/// 高瀬川一之船入跡 ///  (00/01/09)

 高瀬川のせせらぎは、木屋町通の
柳と共に風情があります。高瀬川は
角倉了以によって開かれた運河です。
二条通から伏見港まで10kmに
及びます。

江戸から大正時代までこの高瀬川を
使っての「高瀬船」が物流の大動脈
でした。高瀬船は平らな船底で
浅い水深の運河を航行出来るように
造られていました。丁度、画像の
石垣の切れ目の奥には荷卸し場で
あった船溜り跡が残っています。
木屋町通は日本最初の電車が走った通りでもあります。
平安遷都1100年記念事業の内国勧業博覧会の
会場へのアクセスとして、琵琶湖疎水による発電
電力を使って電車が走ったのでした。

当時は発電も電車も試行錯誤の段階で、突如送電が
止まったり、電車の登場で慣れない歩行者や荷車が
衝突したりで交通事故が続発したと、当時の資料は
伝えます。電車の前を「先駆人」と呼ばれる人が
注意を促しながら走ったと云います。今に想像して
みるとユーモラスな光景です。それほど電車の
スピードもゆっくりしていたし、時間もゆっくりと
流れていたのでしょうね。

高瀬川一之船入跡のすぐ北側には島津創業記念資料館
があります。

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