/// 京都の節分 /// (01/01/19)
二月三日は節分ですが、京都ではこの節分を「年越し」とする風習もあります。 節分には鰯(いわし)の頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して、門口に掲げます。 また禅宗の家では「立春大吉」の札を貼ったり、天台宗では節分会にまつわる 良源の絵「角大師」が貼られていたりします。 また鰯を焼いて家の中を煙で払い、麦飯を食べる風習が残っていたりします。 さすがに今では家の中を煙で払うことはなくなりましたが、焼いた鰯を食べます。 そして太巻寿司を恵方の方角に向って無言でかぶりつき、 自分の数え年より一粒多く豆を食べるのが習わしとなっています。 京都では節分に「四方参り」と云って北東の吉田神社、南西の壬生寺、南東の 伏見稲荷大社、北西の北野天満宮へお参りする風習がありますが、 今では表鬼門の吉田神社、裏鬼門の壬生寺へお参りする人が多いようです。 しかし現在では風習にとらわれることなく、各社寺の節分行事にお参りする人も 多いです。 表鬼門が吉田神社で裏鬼門が壬生寺であると書きましたが、鬼門にまつわる 話として、京都御所の鬼門、京都の鬼門の話は以前に紹介したかと思います。/// 節分と豆まき /// (01/01/19)
洛北の深泥池にはかつて、「豆塚」という塚があったと云います。 平安京の北に鬼たちが出没して人々に悪さをしていたのです。この鬼たちは 貴船の谷に住み、地下の道を通って深泥他の畔の穴から地上に出ては人々を 騒がせていました。 そこで、その鬼が出入りする穴へ鬼が嫌う豆を投げ込んで塞いだところ、 鬼はでなくなり、それ以来、この鬼の出入りの穴の跡に節分の豆を捨てる ようになったと云います。 一説にはこれが節分に豆をまき、鬼を追い払うことの始まりと伝わります。 この穴の跡に豆塚があったと書物には伝わるのですが、今ではその跡も 判らなくなっています。近くの貴船神社がそうだろうと云われています。 そうして追い払われた鬼達は奈良は吉野の金峯山寺に迎えられ、鬼火の 祭典によって、その行を改心させられます。この金峯山寺では 「福は内、鬼も内」と、他とは違ったかけ声で、豆まきが行われるそうです。 また、その年の恵方に向かって無言で太巻きをかぶりつくと云うのも 節分行事の一つとして伝わり、変わった風習ですが、これは明治の初め、 年が改まるのにこめて、商売繁盛を願って大阪で始まったと伝わります。 商人の町、大阪らしいエピソードです。/// 壬生寺の節分行事 /// (01/01/19)
山伏、稚児のお練り供養などの節分行事がおこなわれます。 そして壬生大念仏狂言「節分」が演じられます。四月の壬生狂言は有料ですが、 この節分の狂言は例年無料で見学できます。 また境内には「大念仏厄除」と書かれた素焼きの炮烙(ほうらく)が売られており、 この時奉納された炮烙は四月の壬生狂言の演目の中で割られることによって、 厄除けになると伝わります。 また壬生寺は新撰組ゆかりの寺としても知られます。 新撰組隊士のお墓や近藤勇の胸像などもあります。 境内に幼稚園があったり、駐車場と利用されていたりするので、普段は古寺、 名刹と云った独特の雰囲気はありませんが、地域に溶け込んだ庶民のお寺と 云う様子です。