書き下ろし作品「炎の女帝」創作ノート1

1998年12月〜

1998年12月 1999年1月〜ホームページに戻る


12/01
本日からこのノートをスタートする。
この作品は『炎の女帝(仮題)』の創作ノートである。前回の『天翔ける女帝』(1999年1月下旬発売予定)に続く「女帝三部作」の第二弾となる作品だが、時代は前回よりも過去に遡ることになる。
大化改新(西暦645年)からスタートして、光明皇后の誕生(701年)までを描く。
なぜこの作品を書くのか。女帝三部作だからである。
いま実際にこの作品を書こうとして、自分の過去を振り返り、いつごろからこの作品のことを考えるようになったかを思い出そうとしているのが、よくわからない。
イエス・キリストを主人公にした『地に火を放つ者』を書いた時、次に書く宗教小説は「聖徳太子」だと考えていた。
しかし聖徳太子を書くにはまだ心の準備ができていないかったし、デビュー作『僕って何』以来の担当編集者であったK氏が亡くなったため、大作を書かねばならないというプレッシャーがなくなった。
そのため準備を先延ばしにしていたのだが、そういう時に廣済堂出版の谷口くんから時代小説の要請があって、谷口くんとは以前に『霧隠れ雲隠れ』というユーモア時代小説を出したのだが、今度はユーモア小説ではなく、シリアスなものを書きたいと思い、最初は聖徳太子を考えた。しかしまだ機が熟していないと判断して、以前から心にかけていた「道鏡」で行こうとということになった。
しかし道鏡だけでは抹香臭い作品になってしまうので(坊主が主人公の話を多くの読者が読むとは思えない)、孝謙天皇をヒロインとして、後半に道鏡を出すというプランを思いついた。
書いている途中で、孝謙天皇が女帝の系譜の果てに登場した「最後の女帝」であるということが、改めて大きな課題として感じられた。
そのころから三部作という構想が浮かんだように思う。つまりこの作品は、「道鏡」から「聖徳太子」へという宗教小説の橋渡しとなる作品である。
橋渡しではあるが、ストーリーとしては、この作品がいちばん面白いと思う。何よりもこの作品では、宗教も哲学もなく、ひたすら持統天皇讃良媛の生涯が語られることになる。
短い期間に激しい政治的な抗争があり、多くの主要登場人物が虐殺される。「万葉集」で歌われた詩的な世界でもある。
この壮大なドラマを可能な限りコンパクトにテンポよく描いて、次の作品への橋渡しとする。歴史の時間軸に沿っていえば「推古天皇」「持統天皇」「孝謙天皇」の順だが、作品を書く順番としては逆になる。読者にもそのような順番で読んでもらいたい。
ヒロインは讃良媛(さららひめ)だが、「孝謙天皇」において、陰の主人公が(道鏡ではなく)吉備真備であったように、この作品においても、実質的な主人公は、藤原鎌足・不比等の父子ということになるだろう。
政治の世界を陰で操る策士というのが、女帝三部作の隠されたテーマだ。
冒頭は当然、645年のクーデターの直前の、天智天皇(中大兄皇子)と鎌足の出会いということになる。
鎌足を仲介人として、中大兄と蘇我石川麻呂の出会いがあり、麻呂の娘、すなわち讃良媛の母との出会いがある。
そして645年のクーデターの直後に、讃良媛が誕生することになる。
実にドラマチックなストーリーだ。クーデターの詳細については、すでにプランがある。「日本書紀」の記述を中心に展開するけれども、この歴史書はフィクションであり、かなりの部分が捏造されたものだと考えられるので、史実にとらわれずに自由に虚構を組み立てていく。
例えば、鎌足は加羅国出身の侏儒であった、というような大胆なウソを、平然と書ききってしまう。
ついでに鎌足の妻、すなわち不比等の母は額田王である、というのも虚構ではあるが、これくらいのウソをつかないと話が面白くならない。
この時代に関しては、「日本書紀」しか資料がなく、これがかなりインチキ臭い書物だから、結局、「史実」などといったものは存在しないと考えればいい。
もちろん「万葉集」というものがあり、ここには「額田王」が登場する。額田王は鏡王の娘であり、天武天皇の妃となって十市皇子を産んだあと、天智天皇の妃となった。
これは事実だろう。また「万葉集」には、天智天皇から「鏡王女」という妃をセカンドハンドでプレゼントされた鎌足の喜びの歌が載っている。「鏡王女」とは誰か。これは名前ではなく、「鏡王の娘」ということだろう。額田王は鏡王の娘だ。彼女に姉妹がいたというのが通説だが、額田王の姉妹なら歌の一つくらい「万葉集」に載っているべきだが、そういうものはない。だとすれば額田王が鎌足に払い下げられたと考えても不都合はない。
この程度のいいかげんな時代考証(?)で先に進むことにする。この作品は歴史に忠実な「歴史小説」ではなく、歴史を素材とした「歴史ロマン」である。話を面白くするためには、いくらでも嘘をつく。
まあ、そんな感じで先に進みたい。
ガンガン書いていきたいところだが、まだ大学の授業が残っているし、実は本来は11月末に完成しているはずの「少女エクレール」というジュニア小説がまだ終わっていない。月の半ばまでは、並行して書き進めることになる。
『天翔ける女帝』の時も出だしは手探りだった。年末までに100枚書ければいいと思っている。

