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大田区体育協会会報「ひろば」に本連盟設立60周年記事掲載
大田区ボクシング大会ヒストリ&大会・連盟トピックス
20220830更新)
 過去の日本代表五輪出場選手成績一覧表(20080223アップ)
  東欧アマ・ボクサーのプロ・チャンピオン獲得国学別比 較表(20060625アップ)
  学出身アマ・ボクサーのプロ・チャンピオン獲得数大学別比較表(20050828アップ)
  本社会人選手権最年少優勝記録レポート(20050123アップ)
  テネオリンピックレポート(20040922アップ)
  心者ボクシング教室が変わります(20040221アップ)
  2003 年度大田区ボクシング 大会レポート(20031111アップ)
  京都女子アマチュアボクシング 選手権&男子社会人選手権レポート(20030706アップ)
  1回全日本女子アマチュアボクシング大会レポート(20030322アップ)
  クシングはオリンピックの競技種目として生き残れるか?/ボクシングマガジン2003年2月号より(20030122アップ)
  ロテスト/ボクシングマガジン2002年8月号より(20020810アップ)
  マチュアボクシングの目指す方向要約紹介/日本アマチュアボクシング連盟広報より(20020810アップ)
  1回東京都女子アマチュアボクシング大会レポート(20020706アップ)
  月29日から女子ボクシングが本格始動(20020616アップ)
  1回女子ボクシング世界選手権開催(20020122アップ)
  本アマチュア連盟が女子ボクシングを公認(20011125アップ)

大田区体育協会会報「ひろば」に本連盟設立60周年記事掲載

大田区ボクシング大会ヒストリ&大会・連盟トピックスVer20211205
本連盟主管の大田区大会および大会&連盟トピックスについて紹介します。
本連盟設立の昭和32年(1957年)〜昭和47年(1972年)については、資料があませんので、概要を「自己紹介」のページをご参照ください。

回数

開催日

開催会場

出場者数

不戦

会長

理事長

大会&連盟トピックス

 

 

1929

409

379

104

 

 

34回からA+B(出場者数≠A+B)

50

2022.11.13

GGSTA

44

26

18

 

松山

松山

コロナ対策のため無観客開催

49

コロナ禍中止

 

 

 

 

 

松山

松山

 

48

コロナ禍中止

 

 

 

 

 

松山

松山

 

47

2019.11.10

GGSTA

48

18

30

 

松山

松山

 

46

2018.11.11

GGSTA

70

23

46

1

松山

松山

 

45

2017.11.12

GGSTA

55

15

39

1

松山

小林豊

 

44

2016.11.13

GGSTA

51

22

29

 

松山

小林豊

 

43

2015.11.08

GGSTA

52

28

24

4

高木

松山

 

42

2014.11.09

GGSTA

68

34

34

4

高木

松山

田口良一WBA世界Lフライ級C獲得

41

201311.1

GGSTA

42

19

23

2

高木

松山

大田区システム(日本連盟新採点システム+コンビニプリンタ)開始

40

2012.11.11

リアルジム

51

24

27

1

高木

松山

 

39

2011.11.13

GGSTA

55

34

21

3

高木

松山

メール申込開始

38

2010.11.07

早稲田大

40

22

18

0

高木

松山

 

37

200911.1

GGSTA

38

22

16

0

高木

松山

小林豊(2016理事長)理事就任

36

2008.11.02

GGSTA

46

40

12

6

高木

松山

 

35

2007.11.11

早稲田大

71

49

22

5

高木

松山

 

34

2006.11.12

GGSTA

53

33

20

1

高木

松山

Aの部&Bの部開始

33

2005.11.13

GGSTA

29

 

 

1

高木

松山

Lフライ田口良一(大田区連盟)RSC勝(WBA世界Lフライ級C)

32

2004.11.14

GGSTA

39

 

 

1

高木

松山

 

31

2003.11.09

GGSTA

45

 

 

5

高木

松山

初めてGGSTA(ゴールドジムサウス東京アネックス)で開催

30

2002.11.10

大田区体

47

 

 

1

高木

松山

Lウェルター荒井仁人(八王子中屋ジム)RSC勝(東洋太平洋ライト級C)

29

2001.11.11

大田区体

51

 

 

1

持田

松山

HP公開/初心者B教室開始/スポーツ祭りに田口良一参加&初心者B教室参加

28

中止

 

 

 

 

 

持田

松山

 

27

1999.11.07

千鳥小

36

 

 

3

持田

松山

 

28

1998.11.08

千鳥小

26

 

 

2

小林

高木

 

25

1997.11.09

千鳥小

37

 

 

1

小林

高木

 

24

1996.11.01

千鳥小

39

 

 

3

小林

高木

 

23

1995.12.10

千鳥小

58

 

 

2

小林

高木

 

22

1994.11.13

千鳥小

55

 

 

3

小林

高木

 

21

1993.11.04

千鳥小

49

 

 

3

小林

高木

ライト嶋田雄大(風間ジム) RSC勝(日本ライト級C)

20

1992.11.08

千鳥小

47

 

 

3

小林

高木

 

19

1991.10.27

矢口西小

44

 

 

4

小林

高木

 

18

1990.12.09

矢口西小

42

 

 

8

小林

高木

 

17

1989.11.05

嶺町小

37

 

 

1

小林

高木

 

16

1988.10.02

嶺町小

38

 

 

6

小林

高木

 

15

1987.11.22

矢口西小

56

 

 

2

小林

高木

小林豊(神大)選手として出場(2016理事長)

14

1986.10.26

矢口西小

27

 

 

0

小林

高木

小林豊(神大)選手として出場(2016理事長)

13

1985.10.27

矢口西小

36

 

