/// 陽成院の妖怪 /// (04/05/14)
二条城の東側に国際ホテルがありますが、その地は平安の頃では 陽成天皇の御所、陽成院が建っておりました。門の傍らには大池が 広がっていたのですが、その池、夏の夜には、なま暖かい風と共に 池の中から”化けもの”が現れると村民の間では、まことしやかに 云われていたそうです。 門番は「そんなもの出る筈がない、村人の作り話」だと一笑に 付していたけれど、ある雨上がりの蒸し暑い夏の夜のこと、頬を 撫でる、なま暖かい風、ふと目をやると水色の直垂(ひたたれ)を まとった老人が立っておりました。「何者じゃ!」と問いただす 門番に、老人は「わしは昔からこの池に住む浦島太郎の弟じゃ、 そろそろ社を建てて神様になろうと思うてな、それで院に取り次いで くれんかな」と…、門番は「そんな事出来る訳がない」、すると いきなり老人の顔は怒りに満ちあふれ、口はみるみる裂けて妖怪と 化し、門番を食い殺してしまったと伝わります。 何とも奇っ怪な話ですが、「宇治拾遺物語」に記されている話です。 宇治拾遺物語を今風に云えば、おもしろ可笑しくの話や、日々の コラム集と云った書き物でしょうか。 こう云った怪奇伝説には裏があるもので、子孫、世間に何かを 伝えたい、訴えたいなどの意図をもって生まれてくるのが常です。 |
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その視点で考えてみると、第五十七代 陽成天皇とはいったいどんな人物なのか を見てみると、清和天皇の皇子で藤原 長良の娘、高子(たかいこ)を母として 貞観十年(868)に生まれ、僅か九才で 即位したと伝わります。 僅か九才で国政をみることなど出来る 筈もなく、日本史で習ったところの 摂政が置かれることになります。 この当たりにヒントがあるのか、清和 源氏と村上源氏のとの権力、勢力争いと 云った構図も見え隠れします。 そして、陽成天皇自身もご乱行の癖が あったようで、乳母を突然手討ちに したり、宮中で馬を乗り回す、小動物を 殺生するなど、目に余る乱行話が残り ます。 しかし、そうかと思えば、百人一首の 一つに |
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「つくばねの 峰よりおつるみなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる」との 歌を詠んでいたりします。”筑波山の峰 より流れ落ちる男女川はわずかな水が 積もって深いよどみとなっているように、 私の恋も深い物思いのよどみになって いる”と云った意味、一読すると深い 恋の歌です。 でも、「こひ」は古語で水のことを 指すとも云われ、水が積み重なって深い よどみとなる。浦島太郎も水にまつわる 話なら、陽成天皇の弟は一条大宮の池で 竜になったとか、摂政であった母の兄、 藤原経基も西六条の池で竜となって 住んでいるとか… 水、それに関連する竜にまつわる話が 残っていたりします。 単なる偶然か、それとも考え過ぎか〜〜? 乱行がたたって僅か八年の在位で天皇の 位を退いた陽成天皇ですが、その後は 八十二歳の長寿を全うして、真如堂の 西にある陽成天皇神楽岡東陵に葬られます。 この地は母である高子の発願になる東光寺 があった所に近い場所、その東光寺は今は なく、その鎮守社であった東天王社、今の 岡崎神社がその歴史を伝えます。 |