/// 知恩院に眠る人々 /// (05/09/14)
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千姫も知恩院に眠りますが、佐藤春夫、 武田泰淳(たいじゅん)、湯川秀樹らも 知恩院に眠ります。 HPではお墓の写真が並んでしまいます が、皆さん安からに眠って頂きましょう。 佐藤春夫は明治25年(1892)生まれの 小説家、詩人。 代表作として”田園の憂鬱”が知られ、 永井荷風や谷崎潤一郎の影響が強いと 云われる人物です。何と云っても谷崎と 彼の妻である千代との三角関係は世間を 驚かせた事件??、です。 簡単に書いてしまうと、当時、谷崎には 別の女性がいて、千代と佐藤は恋仲になる のですが、その件に関して、谷崎は佐藤に 妻を譲るの云々、交際はこれまで通りと、 千代を含めた三名の連名で書簡を発表する と云う、けったいな成りゆきでした。 |
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その佐藤春夫のお墓の斜め向かいに ”比翼之地”と”泰淳、百合子”と刻ま れたお墓に武田泰淳は眠ります。武田は 明治45年(1912)生まれの小説家。 代表作は”蝮のすゑ”、”ひかりごけ”など。 ”ひかりごけ”は北海道は羅臼に群生する コケ、そのコケが題材ではなく、ここでは 詳しく書きませんが、その怪しく光るコケに なぞらえて描かれる北海道でのショッキング な事件を基にした小説です。 そして、湯川秀樹のお墓は一段下がった 霊園にあります。 正確には湯川家のお墓となっていて、 大理石か御影石かは判らないけれど、 長方形の洒落た形で、いわゆる普通のお墓が 立ち並ぶ墓園では目立っています |
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湯川秀樹は明治40年(1907)生まれ、 中性子の存在、素粒子理論などで昭和24年 (1949)、日本人で初めてとなるノーベル賞 を受賞、昭和24年と云えば、まだ戦後間も ない混乱期でもあった筈です。 それは日本人に夢と誇りを取り戻させたの かな〜と漠然と思ってしまいます。 そうそう、忘れていました。”知恩院に眠る 人々”で、その主は、法然上人。建暦2年 (1212)、法然上人はここ勢至堂で入滅した と云います。 勢至堂の右手の山あいに眠り、勢至堂の 傍らには”紫雲水”が湧き出ており、法然 上人入滅の折、聖衆が来迎し紫雲が水面を 覆い、芳香が漂ったと伝わります。 |
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また、直ぐ北側には上人入滅の折、 賀茂大明神が降臨したと伝わる”影向石” (ようごうせき)が残っていたりします。 影向石と云うのは固有名詞ではなく一般名詞。 神仏が一時的に姿を表すなどした場所の石 などで、日向神社に残る天照大御神が影向 したと伝わる巨石などが知られます。 数回に分けて紹介してきた知恩院にまつわる お話も今日で最終回です。 浄土宗総本山だけあって、観光寺院の側面も あるけれど、信者が集うお寺の色彩も強い 知恩院です。 |
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あと、もし拝観されるならば、方丈奥の 山あいにある”山亭庭園”へも足を運んで みて下さい。京の町並みが一望、すっきり した天気ならば、嵐山方面から左大文字も 見ることが出来ます。 山亭は霊元天皇の第十皇女浄林院宮吉子内 親王の客殿を宝暦9年(1757)に移築した 建物、西向きの庭園は西方浄土をイメージし 巨大な三尊石は阿弥陀三尊を表しているとか。 小さな庭だけれど、季節にはキキョウ、 サツキなどがひっそり咲いています。 |