/// 祟道神社 /// (00/08/25)
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一般には「祟道」の字が当てられますが、 判りにくいですが写真では「祟導神社」と なっています。 祭神は早良親王です。早良親王は祟道天皇の 異名を持ちます。早良親王は長岡京建都の 途上の藤原種継暗殺事件で連座して淡路島に 流される途中、絶食して亡くなります。 その後、桓武天皇は早良親王の怨霊に 悩まされ、祟道神社に早良親王を祀りますが、 納まらぬ祟(たた)りに早良親王に 祟道天皇の追号をなすことで祟りを鎮めます。 |
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祟道神社はそれ以前は高野神社と呼ばれて いたらしく、桓武天皇の母である高野新笠に 関係するようです。近くを流れる川は 高野川、高野と云う地名も名残を伝えます。 怨霊(おんりょう)、そして御霊、御霊は 読み方を考えれば「おんりょう」につながり ます。京都では言葉の頭に「お」を付けて 丁寧語のようだけれど、実は名詞的な話かた をよくします。怨霊じゃ都合が悪い訳で、 それを御霊と言い換えてしまう。これが 京都の文化にも通ずる一面だと思えます。 |
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この辺り、平安京建都の頃は小野氏の力が 強かった地域でもあります。桓武天皇と 小野氏の関わりも強かったと云う説もある ようです。この祟道神社の裏山を15分ほど 登ったところには円墳である小野毛人 (えみし)の墓があります。江戸時代に 石室から「国立小野毛人朝臣之墓」と 刻まれた墓誌が発見されたことでも知られ ています。現在この墓誌は京都国立博物館 にあると思いますが、そのレプリカが 祟道神社から南へ徒歩15分ほどの宝憧寺に あり、お願いすれば見せて貰えるようです。 |
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写真は上から祟道神社鳥居、 そして本殿、続いて摂社で ある小野神社、毛人の墓です。 深い森の中にあり、昼なお 薄暗い祟道神社で、祟道 天皇のささやき声も聞こえて きそうな雰囲気です。 毛人の墓への登山道はさほど 危険はないですが、寂しい 所なので女性の一人歩きは 止めた方がよいかと思います。 |