/// 「新」を名乗る社寺、新善光寺  ///  (01/02/14)



   五条河原町近くの新善光寺
 前回は新日吉神宮(いまひえじんぐう)を
紹介しましたが、今回は同じように「新」を
名乗る社寺です。ただ読み方は「いま」と
読むのか普通に「しん」と読むのかは確認
していません。

その一つ、来迎堂と号する浄土宗の寺院です。
「新善光寺」と名乗る訳は、本尊の阿弥陀
如来像が長野県の善光寺の創建者である本田
善光の子供であった本田義助によって、
善光寺の分身像として造られたと伝わる
ことによります。

この新善光寺は堀川松原にあったけれど、
応仁の乱などの戦禍にまみれ点々とした後、
豊臣秀吉の命により現在の地に落ち着いたと
云われ、その後、江戸幕府より御朱印の寺領を
受けるなど、天下泰平の祈願所として栄えて
いたけれど、天明、元治の大火で焼け落ちて
しまいます。


   泉涌寺近くの新善光寺
今では巨大なマンションを背にした街の
中の小さな寺院となっていますが、
その由来は興味深いものです。
場所は河原町五条の南西少しのお寺が点在
する本覚寺前町にあります。

もう一つ新善光寺を名乗る寺が泉涌寺の
近くにあります。
小さな寺院ですが、端正な佇まいが心地
よいです。
写真でも少し判りますが、三門を入って
直ぐ右側には桜があります。円錐状に
丁寧な支えも施されているので、きっと由緒
ある銘木?、かな〜っと想像したりします。
この春には是非訪れたい場所の一つです。

なお、どちらの寺もいわゆる観光寺院では
ないので、何時の日にも境内を散歩できる
とは限りません。

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