/// 旧東海道線、京都〜大津  ///  (03/06/23)

旧東海道線の分岐付近
 街道であった旧東海道のことはかつて
書いたことがありましたが、今回は
東海道本線、鉄道の話題です。
今は京都駅から東へと向かう列車は、
鴨川を渡り、すぐに東山トンネルに入り、
山科へと走り抜けますが、かつては
京都駅を出発した列車は南へと向かい、
現在のJR奈良線を走り、稲荷駅を経て
名神高速と交差する辺りで、大きく東に
カーブして山科盆地を走り抜け、名神
高速京都東インター付近から大谷、
大津へと線路はありました。

山科の勧修寺辺りの名神高速道路は
かつての東海道線の線路跡に建設されて
います。地図を見るとJR稲荷駅の南で、
JR奈良線から離れるように延びる
直線の道路を見ることが出来ます。
上の写真の線路から直線に続く道路
その旧東海道線は明治12年8月に京都〜
大谷間の運転が開始されますが、大谷駅
は今の京阪電車の大谷駅付近になります。
その先は明治13年の逢坂山トンネルの
完成を待つことになり、この逢坂山
トンネルは649mの短いトンネルですが、
日本人だけの手によって掘られた最初の
トンネルとして鉄道記念物に指定されて
います。
今はトンネル東口が大津市の浄水場
だったかになっていて、ときおり公開
されているようです。

旧東海道線では京都駅の次は稲荷駅、
そして山科、大谷、馬場、石場、大津の
駅がありました。大谷駅は京都と滋賀の
府県境の山間、山の中の小さな駅、何の
為に設けたのかと疑いたくなるような
地形にあります。
旧東海道線の遺跡、ランプ小屋
話は脱線しましたが、稲荷駅には往時を
偲ぶランプ小屋が残されています。
当時は未だ発電機も装備されていない
時代のこと、客車の灯りも機関車の照明も
ランプが使われていました。
そのランプの手入れ、保守のための小屋で、
煉瓦造りの小さな建物ですが、
準鉄道記念物に指定されています。
外観はホーム、道路側より見ることが出来
ますが、内部には当時の資料、ランプ、
信号機、行き先の表示板、などが保存
されており、事前に申し込めば見学も
できます。

次いで旧山科駅は今の山科駅の南3.5km、
現在の地下鉄小野駅近くにありました。
今は名神高速道路の傍らに1本の
旧山科駅を示す石碑が残るのみです。
その旧東海道線が今の東山トンネルを
抜ける東海道へと切り替わるのは大正
10年のこと、40余年ほどの旧山科駅
でした。
今は1本の石碑のみ、旧山科駅跡
それから80年も経た今となっては知る
人も少ないし、地元の人に尋ねても
石碑の存在すらも判らないとの答え
ばかりでした。

京都〜稲荷間は旧東海道線だった訳
ですが、この辺りの線路は複雑な経緯を
たどっているようです。
ここからの話は関西の方でないと、
いや京都に住む者でも地図を眺めつつ、
整理しながら読まなければ判らない
話題かも知れません。

今のJR奈良線は桃山駅の北側で
急カーブを描き、稲荷方面へと結ばれて
いますが、そのカーブを無くし直線を
延ばすと、今の近鉄京都線に自然な
形状でつながります。そう、かつては
近鉄京都線の線路が旧奈良線だった
のです。
石碑の傍らの名神高速道路は東海道線跡
もうここでも話はこんがらがって
きます。今、京都から奈良へ向かう
鉄道は、近鉄は京都線、JRは奈良線を
名乗ります。
そして近鉄奈良線と云う路線もあって、
それは大阪と奈良の間を走っています。
路線名だけ聞くと何処へ連れってて
くれる電車なのか判らなくなりそうです。

また、古い地図を見ると、今の近鉄が
京阪電鉄に乗り入れる線路が載って
いたりと、複雑な歴史があるようですが、
書いていても訳が判らなくなりそうなので、
この辺で途中下車しましょう。
------------------------------------
ランプ小屋の見学申し込みはJR宇治駅、
 0774-21-2061

Produce By 京の住人 戻る