 

3

小林

高木

 

12

198411

関ジム

38

 

 

4

小林

高木

バンタム高橋直人(アベジム) KO勝(日本バンタム級C)

11

1983.11.13

千鳥小

28

 

 

2

小林

高木

 

10

1982.10.31

千鳥小

27

 

 

3

小林

高木

 

9

1981.10.25

嶺町小

20

 

 

2

小林

高木

 

8

1980.11.02

嶺町小

32

 

 

0

小林

高木

 

7

1979.10.07

嶺町小

18

 

 

2

小林

高木

 

6

1978.10.22

嶺町小

35

 

 

6

小林

高木

バンタム小林光二(角海老ジム)判定勝(WBC世界フライ級C)

5

1977.11.13

嶺町小

25

 

 

1

小林

高木

 

4

1976.10.24

嶺町小

17

 

 

1

小林

高木

松山(大田区在住)=選手&役員

3

1975.10.19

嶺町小

22

 

 

0

小林

高木

松山(大田区在住)=役員

2

1974.10.27

嶺町小

24

 

 

1

小林

高木

松山(大田区在住)=選手&役員

1

1973.12.16

蓮沼小

21

 

 

1

小林

高木

松山(大田区在住)=選手&役員

●過去の日本代表五輪出場選手成績一覧表(20080223
ボクシングマガジン2月号に、標題の表が関連記事とともに掲載されていたので紹介します。関連記事とは、”映画「子猫の涙」〜甥の視線で綴る森岡栄治物語〜(インタビュー森岡利行監督)(http://www.koneko-namida.com/)”と”08年北京五輪開催!最後のメダリスト森岡栄治の素顔”で、歴代で3人しかいない日本人五輪メダリストのうちの森岡栄治(1946-2004)に焦点をあてた記事です。森岡栄治については、検索キーワード”森岡栄治”だけでゴミなしでヒットしますので調べて下さい。映画は、武田真治が中学生から死ぬ間際の59才までを演じ、広末涼子が森岡栄治の愛人のキャバ嬢役、赤井英和が刑事役で出演していましたが、娘の治子役と語り役の1995生まれ藤本七海が光っていました。上映は2月22日で終了しています。
なお、下記データはhttp://deartrue77.exblog.jp/6950843/も参照しています。

◆1928年(昭和3年)第9回オランダ・アムステルダム五輪
 バンタム  岡本不二 (日本拳闘倶楽部/名古屋)1回戦敗退 19050704-19840104  不二拳設立、ピストン堀口の師
 ウェルター 臼田金太郎(日本拳闘倶楽部/大田区) ベスト8  19060925-?
       大正13年日本ではじめての学生/アマチュアボクシングの試合を行う。明治大学進学後拳闘部創設(日本初)
                           
昭和3年米国でプロ転向。昭和5年帰国し現役&指導者として活躍。日本ボクシング創成期に多くの功績。
       大田区の材木問屋に生まれで、邱 永漢(直木賞受賞作家・経済評論家)の姉と結婚しているそうです。
 
       私の生誕地が大田区の臼田坂(臼田家が命名の語源?)の近くで、臼田坂近く在住の邱 永漢には、株式投資の際、        専門誌の株式記事でお世話になったことがあることなど、私とボクシングとの縁を感じます。(こじつけ?) 

◆1932年(昭和7年)第10回米国・ロスアンゼルス五輪
 フライ   村上清信(明薬OB)   1回戦敗退
 バンタム  中尾明 (法大OB)   1回戦敗退
 フェザー  亀岡勝雄(日大)   1回戦敗退
 ライト   黄乙秀 〔プロ〕   1回戦敗退
 ウェルター平林愛国(明大)    1回戦敗退

◆1936年(昭和11年)第11回ドイツ・ベルリン五輪
 フライ   中野千代人(専大)  2回戦敗退
 バンタム  橋岡俊平  (法大OB)1回戦敗退
 フェザー  宮間佐治郎〔プロ〕   ベスト8
 ライト   永松英吉  (明大)  2回戦敗退
 ウェルター 李奎煥   〔プロ〕  1回戦敗退

◆1940年(昭和15年)第12回日本・東京五輪 
 (日中戦争の影響により開催権を返上したため開催されず)

◆1944年(昭和19年)第13回英国ロンドン五輪(第二次世界大戦により中止)

◆1948年(昭和23年)第14回英国ロンドン五輪(第二次世界大戦敗戦国の日本やドイツなどは参加認められず)

◆1952年(昭和27年)第15回フィンランド・ヘルシンキ五輪
 フライ   永田吉太郎(日大)   1回戦敗退
 フェザー  石丸利人(早大)    1回戦敗退

◆1956年(昭和31年)第16回豪州・メルボルン五輪
 フライ   米倉健治 (明大) 3回戦敗退 アマ7871勝⇒日本フライ,東洋バンタム王者 
 フェザー  鈴木信一朗(明大) 3回戦敗退
 ライト   石丸利人(ハワイ大)   2回戦敗退(2度目出場)

◆1960年(昭和35年)第17回イタリア・ローマ五輪
 フライ   田辺清 (中大) ☆3位・銅メダル アマ120115勝⇒日本フライ王者
 バンタム  芳賀勝男(中大)  3回戦敗退   アマ6752勝⇒日本バンタム王者
 フェザー  鈴木進悦(農大)  2回戦敗退
 ライト   伊藤靖倖(早大)  3回戦敗退
 LW    渡辺勝治(中大)  2回戦敗退

