/// 陰陽師、鬼一法眼 ///  (01/10/12)

 安倍晴明(あべのせいめい)は平安時代中期の陰陽師、テレビドラマ化
されたり、映画化されたりで、今や陰陽師といえば安倍晴明を思い浮か
べる方がほとんどだと思いますが、陰陽師は律令、今で云うところの
法律に定められた陰陽寮と云う役所に所属する国家公務員、今に例えると
文部科学省、気象庁、総務省などをまとめたような役所の技官であった
ことになります。

時代の経過と共に国家公務員の陰陽師、陰陽道が民間へも広まり数々の
伝説が創造されていきます。こと安倍晴明に関しては晴明を祖と仰ぐ、
土御門系の陰陽師が自らの宗派、教えの興隆のために平安末期の末法思想に
おける民衆の不安に乗じて伝説が造られたものと思われます。それが現代に
おいては劇画の流行によって別な形で知られるようになってきたようです
鞍馬寺境内の鬼一法眼社
その陰陽師ですが、国家公務員の技官は
ともかく、他にも多くの陰陽師の存在が
知られています。晴明につながる安倍吉平、
安倍吉昌、安倍泰、賀茂家の系譜になる
賀茂忠行、賀茂保憲、賀茂光栄、他にも
智徳法師、滋岳川人、弓削是雄、吉備真備、
晴明のライバルとも云われる蘆屋道満、
そしてこの鬼一法眼(きいちほうげん)も
陰陽師に名を連ねます。一条堀川に住み
公家、法師、殿上人などに数千の弟子を
有し、文武に優れ特に兵法の虎の巻を所蔵
していたと云います。

その鬼一法眼を祀る社が鞍馬寺境内にあり
ます。何故に鞍馬寺に法眼を祀る社がある
のかと云えば、源義経こと牛若丸に六韜三略
(りくとうさんりゃく)の兵法を授けたとも
伝わることによります。牛若丸は鞍馬の
天狗に兵法を習い弁慶との一騎打ちに勝って、
勢いで平家討伐へと赴くというのが一般的な
話ですが、この鞍馬の天狗が鬼一法眼なの
でしょうか。
叡電貴船口駅近くの鬼一法眼之古跡碑
歴史上、法眼の名は「義経記」に初めて
登場するようです。ちょっと待って…、
義経記と云えば創作的物語の感が強い
読み物だと聞きます。判官(ほうがん)
びいきという言葉がありますが、
これは義経が兄である頼朝に対する忠節に
もかかわらず、その兄のために都をも追い
出され、奥州を始め各地を放浪しなければ
ならなかった判官義経に対する民衆の
同情的な意味合いに由来しますが、
この意味合いを盛り上げるために鬼一法眼が
書かれたのでしょうか。

そんなあやうい立場の鬼一法眼ですが、
鞍馬寺境内に社が残り、そしてまた叡山
電鉄の貴船口駅近くには鬼一法眼之古跡と
しての碑が建ち、この地は法眼のお墓が
あった所とも云われます。
その後、「鬼一法眼三略巻」は浄瑠璃、
歌舞伎の題材ともなりますが、陰陽師、
鬼一法眼は京都の歴史を生きた人物として
これからも伝えられていくことでしょう。

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