/// 六道珍皇寺界隈 ///  (99/08/10)

 今でこそ天文現象、自然現象の多くは、その原理も解明され
さほど恐れを抱くこともないのですが、平安の昔では、日食、
月食に驚き、火の玉に恐れをなしていたことは容易に想像できます。

その様な時代背景の中で呪術的な色彩の濃い行事や伝説が生まれて
くる訳ですが、当時の人々にとっては、それが自然であり、
自然界の現象を畏敬の念を持って暮らしていたことは当然の
ことでもあります。

それを魔界とかミステリーとかの現代の俗語で語ってしまうのは
適当ではないのかも知れません。

 今回は、このような時代背景から生まれてきた伝説などを
紹介してみます。 
 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)、風変わりな寺名です。
近くには六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)と云う寺もあり、その昔は
仏教色の強い地域でした。

石碑には六道の辻と刻まれています。東山
区の六道珍皇寺の門前です。六道の辻は
現世とあの世の境と云われ、実際の辻は
石碑の西側に位置する辻になります。
この六道珍皇寺の閻魔堂には閻魔大王と
小野篁(おののたかむら)の像が安置され
ています。

小野篁は昼間は宮廷に仕え、夜は珍皇寺の
井戸から地獄に通い、閻魔大王に仕え、
裁きを手伝ったと云う奇妙な伝説が残る
人物です。

このように六道珍皇寺辺りは曰くありげな
伝説が残る地域ですが、京都では親しみを
込めて六道さんと呼ばれる六道珍皇寺です。

看板には幽霊子育飴とあります。六道珍皇寺
から少し東に入ったところに位置し、今でも
その飴も販売されています。丁度、黄金糖
からさらに甘さを取った水飴を原料とする
素朴な飴です。

 夜な夜な飴を買いに来る婦人がありました。
ある日、土の中から泣き声がするので、亡く
なった幼児のお墓を掘り返してみると、子供
が泣いていたと云います。そしてそれ以後、
婦人は飴を買いに来なくなったそうです。

この幽霊子育飴の伝説は一条通の西陣にも
同じ様な話の筋で残っています。

Produce By 京の住人 戻る