くと朝廷は勅使を派遣し、
日照りの時は黒馬、長雨の時は白馬または
赤馬を奉納し、それぞれ降雨、晴天を
祈願したと云います。しかし時には生きた
馬に代えて「板立馬」を奉納したことも
あったようで、これが今に伝わる絵馬の
原型だと云われています。
二の鳥居、一の鳥居は梶取社近くです。
水との関わりが深い貴船神社ですが、
今でも本宮前の奥まった所には御神水が
湧き出ていて、夏は冷たく冬は温かい水は
涸れたこともなく、一年汲み置きしても
変質しなかったとか…。
この御神水、自由に飲めて、持ち帰りも
出来ます。またその傍らには水占(みず
うら)みくじの場があり、その御神水に
くじを浮かべると水の霊力によって文字が
浮かんで見える占いです。無粋な化学的、
物理的変化は別においといて、ちょっと
今日の運勢試しです。

本宮から奥宮に向かって10分ほど、結社
(ゆいのやしろ)があります。本宮と
奥宮の中程にあるので中宮(なかみや)
とも云われますが、縁結びの神、磐長姫命
(いわながひめのみこと)を祀ります。
この結社の境内のススキ、青草など細長い
草の葉を互いに結び合わせて祈願すると、
縁を結ぶ願いがかなうとされています。
さすがに今では境内の草々を結ぶことは
止められているようですが、代わりに結び文
と云うのが授与され、それを結社に結ぶ
ことになっているようです。
ちょっと判りにくいですが、船形石です。
縁結び、いやこの場合は復縁結びでしょうか、
そんな話が残っています。ある時、夫、
橘道貞の心変わりに自らの心を癒そうと
貴船神社に参詣した和泉式部は貴船川に舞う
蛍を見て「もの思へば沢の蛍もわが身より
あくがれ出づる魂かとぞ見る」と歌を詠むと、
貴船の神から「奥山にたぎりて落つる滝つ
瀬の玉散るばかりものな思ひそ」と返歌が
あたっと云い、それで夫の愛を取り戻す
ことが出来たそうで、「後拾遺和歌集」に
載せられている歌です。
枯れることもない御神水
ちなみに歌の意味は、”あれこれ思い悩んで
ここまで来ると蛍が飛び舞っています。
そのはかない光は、まるで自分の魂から抜け
出て飛んでいるようです”、そして返歌は
”しぶきをあげて落ち飛び散る滝の水玉の
ように心もそのように思えばよい(思い詰め
ない方がよい)”です。

また、縁結びと正反対をなす貴船の丑の刻参り
が話として残ります。時として縁結びに深い
社寺には、その正反対の側面を併せ持つ所が
多いです。今日は貴船周辺で紹介すべき所が
まだまだあるので、この話は次回以降に譲る
として、さらに奥宮へと歩みを進めると
相生の大杉が表れます。同じ根から生えた
二本の杉の大木が、その寄り添う姿から
相生の杉として親しまれています。
和泉式部も手を合わせたであろう結社
次に思い川橋を渡ることとなりますが、
奥宮が本宮であった頃には禊ぎ(みそぎ)の
川、御物忌(おものいみ)川と云って参詣の
折りに心身を清めた場所だと云われています。
その「おものいみ」が訛って「おもひ」になり
「思ひ川」となったと云われます。これも
和泉式部の名のなせる技か??
確かに思ひ川の方が雰囲気はあります。
左手に高さ5mあまりにもなる「つつみが岩」
が見えてくるともう奥宮は間近です。

貴船周辺にはいわれのある大岩が幾つか
あります。この「つつみが岩」の他に奥深い
山中にある「鏡岩」、この鏡岩には丑の年、
丑の月、丑の刻にこの鏡岩に貴船の神が
天から降りてこられたとの伝説が残っています。
お隣の鞍馬寺には寅の年、寅の月、寅の刻に
毘沙門天が天から降りてきて鞍馬寺が興ります。
昔の時刻表記で丑の次が寅、これもお隣同士、
これ、何か関係があるのかな〜〜?
今は思い川、さて、今、誰を思う?
また今の叡電貴船口駅から本宮までの間には
駅近くに「蛍岩」、バス駐車場の下流に
「烏帽子岩」があります。烏帽子岩は大宮人が
烏帽子を下ろし身を清めた場所と云われ、
「蛍岩」は先ほどの和泉式部が詠んだ歌の
情景だと云われる場所です。
今でも蛍の名所となっていて例年では7月の
初め頃に蛍の舞を見ることが出来るそうです。

話が脱線しながらもやっと奥宮に到着です。
朱色の小さな門をくぐると不思議な空間が
広がります。元の本宮ですが、今も奥宮と
して幾つかの社殿が建ち、大木に囲まれた
空気はすがすがしいものを感じます。
ぐるりと見廻すと先に紹介した船形石が目に
止まると思います。
奥宮の本殿下には竜穴があると云い、実際、
大きな穴が開いているそうですが、ご神体とも
云えるところなので見ることは出来ません。
幕末に社の修理をした際に大工が誤ってノミを
落としてしまったところ、竜穴から暗雲が
湧き立ち、その大工は命を落としたと云う話も
伝わります。真偽のほどはともかく、そんな
神秘的な雰囲気もある奥宮です。
”舵を取る”由来から交通安全の信仰も
それから傍らには謡曲「鉄輪」(かなわ)の
説明文が建っていると思います。
丑の刻参り伝説と関わりがある話です。

最後に駅に戻りますが、貴船口駅から少し道を
下った所に梶取橋を渡って梶取社(かじとり
しゃ)があります。
黄船の舵を取ったと云われる神を祀り、
その船を貴船へと大きく舵ををとった場所と
して社が祀られています。
駅から数十mなので、時間が許せば足を
延ばしてみて下さい。
車窓よりは朱色の梶取橋はよく見えます。

貴船は京都の奥座敷とも云われ、真夏でも
涼しさを感じます。また川面に手が届くほどの
ところに設けられた床で頂く味は川床料理と
して知られ、京都の夏の風物詩のひとつです。

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