◆1964年(昭和39年)第18回日本・東京五輪
 フライ   吉野洲太(日大OB)  2回戦敗退
 バンタム  桜井孝雄(中大)  ☆優勝・金メダル ⇒東洋バンタム王者
 フェザー  高山将孝(早大)   2回戦敗退   アマ153136勝⇒日本ライト王者
 ライト   白鳥金丸(早大)   3回戦敗退
 LW    米倉宝二(立大)   3回戦敗退
 ウェルター 浜田吉次郎(近大)  ベスト8
 Lミドル  益田弘二(早大)   2回戦敗退
 ミドル   天間一(自体校)   1回戦敗退
 ヘビー   丸山忠行(自体校)  1回戦敗退

◆1968年(昭和43年)第19回メキシコ・メキシコシティ五輪
 Lフライ  渡部惇二(近大)   1回戦敗退
 フライ   中村哲明(明大)   ベスト8
 バンタム  森岡栄治(近大)  ☆3位・銅メダル アマ128勝(72KO,RSC)10敗、20041109食道癌により永眠59
 フェザー  岡本正 (日大)   1回戦敗退 アマ7262勝⇒日本フェザー王者

◆1972年(昭和47年)第20回ドイツ・ミュンヘン五輪
 Lフライ  新垣吉光 (日大)  1回戦敗退
 フライ   永井希仁男(日大)     2回戦敗退
 フェザー  小林和男(自体校)     ベスト8   アマ3734勝⇒WBCSバンタム王者
 LW    篠原恭二 (近大)  ベスト8

◆1976年(昭和51年)第21回カナダ・モントリオール五輪
 Lフライ  内山昇 (中大)   1回戦敗退
 フライ   古賀俊憲(佐賀県庁)3回戦敗退
 バンタム  石垣仁 (専大)    3回戦敗退 アマ139121勝⇒日本バンタム王者
 フェザー  小田桐幸雄(拓大)   3回戦敗退
 ライト   瀬川幸雄(自体校)      2回戦敗退  ⇒世界Sバンタム級ランカー
 ウェルター 関義文 (中大)    3回戦敗退

◆1980年(昭和55年)第22回ソ連・モスクワ五輪
  前年末、ソ連のアフガニスタン侵攻が発生。これに依り米国が大会ボイコット同調を西側諸国に求める。
  日本はJOC総会投票の結果(2913)、最終的にボイコット決定、その他西独、韓国、中国など50カ国が不参加。
 〔出場予定だったモスクワ五輪代表選手〕
 Lフライ  中村司 (中大OB)
 フライ   木庭浩一(日大OB)
 バンタム  菅藤弘 (山形県庁)
 フェザー  樋口伸二(中大)
 LW    副島保彦(中大)
 ライト   荒井幸人(中大)

◆1984年(昭和59年)第23回米国・ロスアンゼルス五輪
 Lフライ  黒岩守(日大)     5位入賞
 フライ   瀬川正義(拓大)    2回戦敗退
 バンタム高見公明(奈良王寺工教員)   3回戦敗退
 フェザー 東悟   (日大)    2回戦敗退
 LW    三浦国宏(拓大)    1回戦敗退
 ウェルター平仲信明(日大)     2回戦敗退 アマ4843勝⇒WBASライト級王者
 Lミドル  荻原千春(自体校)   3回戦敗退

◆1988年(昭和63年)第24回韓国・ソウル五輪
 Lフライ  黒岩守 (アシックス)         1回戦敗退(2度目出場)
 フライ   瀬川設男(拓大)      2回戦敗退 アマ141125勝⇒日本バンタム、Sバンタム王者
 バンタム    松島勝之(日大)    5位入賞
 フェザー    山田渉 (拓大)       2回戦敗退
 ライト    東悟   (日大)    2回戦敗退(2度目出場)
 LW        三浦国宏(京都府体育協会)1回戦敗退(2度目出場)
 ウェルター高橋良秋(セントラル)  1回戦敗退

◆1992年第25回スペイン・バルセロナ五輪
 Lフライ  佐々木忠広(農大)     2回戦敗退
 ライト   土橋茂之 (法大)  2回戦敗退
 ウェルター    川上雅史 (中大)  1回戦敗退
 Lミドル     長島浩  (日大OB) 1回戦敗退

◆1996年第26回米国・アトランタ五輪
 フライ   辻本和正 (日大)  1回戦敗退
 LW     仁多見史隆(農大)  1回戦敗退
 ミドル   本博国   (自体校) 2回戦敗退

◆2000年第27回豪州・シドニー五輪
 バンタム 辻本和正       2回戦敗退(2度目出場)
 フェザー 塚本秀彦 (日大)  1回戦敗退

◆2004年第28回ギリシャ・アテネ五輪
 Lフライ  五十嵐俊幸(農大) 1回戦敗退

◆2008年 第29回中国・北京五輪
 LW    川内将嗣 (専大)  ※出場内定

1932年の日本のボクシング五輪出場選手第1号から凡そ80年で五輪出場した選手は計64名
★うち2度出場が以下の5名
   石丸利人 52年ヘルシンキ、56年メルボルン
   黒岩守  84年ロス、88年ソウル
   東悟    84年ロス、88年ソウル
   三浦国宏 84年ロス、88年ソウル
   辻本和正 96年アトランタ、00年シドニー
   
五輪出場した全64名のこの中でプロ入りした選手は20名。約3割。
 
★これまで五輪選手から世界王者は2名 
  1972年ミュンヘン五輪Fe級ベスト8 ロイヤル小林(WBC・Sバンタム)
  1984年ロス五輪ウェルター級2回戦 平仲明信  (WBA・Sライト)

★東洋王者は3名
  1956年メルボルン五輪フライ級3回戦 米倉健司 (東洋バンタム)
  1965年東京五輪バンタム級金メダル 桜井孝雄  (東洋バンタム)
  1972年ミュンヘン五輪Fe級ベスト8  ロイヤル小林(東洋フェザー)