12/4
第一章の半分くらいまで書いた。中大兄の登場、鎌足との出会い。石川麻呂宅に赴き、そこで持統天皇讃良媛の母となる遠智媛と出会う。
そこから大化改新まで一気に進み、讃良媛が生まれたところで第一章は終わる。
ものすごいスピードでストーリーを展開しないといけない。ただ歴史をたどるだけだと意味がない。
この作品に固有のアイテムが必要だ。まず中大兄の個性だが、奇をてらわずに、天智天皇というイメージから自然に出てくるプライドが高い野心家を想定している。弟の天武天皇大海人皇子は、役柄としてはマクベスなのだが、大らかで少し気弱でいくぶん謎めいたところもある複雑な人物として描きたい。
大海人は讃良媛とのかねあいがあるのでキャラクターはいくぶん揺れるだろう。
中心となるのは中臣鎌足で、まずこの人物は加羅国出身の侏儒として描く。これはまったく新しい鎌足像となるだろう。イメージとしてはリア王の道化みたいなものだが、むろん戦略を立てる野心家でもある。
『女帝T・天翔ける女帝』に登場した吉備真備とキャラクターがダブらないように注意しないといけない。が、同じようなキャラクターが何度も出てくるということでもいいのかもしれない。「聖徳太子」の場合は、謎の忍者、鳥一族というものを考えている。鎌足の周囲にもスパイや刺客がいたはずだが、この種のものを出すと作品が安っぽくなるので慎重に書かないといけない。
飛鳥という土地の感じがまだつかめていない。小学校か中学校の時に遠足で行った。大和三山のイメージもある。しかし全体の配置がよくわからない。地図だけでは空間的な広がりがつかめない。しかし実際に行ってみると、現実のイメージに縛られるということがあるから、知らずに書いた方がいいかもしれない。
イエス・キリストの『地に火を放つ者』を書いた時は、湾岸戦争があってエルサレムに行けなかった。戦争がなくても行かなかったかもしれないが。
飛鳥ならいますぐにでも行けるのだが、もう少し書き進んで、必要が感じてから行くことにする。
『女帝T』は奈良が舞台だったので、べつに取材に行くことはなかった。東大寺や新薬師寺のイメージは鮮やかに残っているし、土地勘もある。しかし考えてみれば、新薬師寺に最後に行ったのは高校の頃だ。大仏はたぶん中学の頃だろう。それでいいのかと思ったが、イメージがはっきりしていたから書くことに支障はなかった。
夜中にテレビを見ていると大和三山が映った。飛鳥川、甘橿丘なども映った。これで充分だ。いや、甘橿丘の上から飛鳥の全体を眺めて見たら、発見があるかもしれない。まあ、そのうち。
まだ『少女エクレール』が終わっていない。歴史小説とSFとを同時に書くのは大変だ。おまけに今週は学生の宿題がドッと出た。
歴史小説一本にしぼったら大量生産できるのでは、と考えたりもする。女帝三部作が出て作品の注文が増えたら検討すべきかもしれない。
まだ慣らし運転の状態なので、スピードはあまりあげず、地理的なイメージ、人物のキャラクターなどを丹念に描いていきたい。年末までに100枚書ければいいと思っている。
ただし第一章の終わりまでは一気に書いてみたい。

