/// 「新」を名乗る社寺、新長谷寺  ///  (01/02/23)

 今回は「新長谷寺」、長谷寺と耳にして
思い浮かべるのは奈良の長谷寺でしょうか、
奈良の長谷寺には自然石の磐座
(いわくら)の上に高さ約8mの十一
面観音が本尊としてお立ちになっていると
云います。

ここ「新長谷寺」の歴史を紐解くと、
平安時代にまで遡ります。
八尺と云うから2mほどで、奈良の長谷寺
十一面観音を写した仏像を造り、吉田山
神楽岡の麓に新長谷寺を建立したと
伝わります。
その新長谷寺は明治の廃仏毀釈で近くの
真如堂境内に移され、今は真如堂の本堂
北西側に少しのところにあり、洛陽三十三所
第五番の札所ともなっています。
そもそも新長谷寺が建立された経緯は、
陽成天皇の時代、越前守藤原高房が子供を
伴っての西国赴任のおり、漁師が海亀を捕まえ
ようとしているところに出会い、高房はその
海亀を助けてやりました。
翌朝、船は出帆しましたが海は荒れ高房の
子供は海に落ち、もはや諦めていたところ、
子供は前日に助けた海亀に助けられたのでした。

その子供も成人し藤原山陰となり、太宰府長官
として任地に赴く船の中、またもや子供が海に
落ちますが、再び海亀に救われたことで、
海亀は観音様のご加護に違いないと感謝し、
長谷寺の十一面観音を模して、新長谷寺を
建立したと云うことです。

今はお堂が一つで真如堂に間借りするような
形の小さなお寺ですが、奈良仏教を受け継ぐ?、
由緒正しき寺院です。

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