★日本王者は8名
  1956年メルボルン五輪フライ級3回戦 米倉健司(日本フライ)
  1960年ローマ五輪フライ級銅メダル  田辺清 (日本フライ)
  1960年ローマ五輪バンタム級3回戦 芳賀勝男(日本バンタム)
  1964年東京五輪Fe級2回戦      高山将孝(日本ライト)
  1968年メキシコ五輪Fe級1回戦    タッド岡本(日本フェザー)
  1976年モントリオール五輪バンタム級3回戦 石垣仁 (日本バンタム)
  1984年ロス五輪ウェルター級2回戦  平仲明信(日本Sライト)
  1988年ソウル五輪フライ級2回戦   瀬川設男(日本バンタム、Sバンタム)
 下記2選手は、当時プロとアマのはっきりしない時代で日本王者になりその後五輪出場
  1932年アムステルダム五輪バンタム級1回戦 岡本不二(日本フライ)
  1932年アムステルダム五輪ウェルター級8強 臼田金太郎(日本ライト、ウェルター)
 

●東欧アマ・ボクサーのプロ・ チャンピオン獲得国学別比較表(20060625)
 ボクシングマガジン7月号掲載の東欧のアマチュア選手に関する記事において、興味深い表と記事が掲載されていましたので紹介します。
本記事では、アマチュアボクシング界を席巻し、プロの世界をも制圧し始めた東欧勢のアマとプロでの成績表と現在活躍中の選手を紹介するとともに、東欧ボク シングの歴史、技術、そして、未来を検証してていました。
 始めに、1948年ロンドン五輪でミドル級、1952年ヘルシンキ五輪と1956年メルボルン五輪ではライトミドル級で金メダルを獲得したハン ガ リーのラズロ・パップを紹介しています。ラズロ・パップは、アマチュアで32812(3125敗説もあり)を記録後、1957519日プロデ ビュー、20戦目で欧州ミドル級タイトルの獲得後、連戦連勝を重ね世界タイトル挑戦を画策したが、開催地の問題でハンガリー当局の許可がおりず挑戦はお流 れとなり、ハップは38才の年齢を表向きの理由に引退表明。パップは167センチの小柄で右利きのサウスポーで、肩をすぼめて小刻みにゆらし、距離測定右 ジャブから左ストレートをボディや顔面に繰り出した後、様々なアングルからの右フックという変則戦法だったそうです。
 パップの紹介の後、ソビエト連邦の登場までと、ドイツ統一とソ連崩壊後に分けて、東欧ボクシング事情を紹介しています。
 まず、オリンピックにおいて旧ソ連に先駆けメダル戦線に顔を出していたのは、ハンガリー、チェコ、ポーランドでした。特に、1930年は、ルーマニア人 ルシアン・ポペスクがプロの欧州フライ級王者となったほか(その後バンタム、フェザーも制す)、アマチュア欧州選手権ブタペスト大会で、地元ハンガリーが 8階級中3階級を制すなど東欧ボクシングの第1期黄金期と位置づけられています。
 第2次世界大戦後世界が東西に分かれた後は、1952年ヘルシンキ五輪で初登場、銀2銅4獲得したソ連が躍進を遂げ、1964年東京五輪では全10階級 中金3銀4銅2を獲得しています。
 一方、東欧はソ連との指導者の交流によるノウハウの吸収を図り、やがて、東独が台頭してきます(同時期台頭してきたキューバについては別の機会に紹介ということです)。東独は1988年ソウル五輪では金2銀1とソ連をしのいでいます。この時のミドル級金メダリストであるヘンリー・マスケがプロデビュー3年後に IBF世界Lヘビー級王者となりました。
ボクシングスタイルとしては、カザフスタン、ウズペキスタン、アジェルバイジャン等中央アジア系はパワーボクシング、ハンガリー、ブルガリアはスキルボク シング、ベラルーシ、ウクライナはパワー&スキルボクシング、ロシアはバリエーションボクシングと分類されていま す。
 東欧ボクシングのターニングポイントは90年以後の東西ドイツ統一、ソ連の崩壊、ルーマニア革命、旧ユーゴスラビアの分裂等の体制崩壊です。例えば、ソ 連のユーリーアルバチャコフが日本でプロデビュー、旧ソ連のボクサーとして初めてのプロ世界タイトルを獲得しています。東独は統一後、アマチュアスポーツ 界全体の薬物投与問題が表面化しかつての力を取り戻すことはなかったようです。
この体制崩壊によって、東欧アマチュアボクサーのプロ参入の道が開かれプロへの侵攻が期待されましたが、その侵攻は穏やかだったようです。アマでの成績が プロでの成績に投影されていない理由として、スタイルの違い以外に、東欧から誕生した過去、現役の世界王者25人中、自国のリングでタイトルを獲得したの はわずか3人であることに言及し、プロを育てるマーケットがないことを指摘しています。
以上、かなり省略&要約して記事を紹介しました。詳しく知りたい方はボクシングマガジン7月号62ページ〜65ページを参照して下さい。
 




+





 













+









現在活躍中の
東欧系選手

プロ・タイトル
/ランキング

アマ主要実績

プロ戦績

 

 

 

 

1

同時期のキューバ/参考

28

15

6

49

62

28

21

111

160

9


 

2

ロシア

20

 

21 

27


 
 

68
 

26

 

18

 


28


 

72


 

140


 

5

ニコライ・ワルーエフ

WBAヘビー級C

特記なし 

44W32KO1NC

スルタン・イブラギモフ

WBAヘビー級6位 

シドニー五輪ヘビー銀

20W16KO1D

アレクサンドル・ポベトキン

 

