/// 百万遍知恩寺  ///  (02/04/23)

 通称は百万遍、正式には百万遍知恩寺で浄土宗の四本山のひとつです。
交差点は百万遍、そして正式な地名に百万遍は存在しないけれど、
皆がこの辺りを百万遍と呼んでいます。

百万遍知恩寺は賀茂社の神宮寺としての起源を持ちます。
そんな由来もあって浄土宗としては珍しく境内に賀茂明神の分社が
鎮座していたりします。その後、相国寺の北側に在って丈六の釈迦像を
安置していたところから今出川釈迦堂、賀茂の釈迦堂と云われていました。
応仁の乱、天文法華の乱、二条殿の火災に
よる類焼などによって各地を転々とし、
寛文二年(1662)に現在の地に落ち着き
ます。

百万遍という名は、元弘元年(1331)に
疫病が大流行した折りに八世円空上人が、
後醍醐天皇の勅命により御所の紫宸殿に
7日間籠もって念仏を百万遍唱えたところ、
疫病は治まったことから、後醍醐天皇より
百万遍と云う寺号を賜ったところからだと
伝わります。
その証、門前には百万遍念仏根本道場の
石碑が名残を留めています。

度々の火災などに遭っていますが、本尊、
寺宝などは幾度もその難を逃れて今に
伝えられていて、絹本着色蝦蟆鉄拐図、
絹本着色善導大師像の重要文化財を
含めて貴重な文化財を残しています。
ただ、いわゆる観光寺院ではないので、
特別公開などの場合を除いては、なかなか
目に止まることはないです。
奥の念珠にもつながって大きな輪…
この百万遍で知られることのひとつに
「大念珠繰り」があります。
本堂、浄土宗では御影堂と称しますが、
その御影堂を一巡りする巨大な念珠(数珠)
を参詣者が一堂に持ち、念仏を唱えながら
繰る(回す)と云うものです。
それは巨大な念珠です。さすがにこの特大
念珠は人数が集まらないと繰れないので、
数十人で繰る小振りの念珠を見たことも
あります。小振りと云っても数十人ですから、
傍目には大きい念珠です。

ちょっと脱線して数珠のお話です。
個人で使う片手数珠は各宗派で共通して使え
ますが、本蓮数珠は宗派によって形状、玉の数、
房の数などに違いがあるそうです。
その意味合いは親玉が数珠の中心で、釈迦如来
あるいは阿弥陀如来を意味し、そして主玉と
云われる一般の玉は百八尊または百八煩悩を
意味し、菩薩の修行を意味しているそうです。
さらに主玉の間に小玉が入ることがあり、
これらは四天王、四菩薩を意味しています。 
さらに細かく見れば弟子玉、記子玉、
記子止、露玉、浄明などの玉や飾りが入る
ことがあります。
これらは各宗派の教えに関係するところで、
仏様でも功徳が異なるように、この意味で
数珠の意味合いも異なるようです。
多分、宗派ごとの経典にも関わることなのかと
漫然と思ってしまいます。

また、百万遍では日本三大練供養のひとつとも
云われる「お練り供養」が行われること
でも知られます。
お練り供養は迎接会(ごうしようえ)、来迎会
(らいごうえ)とも云われ、諸菩薩に仮装して
練り歩く法会で、大和国葛城郡當麻郷、今の
奈良県當麻寺辺りでしょうか、その地の出身で
「往生要集」を記した源信(恵心僧都)が
創始と伝わります。
二十五菩薩お練り供養として知られ、當麻寺の
それはよく知られているところですね。
百万遍知恩寺、お練り供養
その菩薩とは観世音、勢至、薬王、薬上、
普賢、虚空蔵、金剛蔵、法自在王、獅子吼、
陀羅尼、徳蔵、宝蔵、金光蔵、光明王、
山海慧、華厳王、衆宝王、月光王、日照王、
三昧王、定自在王、大自在王、白象王、
大威徳王、無辺身と云うそうです。
京都では泉涌寺即成院の「二十五菩薩
お練り供養」でも知られます。

普段は町中の寺院で子どもの遊び場、
市民の散歩コースと云った長閑な雰囲気です。
門前には京都大学の広大なキャンパスが広がり、
学生相手とした大盛りを売りにする食堂が
あったり、洒落た喫茶店、カフェなども多い
百万遍です。
何故か左右の寸法が違っている鳥居
知られたところでは、黒光りした床に
黒田辰秋作の大きな木のテーブル、今も
昔も変わらぬ雰囲気の喫茶店は進々堂、日本
料理ではちょっと知られ、某有名ニュース
キャスターも現れるという梁山泊、金平糖で
有名な緑寿庵清水も近いです。
そうそう、百万遍知恩寺では毎月15日には
手作り市が開かれます。
さしたる観光スポットはないけれど、寄り道
散歩にどうぞ。。。

梁山泊、緑寿庵清水は百万遍の交差点を西へ
ひと筋目の道を南へ少し下がった所に梁山泊、
さらに下ルと緑寿庵清水はあります。

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