/// 新日吉神宮  ///  (01/02/07)

 新日吉神宮は三十三間堂の東側、
智積院を右に見て坂道を五分ほど登った
所にあります。
周囲は京都女子小、中、高、短大、
大学校とあり、登下校時はそれは華やか
な坂道です。

新日吉神宮は後白河上皇の時代、
永暦元年(1160)に創建されたと伝わり
ます。「新日吉」、これを何と読まれた
でしょうか。普通に読めば「しんひよし」
ですが、ここは「いまひえ」と読みます。
「新」の字が示すように滋賀県の坂本に
ある日吉山王神社より神様を迎えて祀ら
れたようです。
坂本のそれは「ひよし」と読むようです。
以前、比叡山は京都の鬼門の方角であると
紹介しましたが、そこには延暦寺が
あります。
その延暦寺を守護するのが日吉山王神社、
坂本の「日吉」も読み方を変えれば
「ひえ」とも読めます。
比叡山は「ひえいざん」と読みます。
今は漢字、読み方は異なりますが、突き
詰めれば何らかの関係があるように
思えます。

坂本の「日吉山王社」の神使いはマサル、
漢字で書くと「真猿」、または「魔猿」
と書きます。
「京都の鬼門、御所の鬼門」で紹介して
いる「猿」がここでも登場します。
京都の新日吉神社の本殿前にも猿がおり、
何故か赤山禅院と同じように金網に閉じ
こめられています。
京都御所の猿ケ辻の猿もそうだし、
このように猿が閉じこめられるには、
何らかの意味合いがあるのでしょうか、
鳩除けとも考えましたが、近くの狛犬には
金網は設けられていなかったです。
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平安時代頃から日吉信仰、熊野信仰が
篤くなっていくようですが、東京にある
日枝(ひえ)山王社も新日吉神社の
分霊社だそうです。
熊野信仰と云う言葉も出てきましたが、
この辺りの地名は今熊野(いまくまの)
そして東大路通には新熊野(いまくまの)
神社があるから話はややこしい〜。
このややこしさは後白河上皇が日吉信仰と
共に熊野信仰にも篤かったからだと伝わり
ます。

ほかに新日吉神社にまつわる話として、
演能の始まりの地とも云われます。
坂本の日吉猿楽から伝わったとされる
「翁」の曲を観阿弥(かんあみ)が上演
した地と伝わります。また後白河天皇が
菅原道真公遺愛の飛梅の霊を神霊と共に
祀ったとされ、洛陽二十五社天満宮の
随一にも上げられています。

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