アテネ五輪Sヘビー金 

8W6KO

パディム・トカレフ

NABFクルーザーC

特記なし 

22W15KO1D

ロマン・カルマジン

IBFSウェルターC

特記なし 

34W21KO1L1D

サーシャ・パクティン

前日本バンタムC

99Jr選手権フライ金

16W5KO

3

同時期の米国/参考

33

10

23

66

14

10

14

38

104

164

4

ポーランド

8

10

24

42

1

3

8

12

56

2

トーマス・アダメク

WBC LヘビーC

98欧選手権Lヘビー銅 

 

5

ルーマニア

1

10

14

25

6

9

15

30

55

1

ルシアン・ブテ

NABF,NABA SミドルC

99世界選手権ウェルター銅

17W15KO

6

ブルガリア

4

5

8

17

7

8

17

32

49

0

 

 

 

 

7

旧東ドイツ

5

2

6

13

1

7

16

24

37

0

8

ユーゴスラビア

3

1

7

11

1

5

11

17

28

2

 

 

 

 

9

カザフスタン

4

4

3

11

5

7

4

16

27

オレグ・アスカエフ

WBCヘビー1位

94ワールド杯Sヘビー銀

32W25KO5L

10

ハンガリー

7

1

8

16

2

1

4

7

23

4

ゾルト・エルディ

WBO L ヘビーC

97世界選手権ミドル金

24W15KO

11

ウクライナ

1

2

4

7

0

8

6

14

21

4

ウラジミール・クリチコ

IBFヘビーC

アトランタ五輪Sヘビー金

46W41KO3L

セルゲイ・ジンジラク

WBO SウェルターC

97世界選手権ウェルター銀

32W21KO

アンドレア・コテルニク

WBAインター&WBOアジ アパシフィックC

シドニー五輪ライト銀

26W11KO2L

ウラジミール・シドレンコ

WBAバンタムC

シドニー五輪フライ銅

18W6KO1D

12

ウズペキスタン

1

0

3

4

4

5

7

16

20

1

ルスラン・チャガエフ

WBAヘビー5位

97世界選手権ヘビー金

20W16KO1D

13

チェコ

3

0

2

5

0

0

4

4

9

0

 

 

 

 

14

アゼルバイジャン

0

0

0

0

1

2

4

7

7

0

 

 

 

 

15

ベラルーシ

0

2

0

2

0

2

2

4

6

1

セルゲイ・リコビッチ

WBOヘビーC

97世界選手権Sヘビー銅

23W14KO1L

16

クロアチア

0

0

0

0

0

1

1

2

2

0

 

 

 

 

17

グルジア

0

0

1

1

0

0

0

0

1

0

 

 

 

 

18

キルギスタン

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

 

 

 

 

18

アルメニア

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

ムガー・ムクルチャン

欧州SミドルC

特記なし

23W17KO2L

アーサー・アブラハム

IBFミドルC

特記なし

21W17KO

ビック・ダルチニアン

IBFフライC

シドニー五輪フライ2回戦負

26W21KO

●大学出身アマ・ボクサーのプロ・ チャンピオン獲得数大学別比較表(20050828
ボクシングマガジン9月号掲載の大学出身アマ・ボクサーのプロ転向に関する記事において、興味深い表が掲載されていましたので紹介します。
本記事のタイトルは「大学出身アマ・ボクサー プロ転向急増の理由とは?」で、近年、日本のプロのリングではアマチュア出身選手が活躍できていないが、そ んな傾向が数年後には一変する可能性があると言う内容です。この1年間に9人ものアマチュア日本チャンピオンおよび準チャンピオンがプロ転向していること に言及し、過去の例を含めこの傾向を多角的に検証しています。この記事の中で、過去の大学出身アマ・ボクサーのプロ転向組で世界/東洋/日本 チャンピオンになっ た各選手について、出身大学と所属ジムが紹介されていましたので、これを元に下記の表を作成してみました。(世界、東洋、日本の区別をせずトータル人数で ランキングしています。また、大学別チャンピオン獲得数合計とジム別チャンピオン獲得数合計が異なりますが、これは1人で複数のチャンピオンを異なるジム 所属で獲得しているためです。 )

 

 

  ジム 

大学

 

 
 
 

 

 

 
 
 
 

A

O

 

 
 
 
 
 

 
 
 

 

 

 


 

 
 
 

 

 
 

 

 

 
 
 
 
 
 

 


 

 

 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 

 

9

4

4

3

3

2

2

2

2

2

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

1

中央大学

10

 

1

 

1

 

 

 

 

1

 

1

1

1

 

1

1

1

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本大学

8

 

1

 

1

2

2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3

近大

7

1

 

 

 

 

 

2

1

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4

専修大学

6

3

 

1

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立教大

4

1

 

 

1

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5

拓大

4

1

 

2

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5

法大

4

1

1

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

8

早大

3

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

1

 

 

 

 

 

 

8

明大

3

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

1

 

 

 

 

10

駒沢大

2

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

11

岐阜経済大

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

 

 

11

関西大

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

 

11

立命館

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

11

桃山学院大

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

日本社会人選手権最年少優勝記録レポート(20050123アップ)
浪速のボクシング亀田三兄妹の次男・亀田大毅が12月26日、三重・久居市総合体育館で行われた全日本社会人選手権決勝戦で、長男・亀田興毅(2003年 に16歳10ヵ月の史上2番目の年少記録で優勝、その後グリーンツダジムよりプロデビュー5戦5勝(4KO)/200412月現在)に続いて優勝して、 史上最年少優勝記録の更新(15歳11ヵ月)を目指しましたが、前回優勝の山本選手に判定で敗れました。
最年少記録は1973年に村田英次郎(元WBA世界バンタム1位、現エディタウンゼントジム会長)が記録した16歳9カ月となっています。
村田英次郎選手(当時金子ジム所属)は、社会人選手権優勝後、1973年か1974年に本連盟が主管する大田区ボクシング大会出場を希望してきました(当 時は現在のように5戦以内の出場条件はありませんでした)が、他の出場選手とレベルが違うので出場を遠慮してもらいました。

