/// 大悲閣千光寺 /// (01/09/17)
いつも賑わう嵐山は渡月橋、その喧噪を逃れるように右岸の散歩道を 歩き始めます。暫くは貸しボート屋、屋台などが出ていて人声も響き ますが、やがて軽乗用車が通れるだけの細道になり、行く手右側には 大堰(おおい)川、そして保津川の流れがあります。 この辺りの川、渡月橋近辺は大堰川、その下流は桂川、上流は保津川と 名を変えます。
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悠々と流れる大堰川 大堰川と云う名は源氏物語に記述もある ようです。さらに川面を眺めて歩くと小高い 丘を超えることになります。この辺りは 平家物語で語られるところの千鳥ヶ淵。 平重盛の家臣であった斎藤時頼(滝口入道) との恋に破れ、この千鳥ケ淵に身を投げた 横笛の話が伝わります。 丘を越えてしばらく、突き当たりは嵐狭館と 云われる料理旅館、そこに左へ分け入る道が 大悲閣千光寺への参道になります。 千光寺は角倉了以が河川開削工事協力者の 菩提を弔うために、嵯峨中院、今の清凉寺 近くにあった千光寺の名跡を移して創建 された禅宗寺院です。![]()
千光寺より、眼下の保津川の流れ 本尊の千手観世音菩薩は恵心僧都作と云われ、 了以の念持仏だったそうです。その千手 観世音菩薩を守る本堂は、暴風雨によって 全壊し今は仮本堂に祀られています。 この千光寺を訪れてみると、お寺と云う ことを忘れてしまいます。仮本堂がお寺 らしくないと云うこともありますが、 何処かの山荘にでも来たような感覚です。 東側の角倉了以像を祀る広間には自由に 上がれて、写経道具、辞書、ガイドブック、 パンフレット、眺望説明図などが置かれて いたりします。風化が激しく読みづらい ですが、参道入り口には芭蕉の句碑が建って おり「花の山 二町のぼれば 大悲閣」と あります。昔は花の山と呼ばれていたの でしょうか、今では花の山の趣はありま せんが、眼下には保津川の流れ、遠くは 京都タワー、大文字山、比叡山が見渡せる 千光寺です。![]()
登り詰めた所に千光寺山門 檀家もなく観光寺院でもない千光寺で、 その維持は大変なようですが、その本堂 再建も願いつつ、ちょっと気晴らしに 訪ねてみたくなる千光寺です。 なお、普通名詞で「大悲閣」とは観世音 菩薩を安置する仏堂のことだそうです。 角倉了以が起こした寺院であると書き ましたが、角倉了以(1554〜1614)は 富士川、天竜川、高瀬川、そしてここ 大堰川などの、開削開発工事を行った ことで知られる人物です。京都では鴨川 沿いの高瀬川の開削事業は特に有名です。 対岸の亀山公園には角倉了以像があり、 「角倉了以翁顕彰会」によって毎年法要が 行われています。なお、了以のお墓は 二尊院境内の小高い丘にあります。