/// 聖護院の森 /// (05/04/19)
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かつて、今の京大付属病院辺りから 熊野神社、聖護院にかけて、うっそう とした森が広がっていたそうです。 森の中にキツネが登場すれば御辰 (おたつ)稲荷の話となるのですが、 今回は井筒屋伝兵衛とお俊さんのお話。 呉服商の伝兵衛は二十三歳、先斗町 近江屋の遊女、お俊さんは二十歳、 相思相愛の二人であったと云います。 近松半二の作になる浄瑠璃「近頃河原達引」 (ちかごろかわらのたてびき)に登場する 二人です。他に悪侍の官左右衛門も出て 参ります。 |
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言葉まで浄瑠璃調になってきますが、 伝兵衛は店を閉めると日々、お俊さんとの 逢瀬(おうせ)を楽しみにしておった そうです。 話はそれますが、昔使いの言葉は、 意味深く美しいですね。この”逢瀬”と 云う言葉も、その漢字によって二人の 一切合切の情景が読み取れるような気が します。 いつものように近江屋に向かった伝兵衛、 その部屋に入ろうとする伝兵衛の袂 (たもと)を店の者がつかんだ時、 横淵管左右衛門と名乗る侍が現れたのです。 ”こいつが管左右衛門か”、しつこく言い 寄る侍がいると、お俊から聞かされていた 伝兵衛は思い当たるところがあったの でした。 |
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横恋慕、喧嘩ざた、侍は刀を抜き、 もみ合いと合いなり、こともあろうか 何かの拍子に伝兵衛が管左右衛門を刺す 事態となってしまいます。 商人が武士を刺す…、身分制度も重き 時代、道理も通じる訳がないと二人は 夫婦の杯を交わすと、聖護院の森に 心中して果てます。 「やつす姿も女夫連、名を絵草紙に聖護院、 森をあてどにたどりゆく」とあり、 積善院準提堂に供養の五輪塔が残ります。 |
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ちょうど、”人喰い地蔵”の前辺り、 この石塔は昭和に入ってからの建立 らしいので、後の人が供養のために建てた ものでしょうね 二人のお墓は伝兵衛の菩提寺になるは 東山五条、西大谷本廟の北側にある 實報寺(じっほうじ)にあります。 ただ、本壽寺檀家の人に聞いたところでは、 本壽寺にも比翼塚と呼ばれる塚があり、 かつてそれが二人の墓と云われていた そうです。本壽寺は實報寺の東隣のお寺、 その比翼塚、今はお染、半九郎の墓と 云われているようです。 こちらは歌舞伎に記される「鳥邉山心中」 となります。 浄瑠璃、歌舞伎にはこのような、情に絡む 話が多い??? |