/// 清水寺に参りましょう。 /// (02/01/17)
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くくり猿は魔除け.....八坂の塔 清水寺、説明の必要もないぐらいの 清水寺ですが、ちょっとしたこぼれ話で 参ってみましょう。 京都駅からの市バスだと五条坂で下車し 五条坂から清水新道、通称「茶碗坂」を 登るか、チンチンバスも停車する、 一つ北のバス停、清水道で下車して 清水坂を登るのが一般的ですが、私の お薦めは清水道バス停から北へ二つ目の 交差点より清水寺を目指すコースです。 その交差点に立つと石畳の道の奥に八坂 の塔が見えます。 正式な寺名は法観寺ですが、八坂の塔の ほうが通りはよいです。 この辺りの商店街には猿を模した赤い 魔除け、くくり猿が軒先に吊されて います。その八坂の塔を真下から眺め つつ、魔除けと係わりある八坂庚申堂、 そして二年坂、三年坂(産寧坂)より 清水寺に至ります。![]()
善光寺 仁王門は現在解体修理中ですが、その 直ぐ前に善光寺と云う小さなお寺が あります。如意輪観音を祀りますが、 そのお堂には通称「首振地蔵」と 云われるお地蔵様も祀られています。 首振りと云われるだけあって、この お地蔵さんは首が回るのです。何でも 鳥羽八と云う祇園にいた太鼓持の 自刻像とも云われ、願いのある方角に 首を回しての思いごとは叶うと伝わり ます。 さて西門を右にみて階段を登ると 随求堂(ずいぐどう)に出ます。 その前にある景清爪形観音はちょっと 怖ろしい伝説を持つ景清が爪で彫刻 したと云われる観音様です。 その怖ろしき伝説はこう伝えます。![]()
首振地蔵様、少し横を向いて頂きました。 「おごれる人も久しからず」、そう 壇ノ浦で滅んだ平家に代わり、源氏の 世となり、栄える源氏を目の当たりに するのを嫌って景清は自ら自分の目を くり抜き清水寺に納めたと云う、その 人です。爪形観音は燈籠のような 石塔の中にあって、非常に判りにくい です。二つの覗き窓のような切り 込みがあるので、そこから拝見でき ます。まずその存在に気づく人は いないだろう景清爪形観音です。 受付を済ますと、中門になります。 轟門(ごうもん)とも云われますが、 八脚の珍しい門構えです。この門の 北側の柱にえらく、くぼんだ部分を 見つけることが出来ます。何でもこの 柱のくぼみを撫でれば、遠い耳が聞こ えるようになるとか、良いことを聞く ことが出来るとかで、信心深く撫でて いく地元の人がおられます。 話の種に是非に見つけてみて下さい。![]()
景清爪形観音 本堂、清水の舞台、縁結びの地主神社は ガイドブックに任せるとして、舞台の 下で音羽の滝に柄杓を延ばす光景は いつもの和やかな風景です。 そして帰り道に二軒の茶店があるのを ご存じでしょうか。「忠僕茶屋」と 「舌切茶屋」です。 その由来は幕末のお話。勤王の志も厚い 月照上人、西郷隆盛は追っ手に追われ 鹿児島湾で身を投じます。月照上人は 亡くなり西郷隆盛は一命を取り留め ますが、月照上人の下僕であった重助は 捕らえられ牢獄に入れられることと なります。 その後、釈放された重助は西郷隆盛、 清水寺の援助で境内で茶店を開く ことを許されます。これが今に残る 「忠僕茶屋」です。![]()
中門(轟門)、八脚の珍しい門です。 一方、「舌切茶屋」は、同じ頃に 清水寺の寺男だった近藤正慎は京都西 奉行所に捕らえられ、月照上人の動向を 厳しく追及されたと云います。しかし、 正慎は口を開くことはなく、日毎の 尋問に体力も衰え、そして弱音の末に 口を開いてしまうことを恐れ、自ら 牢獄の壁に頭を打ち付けた上、舌を噛み 切って亡くなったと伝わります。 そのような由来もあって二つの茶店は 子孫に茶店を営むことが許され、今に 伝わっています。 清水寺の帰り道、休むのもよし、ちょっと そんなお話も思い出して頂ければ嬉しい です。