/// 蛸薬師は永福寺 /// (07/09/24)
蛸薬師の名は通称で正式には浄瑠璃山林秀院、永福寺と云います。 浄土宗西山深草派のお寺ですが、時として蛸薬師は永福寺ではなく 妙心寺と記されている場合もあったりします。 これは永福寺の経緯に由来します。永福寺は当初室町通二条下ルに あったのですが、秀吉の都市改造によって新京極に移され、圓福寺に 合併された事に由来します。ややこしい話ですが、この頃には北に ある誓願寺を「北本山」、南にある圓福寺を「南本山」と呼ぶように なり浄土宗深草派の中心寺院となっていました。 |
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圓福寺と妙心寺のつながりですが、その後、 明治維新の際に広大な寺域は没収され、 圓福寺は壇信徒の多い三河へ移ることに なるのですが、その際に三河にあった妙心寺 と寺号を交換し移転されます。 移転に際しては永福寺のお前立ち薬師三尊 なども移されています。 合併した筈の永福寺ですが、三河には移る ことなく永福寺として残ったのではと勝手な 想像をしてしまいます。 蛸薬師こと永福寺の境内の右奥に妙心寺は ひっそりと寄り添うように名残を留めて います。 さて、蛸薬師と云う名の由来ですが、 永福寺の旧地だった室町通二条下ルには 池があって、その中の島に薬師如来が安置 されており、水上薬師、沢(たく)薬師 とも云われていたのが、それが訛って ”たこ”になったとか。また一説に、鎌倉 時代中頃の話に、住職の善光と云う僧侶が おりました。 |
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善光の母は病に伏せており、”好物だった 蛸を食すれば病が治るかもしれない”との 話に善光は悩みました。 僧侶の身で蛸を買いに行くことには躊躇 しておったけれど、目の前の母の病を思う といてもたってもいられず蛸を買いに 出かけたそうです。 この光景を目にした人々が門前に待ち受け、 箱の中身を見せるように迫ります。断り 切れぬ善光は薬師如来に”この蛸は母の 病のために買ったものです。この難を お助け下さい”と祈願しながら箱を開ける と中には八巻の薬師経典が収まっていた そうです。蛸の足は八本、薬師経典は八巻、 辻褄の合う話です。 |
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この光景に人々は手を合わせていると 薬師経典が再び蛸になり、門前にあった池に 飛び込み、瑠璃光を放って善光の母の病も 消え失せたと云います。それ以来、本尊の 薬師様は蛸薬師と呼ばれるようになったと 伝わります。 薬師如来は十二の願い事を聞いてくれるとか。 そして薬師如来は医薬に権威を持つ仏様。 薬師如来を見ると大概片手に薬壺を持つ姿が あります。 浄瑠璃浄土の教主で薬師瑠璃光如来とも 云われます。 蛸薬師の話でもあるようにご利益は諸病平癒、 タコから連想されるイボにご利益があると かでイボの平癒の信仰も篤いとか、 また転じてガンにもご利益があるとの信仰も あるようです。 その肝心の薬師如来ですが、先の合併などの 経緯から妙心寺のお堂に安置されているとかで、 蛸薬師は妙心寺だと云うのはあながち間違い でもないようです。 |