/// ここも小町、少将ゆかりの地、菊野大明神、退耕庵 ///  (01/06/30)

 今回は河原町二条上ルの法雲寺に
ある菊野大明神からです。
この菊野大明神のご神体は霊石です。
この霊石は元々は三条東洞院にあった
らしいのですが、天明の大火の後に、
この地に移され菊野大明神として祀ら
れたようです。
伝わる話によれば、この霊石は、あと
一夜で思いを果たせなかった
深草少将が腰掛けた石と伝わり、
少将の果たせぬ一念がこもった石とされ、
この石の傍らを通ると男女の縁が切れる
と云われています。

かつては願掛けの折りに髪の毛を供える
と云う風習もあったらしく、祠に巻き
付く髪の毛で不気味な雰囲気だった
そうです。今ではその風習は廃れて
いますが、男女の悩みで訪れる人も多い
ようで、深草少将の一念は今も伝説の
中で生き続けているようです。
婚礼の時はけっして菊野大明神の傍らを
通らないのが京都の習わしとなって
います。

一条戻橋は安倍晴明伝説、鬼女と
渡辺綱伝説などで知られますが、
その一条戻橋からさらに東へすぐの所に
「小町雙紙洗水」遺跡があることは
あまり知られていません。
と云っても石碑が一本、それを示している
だけで、他には何もありません。
北に小町通と名が付いた通りもありますが、
この通りは昭和の初めにこの辺りが火災で
灰燼に帰した時に復興策として設けられた
道路で、小町とは直接の関係はありません。

井戸はこの火災までは残っていたらしく、
大伴黒主との歌合わせの様子が伝説として
残ります。黒主も小町と並んで六歌仙の一人。
日頃から小町の活躍を妬み、ある時の
歌合わせの時に黒主は策を謀り、小町の
歌草紙に万葉集の一部を加筆して騒ぎを
起こす魂胆だったけれど、小町は
何くわぬ顔で草紙を井戸の水で洗うと、
加筆された文字は流れたと伝わります。
その伝説の地も今は一本の石碑に思いを
馳せるだけの地となっています。

もう一カ所、「化粧水」と刻まれた
石碑が建つ地があります。
そこは四条西洞院、京都のメイン道路
でもある四条通に面してローソンが
入るビルの脇に、誰もが忘れている
かのようにその碑は建っています。
小野小町が産湯を使った化粧の水跡だ
そうです。
退耕庵の小町百歳井

小町ゆかりの地はこれで終わりかと
思いきや、まだあるのです。
東福寺の塔頭のひとつ退耕庵には
「小町百歳井」が遺っていたり、
地蔵堂に安置される高さ2mほどの
地蔵菩薩像には、その胎内に小町に
寄せられた多数の艶書が納められて
いると云います。
このことからこのお地蔵さんは
「玉章(たまずさ)地蔵」の名で
知られます。

話はそれますが、退耕庵にある茶室
作夢軒は豊臣秀吉の没後、石田三成、
宇喜田秀家らが関ヶ原の戦いの策を
謀ったと伝わる茶室です。
退耕庵、小町地蔵堂の額
そして退耕庵は幕末の鳥羽伏見の戦いで
長州藩の陣が置かれていたことでも
知られます。

京都に遺る小野小町、深草少将伝説
ですが、また新たな遺跡などが見つ
かれば紹介したいと思います。

Produce By 京の住人 戻る