●アテネオリンピックレポート(20040922アップ)
アテネ五輪ボクシング競技が8月14日から29日まで、アテネ・ギリシャ市において行なわれましたのでレポートします。(ボクシングマガジン10月号よ り)
全11階級のメダル獲得国21ヶ国の成績を表にしてみました。キューバは人口1123万人の小国ながら抜群の成績ですね。本大会で特筆すべきは、ライト級 で99、01、03年世界選手権、00年シドニー五輪で金メダルを獲得しているキューバのキンデラン選手33歳に善戦し(3022)、銀メダルを獲得し た英国アミール・カーン選手17歳であるとしています。ちなみに、日本から唯1人ライトフライ級に出場した五十嵐俊幸選手(東京農大)は初戦で敗れていま す。
◎=金、○=銀、◇=銅(各メダルの獲得数で順位をつけてみました)

 

 

国名

   

 LF 

   F 

   B 

   Fe 

   L 

LW

  W 

  M 

 LH

   H

  SH

キューバ

8

  

  

  

ロシア

6

  

  

  

  

  

タイ

3

 

  

  

  

  

  

 

 

カザフスタン

3

 

 

 

  

  

 

 

 

米国

2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベラルーシ

2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トルコ

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

フランス

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

朝鮮

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

英国

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エジプト

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12

ドイツ

2

 

  

 

 

 

 

 

 

 

12

アゼルバイジャン

2

 

 

 

 

 

 

 

 

  

12

ウズペキスタン

2

 

  

  

  

 

 

 

 

 

12

韓国

2

 

 

  

  

  

 

 

 

 

12

中国

2

  

 

 

 

 

 

 

 

 

17

エジプト

1

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

17

ルーマニア

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

17

ブルガニア

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

17

シリア

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17

イタリア

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初心 者ボクシング教室が変わります(20040221アップ):
2001
4月18日にスタートした本教室は来月3月17日の通算51回目を最後に4月から内容が変わります。
(名称)大田区ボクシング&ボディビル教室
(後援)大田区教育委員会、大田区体育協会
(時間)毎週金曜日の午後6時〜9時30分
(場所)大田区体育館本館2階トレーニングルーム
(料金)300円/1回、1000円/1ヵ月(月5回の時は1500円が1000円ヨ)=>2005年から第5曜日はお休みとさせて頂きま した。
(使用器具)サンドバッグ、パンチングボール、ベンチプレス用フラットベンチ、スクワット用ラック、その他ウェイトトレーニング用器具およ びエアロビックトレーニングマシン
(トレーニングスタイルと内容)上記時間帯の都合の良い時間に上記各種器具を利用した自主トレーニングを行なってもらいます。必要と希望に 応じてボクシングやウェイトトレーニングの指導を行ないます。
(チャンス)会員さんの技量と力と意欲によっては、大学のボクシング部やボクシングジムでのスパーリングの機会を作りアマチュアボク シングの試合に出場できるチャンスを作ります。
また、会員さんの希望者の人数によっては日本社会人ボディビル連盟に団体登録してボディビルコンへの出場チャンスを作ります。女性の 会員さんは、ボディビルコン以外に「ミスフィットネス選手権」や「ミス21健康美大会」への出場チャンスがあります。

●大田区ボクシング 大会レポート(20031111アップ);
11
月9日第31回大田区ボクシング大会を開催しましたのでレポートします。
今回の大会は、昨年までのように区立小学校の体育館や太田区体育館において、日本連盟から借用、運搬、組み立てたリングを使用するのではなく、大田区内の 民間スポーツクラブ(ゴールドジム)常設のリングを利用させていただきましたので、格段に我々スタッフの負担が軽減されました。このような方法が取れたの は、アマチュアボクシング競技規則の規格に合ったリング常設で、しかも、観客スペースを備えた ゴールドジムが200210月にオープンしてくれたからです。このような施設ができたのは区内では初めてでした。ゴールドジム様に大変感謝しています。 観客もピーク時で300人以上集まっていただき、また、事故や怪我もなく大成功だったと思っています。選手、所属クラブ、東京都アマチュアボクシング連 盟、ゴールドジム・サウス東京ANNEX 、その他大会運営に協力いただいた方々に深く感謝いたします。
大会の内容は、9時から計量・検診を行い、14時からの開会式において、太田区教育委員会、太田区体育協会、太田区アマチュアボクシング連盟、日本アマ チュアボクシング連盟公認審判員の各代表の挨拶の後、1976年第4回大会に出場した後プロ転向し、6年後にWBCフライ級世界チャンピオンとなった小林 光二氏が紹介され、盛り上がった雰囲気で大会開始となりました。そして、体重別組み合わせのため5選手が不戦となりましたが20試合が行なわれ1730 分終了しました。民間スポーツクラブの常設リング借用、当日計量検診と今回が初めての試みもすべてうまくいったものと思っています。しかし、今回の成功体 験に浮かれることなく反省すべきところは反省してより良い大会にしたいと考えております。尚、来年も同じ日程場所(11月の第2日曜日、ゴールドジム・サ ウス東京ANNEX)で行ないたいと思っています。

