/// 深泥池 ///  (00/09/12)

 深泥池(みどろがいけ)、読めましたか?
深い泥の池、当を得ている地名でしょうか。
深泥池は上賀茂神社、大田神社の東に位置し
大田神社から歩いて20分ほどでしょうか。

面積は約9ヘクタール、周囲約1.5Kmの
大きさで、雨水と地下水といった栄養分の
乏しい水のみが流入しています。

このような閉鎖性が長年にわたり保持されて
きているので、氷河時代から生き残る動植物が
棲息、繁茂する環境だと云われています。
また、北日本あるいは山岳地帯に当てはまる
冷温帯のような特徴も併せ持っていて、浮島
などはその代表となっています。
写真の島のように見える部分は池に浮いて
います。奥の浮島にはもっと大きな灌木が
生育していたりします。
私が子供の頃は建物も無かったように思う
のですが、この辺りもぼちぼち家が建ち
始めていて気になるところです。

 この深泥池には「豆塚伝説」が残ります。
鬼が貴船の奥から地下の道を通り、この
深泥池の畔より出て世間、都を騒がせて
いたけれど、鬼が嫌う炒り豆を穴に投げ
込んで鬼を撃退したと伝わり、一説には
これが、節分行事の始まりとも云われます。
 その伝承と関わりある貴船(貴舩)神社が
深泥池の北西に少しの所にあります。
旧鞍馬街道に位置するこの地は京の六地蔵の
ひとつ、「みどろいけ地蔵」、現在の鞍馬口
地蔵が祀られていた所です。本宮の貴船神社は
水の神でもあり、水の恵みを祈願する農民に
とっての本宮貴船参りは、たいそうな道のり
になるので、江戸時代に分霊をもってこの地
に貴船神社が祀られています。

また、すぐきの神様である秋葉神社もあります。
平安の頃より火伏せの秋葉神社であったのが、
神仏混交の形態だったために、明治の廃仏毀釈
によって、賀茂社の社家によって打ち壊されて
しまいます。その翌年の大火によって村は
焼失してしまいますが、その焼け跡のどの家々
でも漬物樽も焼けてはいたけれど、中身は
焼け残っていたと云います。その焼け残りの
茎を食したところ、「酸い茎」やとの声が
あがり、これが現在の漬物「すぐき」へと
受け継がれています。

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