/// 源義経と鞍馬寺 /// (01/10/25)
源義経と云えば鞍馬の天狗に兵法、剣術を習い、五条大橋では 弁慶をうち負かし、平家追討の大活躍をするも、実の兄である 源頼朝に命を狙われ、奥州は衣川で世を去った人物として知られます。 また、一説にはモンゴルに渡ったとか突飛もない話も伝わる人物で あったりもします。 |
![]() |
義経こと幼名「牛若丸」の父は義朝、 母の常磐御前が平清盛に身を任せる 引き替えにその命を永らえ、七歳の時 に鞍馬寺の覚日阿闍梨の弟子となり、 昼間は東光坊で学業に励み夜が更けると 僧正ガ谷で天狗に兵法、剣術を習った と云います。 鞍馬寺に預けられた牛若丸は遮那王と 呼ばれていたそうで、鞍馬寺ではその後、 衣川で亡くなった義経の魂は鞍馬寺に 戻ったとされ、神格化され、護法魔王尊 の脇侍となり、遮那王尊として奥の院の 義経堂に祀られています。 僧正ガ谷とは鞍馬山から貴船にかけて 一帯の山や谷を指します。今も森は 深く昼なお薄暗い一帯です。 |
![]() |
鞍馬寺の本殿金堂脇から貴船へとその 道は続きます。ちょっと話は逸れますが、 普通、寺院ではその中心となる建物を 本堂あるいは金堂、中堂、仏殿などと云い ますが、鞍馬寺では本殿金堂と、お寺と 神社が融合したような呼び習わしをします。 これは魔王尊、毘沙門天、千手観世音の 三尊尊天を祀ることによるものですが、 これはとりもなおさず神仏習合の始まり のような形態を持っています。 この話は別の機会に譲るとして、鞍馬寺 より貴船への道は牛若丸が兵法、剣術の 稽古をした道ですが、昼なお薄暗いその 道は夜も更けると足下も見えぬ暗闇、 いや真っ黒な世界に違いないと思えます。 故にフィクションであるにしても牛若丸の 数々の活躍伝説も生まれる素地の一部分 かなと思ったりします。 |
![]() |
その道すがらには今も牛若丸ゆかりの 遺跡が点在します。牛若丸が修行に 通う途中に喉の乾きを潤したという 「息つぎの水」、奥州に出向く 牛若丸が名残を惜しんで背丈を比べた と伝わる「背比石」、さらに進むと 「義経堂」、謡曲「鞍馬天狗」では 鞍馬天狗と牛若丸が出会ったと云われる 「僧正ガ谷不動堂」があります。 順路は遡りますが、鞍馬駅から鞍馬寺 仁王門をくぐって本殿金堂までにも、 牛若丸の守り本尊であったと云う 「川上地蔵堂」、勉学に励んだ「東光坊 跡、義経供養塔」もあります。 |
![]() |
叡電鞍馬駅から仁王門まで徒歩3分、 仁王門から本殿金堂まで少し急坂の 九十九折参道を徒歩30分、仁王門〜 多宝塔間のケーブルを利用した 場合は10分。さらに義経堂を経由して 貴船へは山道を40分、この道は木の根 道とも云われる部分があります。 これは岩盤が露出しているため木の 根も地上に張り出しているもので、 歩きにくい山道です。足下には十分 ご注意を!! それと貴船〜貴船口間のバスは本数が 少ないです。最終便にもご注意下さい。 訪ねるには貴船から反対方向で鞍馬寺に 抜けるのが良いかも知れません。 |