●東京都女子 アマチュアボクシング 選手権&男子社会人選手権レポート(20030706アップ);
本大会は20036/286/29に、東京都の日野自動車健保会館内ボクシング道場で行なわれ、6/29に観戦してきましたのでレポートします。
6/29
に行なわれた実戦の部は、女子のライトフライ級決勝、男子社会人選手権のフェザー級、ライトウェルター級の各級決勝の3試合のみで、その他の決勝 は第1日に終了してしまったそうです。男子ライトウェルタ級の選手は昨年11月の大田区大会でKO勝ちデビューを飾り印象に残っていた選手で、その後、実 業団選手権優勝と今大会準決勝を勝ち抜き55勝で向かえた本日の決勝でしたが、残念ながらベテラン選手に3RKO負けを喫しってしまいました。
また、女子の演技の部が1日でまとめて行なわれ、軽量級17名、中軽量級16名、中量級1名で競技が行なわれました。基礎体力種目の腕立て伏せにおいて、 他の選手がハーフレンジで行なっていたのに対し、ただ1人胸を床すれすれまでおろしフルレンジで行なっていたので注目していたところ、予想通りその選手が 優勝しました。その選手は、サンドバッグ打ち種目において、前の手のストレートパンチ(オーソドックススタイルの左ストレート)を出す際も、手打ちではな く腰や肩の回旋をともなったパワーパンチを打っていました。
後から聞いた話では、1日目の男子の試合で、相手選手のインサイドブローで一旦失格勝ちの判定を受けましたが、試合後のバンデージのチェックで試合用のバ ンデージを使用していなかったことが判明し、逆に失格負けとなったそうです。他の例では、こぶしを痛めているためバンデージの間にスポンジを入れていた選 手が失格になったという例も聞いています。また、バンデージを止めるための絆創膏も長さ7.5cm、幅2.5cm以下で手首の上部ときめられています。1 周まいて失格した選手もいるそうです。気をつけましょう。
 

●第1回全日本女子アマチュア ボクシング大会レポート(20030322アップ):
本大会は20033/153/16に、東京都の日野自動車健保会館内ボクシング道場で行なわれました。演技の部は17人出場で、軽量級(51kg以 下)8人、軽中量級(59kg以下)7人、中重量級(71kg以下)2人で競われ、実戦の部は19人出場で、ピン級(42Kg45Kg2人、Lフライ 級(48kg以下)4人、 フライ級A(51kg以下)3人、フライ級B(51kg以下)3人、バンタム級(55kg以下)4人、ライト級(63kg以下)1人、ライトウェルター級 (67kg以下)2人で競われました。(実践の部の階級分けは2003/4から変更されます)
北海道から熊本まで全国15都道府県から36人が出場する注目の第1回大会ということでTV3社や新聞雑誌等のマスコミ取材陣を含め、目視カウントでざっ と400人ほどの観衆が集まり、会場が狭いため満員電車並の混雑ぶりでした。
16日だけ観戦しましたが、実践の部は予想していたよりレベルが高く、反則が少なくブレークコールも覚えがないほどスマートな試合が多い感想を持ちまし た。演技の部は、15日に、構え、フットワーク、パンチの打し方、よけ方等の基本技術の採点が行なわれ、16日には、まず、シャドーボクシングの審査を行 ない、続いて体力(縄跳び22ラウンド、腕立て伏せ=2秒に1回の号令に合わせ10回実施、腹筋=膝屈曲仰臥位で腕を胸の上に組み、腕を胸からはなさず に上体を起こし、腕が膝が付いてから背中を床につけて1回とし、カウント方法は腕立て伏せと同じ)の審査を行ない、最後にサンドバッグ打ちを審査していま した。16日の観戦の中では、サンドバッグ打で選手の技量に明らかな差が出たような印象を受けました。
あとから大会役員に聞いた話では、判定の結果1位を逃した選手が控え室で泣き崩れていたり、また、対戦前に子どもに授乳しているお母さんボクサーがいたり と女子の試合らしい面が見られたとのことでした。

● ボクシングはオリンピックの競技種目として生き残れるか?/ボクシングマガジン20032月号より(20030122アップ):
アマチュアボクシングは、1904年近代オリンピック第3回米国セントルイス大会以来正式種目として実施されてきました。また、プロでも、クィーンズベ リールールの下に19世紀末までに各階級大者が誕生しました。そして、プロは誕生地の欧州ではなく米国主導の下にグローバル競技として開花し、ビッグマ ネーが動くスポーツイベントとなりました。例えば、1974年のモハメッド・アリvsジョージ・フォアマン戦において、アリは15億円のファイトマネーを 手にしたことを覚えています。その当時の大学学部卒の初任給と現在のそれとを比べて換算すると、現在なら約45億円のファイトマネーと言う事になります。 しかし、現在ボクシング競技のオリンピックからの除外が検討され始めています。オリンピックの肥大化防止のため、野球やソフトボール等、欧州以外の国々に よってメダルが争われている競技のオリンピックからの除外が検討されていることとリンクして考えざるを得ません。ボクシングは英国で誕生しながら、西欧以 外の地域の諸国がハバを利かせ、しかも判定を巡る問題の生じやすい札付き競技で、欧州の特権貴族階級による「クラブ」によって運営されているIOCの委員 におぼえの良い競技ではありませんでした。これまでも何度かオリンピック種目からの除外の危機にさらされてきましたが、その都度、米国のメジャー・ネット ワーク・テレビへの配慮と、アフリカを軸とする第三世界諸国の支持によって危機を回避してきました。2008年の北京大会までの存続は保証されています が、冬季五輪のジャンプや距離複合の競技規則変更等、欧州勢の影響力の強いオリンピックに存続できるかどうかは疑問です。このような危機を察してか、プロ ボクシング界のオピニオンリーダーWBC会長とAIBA(国際アマチュアボクシング連盟)会長との連名でキャリア3年未満のプロボクサーのオリンピック参 加資格許諾案が発表されています。これは時期尚早として見送られましたが、ボクシング発展の道を模索していることを暗示している出来事と解釈できるのかも 知れません。本記事では、「WBCに求められているのは、ビジネスライクな視点に偏らずに「ボクシング」を見据えた上で、競技的本質の維持と相続・発展を 同時に図る包括的なビジョンではないのか」と締めくくっています。