12/6
第一章完了。まだ「エクレール」と並行して書いているが、先月、資料を読みながら、冒頭部分のイメージは考えていたので、何の迷いもなく、時間さえあればいくらでも書ける状態になっている。
しかしこれでいいのかという気持ちはある。歴史小説は資料を読めばストーリーはすでに出来上がっているのだから、いくらでも書ける状態になるのは当たり前だ。いくらでも書けるというのは何も考えていないということで、歴史的な事実をそのまま書くだけではただのアラスジにすぎない。そのアラスジをどのように具体的にイメージするかということが大切だ。
ただし第一章は、大化改新から讃良媛が生まれるまでを描くことになる。つまり本当のヒロインが登場するのは第二章以降ということなる。
第一章はアラスジだけでいいとも考えられる。そこでとりあえず最後まで書いてプリントしてみることにした。おりにふれて読み返し、これでいいのかどうかを検討することにする。
ただのアラスジにすぎなくても面白ければそれでいい。読者が次を読みたくなる、というものであればオープニングとしての役目は果たせる。
問題はここに書き手の個性が発揮されているかということ。必要な描写はあるはずだが、テンポを重視しているので会話が多く、確かに会話とアラスジだけの文章になっている。
書き手のオリジナルな部分としては、鎌足が侏儒であるということくらいだが、ここのところのイメージはうまく書けた。
思い切って侏儒にしたことで、吉備真備との違いはクリアーになる。持統天皇が生まれるところ、まったく描写がない。まあ、これでいいか。
作品全体は、基本的には讃良媛の視点で描きたいと思っている。だが、第一章はまだヒロインが生まれていないのだから、神の視点と中大兄の視点との中途半端な混合になっている。
これ以後も戦闘場面など讃良媛のいない場面を描く必要もある。とくに天智天皇が死ぬところは讃良媛は不在だ。従って讃良媛の視点からはずれる文体があることを最初に示しておくことは必要なはずで、第一章で天智天皇の視点で書いておいた部分は、天智の死の場面で効いてくるはずだ。
というような伏線を張りながら進んでいく。第二章で、少女時代の持統をいかに魅力的に書けるかが作品全体の正否を決めるだろう。

12/15
第一章を書いた後、いろいろと細かいチェックを重ねている。
文体はこれでいいと思うのだが、まだ主役の持統天皇が出てきていないので、テンポが速くアラスジだけ、といった感じになっている。
せめて天智天皇の心理など、もう少し臨場感があっていいのではないか、と思って少しだけ書き足した。
第二章も半分くらいは進んでいる。まだアラスジ状態だ。どこから細部をきっちり書いていくかが問題。
もっと細かく書くべきかと考えてみたいが、500枚以内に収めるためには、序盤はスピードをあげてストーリーを展開しなければならない。
讃良媛の母が死ぬところ、立ったまま弟の建皇子を産み落とした直後に自決する。それを五歳の讃良媛だけが立ち会い、赤子を支える役をする。
死ぬ間際に、「父を討て」と娘に命じる。ものすごいシーンだが、サラッと書く。
とはいえ、母の自決の出欠と羊水を浴びて真っ赤に染まった五歳の讃良媛のイメージは強烈だ。「炎の女帝」というタイトルは、この血に染まった少女のイメージが基本になっているから、重大なシーンだ。うまくかけたと思う。
このあとの展開、有馬皇子をどう描くかを考えていたが、どうしてもこのエピソードを浮いてしまう。仕方がないので、讃良媛の初恋の人は有馬皇子だった、というやや強引な設定にしてしまおう。これが史実かどうかは誰にもわからない。話は面白い方がいい。
讃良媛のキャラクターは徐々に確立しつつある。強い女、ちょっと困った女性だ。でも愛情をこめて書いていこう。
並行して書いている「エクレール」は担当編集者の催促もないので、しばらく放っておこう。来年のメインは歴史小説だと考えているので、SFの方はどうしても書かねばならぬものでもない。
春休みは講談社の書き下ろしエッセーを書く約束をしているので、「炎の女帝」は2月末には完成させたい。

