/// 長岡京 ///  (00/06/16)

 長岡京は鳴くよウグイス
(794)平安京より遡ること10年、
都が置かれた地でした。

桓武天皇が即位したのが781年と
云います。奈良の強い仏教勢力
から逃れるように長岡京に遷都
したのが784年、僅か10年の都
でした。

僅か10年で建設途上の長岡京を
廃し、平安京に移らざるを得な
かった訳は、都の建設の中心人物、
藤原種継が暗殺され、この事件の
波紋で、怪奇な事件が続発した
ことによります。

ここに京都での怨霊の第一号と
でも云える早良親王が登場します。
 恐れをなした桓武天皇は祟道(すどう)
神社に早良親王を祀り、その祟りを鎮め
ようとしますが、なお収まらず、
ついには長岡京の建設をあきらめ、平安京
へと遷都と云うのか、逃れると云う表現が
正しいのか、今の京都の地へ移ることに
なります。

 長岡京と云いますが、その中心部で
あった大極殿などは現在の行政区で云えば
向日市に位置します。
 上の写真の左は阪急西向日駅近くの
長岡宮大極殿跡の碑、右側が実際に
大極殿があった位置の石碑です。

大極殿があった場所は現在、ご覧のような
小さな公園になっています。

一番下の写真は大極殿につながる回廊が
あった場所で、その礎石が再現されて
います。
 これまでは建設半ばで放置された
長岡京と想像されていたのですが、
ここ最近の発掘調査で、大規模な
離宮・東院の遺構が出土し、想像以上に
都として完成されていたのではないかと
云われ始めているようです。 

 今は阪急電車が長岡京の中心部であった
内裏などの遺構の部分を横切っています。
一番遠方の内裏回廊跡でも西向日駅から
歩いて15分ほどです。
 長岡京遺跡から長岡京市へと向かいます。
西向日駅の大阪側の駅が長岡天神駅になります。
阪急長岡天神から徒歩10分の長岡天満宮です。

菅原道真を祀ります。太宰府に左遷された
道真が従者に自画像を与え、祀ったのが
その始まりと伝わります。

近くには八条ケ池が広がり、市民の憩いの
場となっているようです。
 JR長岡京近くには勝竜寺城跡があります。
明智光秀が織田信長を急襲した後、天王山で
羽柴秀吉に破れた光秀がこの勝竜寺城に
逃れ、さらに近江坂本への脱出を計ったけれど、
伏見の小栗栖で討たれたと云う話は有名です。

 現在はJR長岡京駅と名乗りますが、平成
7年9月1日(1995)までは神足(こうたり)駅
と名乗っていました。
お隣の向日町駅も向日町市なので地元では
駅名の改称を要望しているとか…
 最後は光明寺です。西山浄土宗の総本山です。
国の重要文化財に指定されている平安時代の
千手観音立像、法然上人の生母の手紙を張り
合わせて作ったと云われる「張抜の御影」と
呼ばれる法然上人像は有名です。

また広い境内は紅葉の名所として知られます。
「もみじ参道」と云われる小径では、見事な
紅葉を楽しめます。

JR長岡京、阪急長岡天神から、それぞれ
バス15分、10分ほどです。

長岡京の町並み風景


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