――舞台「俺は用心棒」――

1973年10月大阪中座/秋の特別公演

資料 その2


結束 信二

 「俺は用心棒」は何年か前、テレビで放送した作品です。始め二十六回の予定でしたが、幸い延長をかさねて、結局百十四回放送しました。その後何度も再放送されて、今でも、どこかの地方局で流しているかも知れません。それを今度、中座でとりあげて項きました。もう放送が済んで可成りたつのに、全く作者冥利につきる思いです。と、いって、テレビで当ったからというのでそのまま舞台に移してしまっては、何とも申し訳ない話しですし、第一、作者としてこれ位だらしのない事はありません。

 もともと私は映画の人間です。従って、「俺は用心棒」も、最初から映像の効果を十分に計算して作ったのです。「湯煙りの溢れる湯治場の渓流」「夕陽の沈出波打際のひと時」「風に鳴る深い竹薮の道」「降りつもる雪に閉ざれた一軒家」「生垣にひっそりと咲いていた夕顔の花・・」そういった情景がふんだんに出て来ました。ひっそりと咲いた夕顔の花が、ストーリーの一番大事なポイントであったりしました。とにかく極めて映画的な作品だったのです。撮影所育ちの私にとって、映像効果というのは、最も使い慣れ、一番頼りになる得物・・・武器なのです。しかし、この舞台では、その一番得意で慣れた武器を使う事が出来ません。得物が手になければ、そうです、素手でやる他ないのです。生爪をはがすつもりでやる他ないのです。

 幸い、長い間一緒に仕事をしてきた信頼すベき強カな出演者に恵まれ、これ程心強い事はありません。

 久しぶりに「俺は用心棒」を書く為に、私は仕事部屋を閉めきって、「俺は用心棒」のテーマ音楽を一杯に流してみました。

 この作品のテーマというのは、ひと口にいえば、「誰も知らない」という事なのです。もう少し理屈をいえば、「世の中の不合理を改める事が出来ないならば、恰好いいスーパーマンを作る事はない」という事です。この作品の主人公には、事実名前がありません。テレビでもとうとう最後まで名前をつけずに通しました。何処の誰でも構わないのです。テレビでは、ストーリーの結末さえつけず、「何がどうなったか、誰も知らない」という話しも沢山作りました。スーバーマンが一人いれば、世の中の悪は全て消えてしまう、万事解決してしまうという時代劇の安易さが、厭だったからです。無論、主役の名前もない、そんな作り方で大丈夫かと、色々いわれました。しかし、一生懸命作るのだからと、それだけの条件で押し通してしまったのです。

 これはテレビではありません。「俺は用心棒」の舞台第一回作品です。正直にいって、これでいいのかどうか、不安なのです。でも間もなく、客席は暗くなります。テーマ音楽が流れて来ます。一生懸命作ったのです。見て戴くしかありません。

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