12/18
第2章完了。この章は讃良媛が生まれてから、まず祖父の石川麻呂が殺され、悲憤慷慨した母が讃良媛の弟の建の皇子を産んだ直後に自害する、といった展開で悲劇的なストーリーになっている。
とくに讃良媛の目の前で母が弟を産むシーンはこの章の山場になっている。ヒロインの父への憎しみの原点となる場面なので、スプラッタムービーのようら鮮血が飛び散るおどろおどろとしたシーンになっている。
この作品は強い女、意志をもった女を描くというのがコンセプトだ。まず母の強さが描かれる。
父の天智天皇は悪役だけれども、それなりにカッコよく描く必要がある。ここから持続的に父と娘の葛藤が続いていくことになる。
この章ではさらに、額田女王との出会いが描かれる。額田は讃良媛より十歳以上年上だが、女と女の友情で結ばれることになる。
額田は、讃良媛の将来の夫となる天武天皇の愛人であり、すでに十市姫皇子を産んでいる。そして讃良媛の父、天智天皇の愛人でもある。
さらに額田はこの作品では、ギリシャ神話のカツサンドラのような、未来を見る超能力者という設定になっている。
未来を見ることのできる人間の悲劇を額田を通じて描きたい。
さらにこの作品では、額田は中臣鎌足の妻となり、不比等を産むことになっている。
これはフィクションだが、話を面白くするために歴史を書き換えることになる。
ただしそういう仮説を出した学者もいるらしい。この不比等が天智天皇を殺すことになる。
というようなストーリーが展開されるので、伏線を張っていかなければならない。
額田女王が予言者であるという設定は、適度にストーリーの先を示して、読者を引っぱっていくという、作品の構造上の仕掛けとなっている。
前作「天翔ける女帝」では、1章を25〜30枚で書いていったのだが、今回は30〜40枚にするつもりだ。
登場人物が多く、ストーリーがかなりあるので、章を長くして次から次へとストーリーが展開していくというふうにしたい。
第2章は額田が出てくるところで終わり。次の章は有馬皇子の物語になる。有馬皇子と讃良媛のプラトニック・ラブが描かれる。もちろんフィクションであるが、作品の悲劇性を高めるとともに、ヒロインの父に対する憎しみをさらに深めて、作品そのものの怨念のパワーを盛り上げるためにはぜひとも必要な展開だ。
年末までに3章書くつもりでいるけれども、だいたい予定どおりに進みそうだ。
大学の授業が終わったので仕事に集中できる。長男がブリュツセルから帰ってきて、早速パソコンを壊すというトラブルがあったりもしたのだが、仕事に使っているパソコンではないし、わたしが再起動すると問題なく動いたので、要するに長男が触ると壊れるということだ。不思議だが、そういうことがこれまでにも何度もあった。体内から静電気を発しているのではないかと思う
有馬皇子を美しく描きたい。2章は暗かったので、3章は明るくて悲しい章にしたい。