●プロ/ボクシングマ ガジン2002年8月号より(20020810アップ):
前回のトピックスでアマチュアの起源について触れましたので、今回はプロについて紹介します。まず、日本ではプロボクシングを管轄し、試合認定、進行を司 る日本ボクシングコミッション(JBC)によるプロが行なわれ、健康診断、筆記試験、実技試験に合格した者にプロのライセンスが発行されます。しか し、海外にはこのプロがありません。選手をプロにするかどうかの判断はマネージャーのみに任されます。最初からプロで戦うのは希で、大半がアマチュ アでの実績をつんでからマネージャーとプロ契約します。技量の水準が低い選手を試合に出してしまったらマネージャーの資格問題になります。日本は行政の認 可制度の延長システムなのでしょうか?

● アマチュアボクシングの目指す方向要約紹介/日本アマチュアボクシング連盟広報より(20020810アップ):
 ボクシング競技は古代から行なわれてきましたが、当時ボクシングは見る/見せることに重きを置いた賞金競技であり、それによる各種弊害に対する批判があ りました。そこでこれを見直し、正しいスポーツとして、また、人間教育の手段及び活動として発展させようという動きが1800年代後半に起こってきまし た。このように、ボクシングのアマチュアリズムはプロから独立して誕生したものなので、最近はやりのプロアマのオープン化はありえません。そして、商業主 義に走りスポーツの本質を見失いつつある今のスポーツ界の風潮にとらわれる事なく、正しいボクシングの普及に向かう事が必要であると述べています。
これらのことを「   マチュアボクシング憲章 」を引用して説明していましたので参考にして下さい。
私見ですが、現在のプロボクシングは、アマチュアボクシングとして独立した当時のプロボクシングとは異なり、プロの競技スポーツに分類されると思います。

●第1回東京都女子アマチュア ボクシング大会レポート(20020706アップ):
演技の部は軽量級(51Kg以下)3人、軽中量級(59Kg以下)4人、中量級(71Kg以下)1人で競い、各クラスの初代チャンピオンが決定した。競技 は日本連盟規定の採点法に従って行われ、技術チェック、体力チェック、総合チェックに分けて行われた。体力チェックは縄跳び、腕立て伏せ、腹筋力について 行われ、総合力チェックではサンドバッグ打ちとシャドウボクシングによって行われた(技術チェックの内容については 本技術 トレーニングのチェックポイントVer.2002.07.03 参照)。技術チェックにおいては、28項目のポイントについてスキルチェックが行われ、1項目10点満点で3人の採点者による合計840点満点で競われ た。具体的な競技スタイルは、リング上で2、3人の選手が上記スキルチェックの審査を受け、その間に、他のグループが体力チェックや総合力チェックの審査 を受けた。全体としては、チェック項目の分類、内容とも良く考えられており、これなら女子ボクサーが抵抗なく参加できるのではという感想を持った。

●6月29日から女子ボクシングが本格始 動(20020616アップ):
実施基準、競技規則が日本アマチュアボクシング連盟より発表され女子ボクシングがいよいよ具体的に動き始めることとなった。6月29日、30日に東京都大 会が行われ、11月に全日本選手権を行う予定となっている。
上記東京都大会は演技競技と実戦技に分けて行われる。演技種目はA〜Eの五段階評価の採点競技であり、参加資格に厳しい条件はないが、実戦種目は演技種目 でC級以上やスパーリング大会参加履歴その他の条件が必要となる。体重分けや演技種目の内容その他の実施基準や競技規則の概要はボクシングマガジン7月号 143ページ参照。

●第1回女子ボクシング世界選手権開催 (20020122アップ)
2001
112612/2米国ペンシルバニア州で23の国と地域が参加、12階級の初代チャンピオンが誕生しました。階級は 45/48/51/54/57/60/63.5/67/71/75/81/90Kgとなっており、90Kg以上の階級の試合は行われていません(ほぼ男子 のジュニアの部と同じで、違いは91Kgー>90Kgと、90Kg以上の階級があるのかどうかは分かりませんー>分かり次第反映します)。
初代チャンピオンの内容は、ロシア4、スウェーデン2、米国、トルコ、イタリア、中国、カナダ、ハンガリー各1となっています。
準決勝、決勝の36試合の結果をチェックすると、ロシアのイリナ・シネツカヤ選手が準決勝・決勝とRSC勝ちした以外はすべて判定です。男子のエリート キューバは出場しているのか分かりません(ー>分かり次第反映します)。(ボクシングマガジン2月号より)

●日本アマチュア連盟が女子ボクシング を公認(20011125アップ)
ボクシングマガジン12月号によると、関西で1996年12月から続けられていた全日本女子アマチュアボクシング大会(http: //www.ne.jp/asahi/jlab/web/index.html)の活動が11月3、4日の大会を最後に終了し、日本アマチュア連盟に移 管?されることになった。来年から、女子選手は各都道府県連盟に選手登録し、各都道府県連盟主催/主管の公認試合に出場することになる。
現在AIBAは、2004年アテネオリンピック公開競技、2008年北京大会正式競技の道を目指している。(詳細は本誌参照)