12/22
本日は長男のコンサートがあった。長男は子供の頃からピアノを弾いていた。現在はベルギーのブリュッセル王立音楽院のセカンダリー課程にいる。
今年の5月、バルセロナのマリア・カナルス国際音楽コンクールで2位に入賞した。
長男の演奏をこの前に聴いたのは、二年ほど前の芸大卒業直前の演奏だから、実に久しぶりに聴くことになる。
これまでの長男の演奏は、よく考え抜かれた繊細な演奏は個性的だが、パワーに欠け、ダイナミズムがなかった。
実は今年の2月に次男を連れてブリュツセルに行った時、ベルギービールに少し酔ったせいもあって、「おまえのベートーヴェンはパワーがない」などと余計なことを言ったので、長男が黙り込んでしまったことがあった。
その直後のバルセロナの一次予選を、長男は2位で通過した。課題曲はベートーヴェンだ。電話で妻に報告した長男は「お父さんに言っておいて」と言ったそうだ。「パワーがない」と言われたことがよほど悔しかったのだろう。
で、本日の演奏だが、見事にパワーを獲得していた。留学の成果か、それとも年齢的にようやく大人になってきたのか、力強くそれでいて繊細な見事な演奏だった。
息子の成長をまのあたりにすると、突然、自分のことを考えてしまう。自分ももっと成長しなければならない、などと考えてしまうのは、50歳になってもまだ若さを失っていない証拠だと自画自賛する。
さて、現在は3章の半ば。ここでいよいよ大海人が登場する。ヒロイン讃良媛の生涯の伴侶となる人物だ。
兄の中大兄とのキャラクターの違いを明確に見せておく必要がある。
ここで注目されなければならないのは、天智、天武という名前だ。天皇の名称は、死後に送られるので、後世の人々の亡くなった天皇に対するイメージが反映される。
つまり天智天皇は知的な人物であり、天武天皇は武術に優れていた、というわけだ。
しかしこれは既存のパターンだから、作品を書いていく上では、ここをはずす必要がある。
今回の作品では天智は冷徹な人物で、ある意味で知的ではあるけれども、むしろ暴力的な権力者として描いていく。
天武大海人の方は、やさしくて、どこかとぼけた頼りのない人物としてキャラクターを設定する。そうでないと讃良媛の活躍の場がなくなってしまう。
額田女王は予知能力のあるカツサンドラ、讃良媛持統天皇はキャラクターとしてはマクベス夫人になってしまうけれども、なるべく明るい人物として描いていきたい。
額田、天智、天武の三角関係に讃良媛が割って入る。さらにここに中臣鎌足も加わることになる。侏儒としての鎌足のキャラクターを有効に使いたい。
疑問。「侏儒」というのは差別用語だろうか。ここは注意しないといけない。しかし他に適当な言葉も見つからないし、背の低さがコンプレックスとなり、それが政治的なパワーの源になっているわけだから、侏儒という言葉をはずすわけにはいかない。
用語については書き換えが可能なら出来る限り、言い換えていくというのが作家としての基本姿勢だが、作品の根幹に関わる言葉については譲れない。
有馬皇子についても少し書いた。次の章で死んでしまう人物だが、チラッと作品をよぎるだけでも強い印象を残すキャラクターとして描かなければならない。
この章で、主要登場人物がほぼ出揃うことになる。といっても大人たちだけだが。この作品は天智、天武、額田女王、鎌足、持統という大人の世代と、大友皇子、十市皇女、藤原不比等ら子供たちの世代の二代にわたる物語だ。
讃良媛持統天皇は、天智の娘でありながら天武の皇后であるという点で、両方の世代のクロスオーバーポイントに立っている。そこでヒロインたる由縁といっていいだろう。
1章が40枚以上になっているので、全体は12章あれば充分だ。年内に3章まで書ければいいと考えている。
大学から卒論が届いた。1月の仕事はこの卒論を見ることの他に、2年に進級する時に専攻を選択する1年生の、文芸専修志望者の振り分けの資料として、提出された小説を読まないといけない。
他に聖書に関する総合講座のレポートというのが残っているのだが、年間の授業で担当している4コマの成績はすでにつけてしまったので、1月は何もしなくていい。
というわけで、大学に出ていく日数は数日だけなので、執筆に集中できるだろう。1月末の時点で8章くらいまで進んでいればたいへん嬉しいだろうと思う。そううまくいくかどうかわからないが、2月末には完成させなければならないので、正月も休まずに働くことになるだろう。

12/25
第3章、完了。この章では、主要登場人物が一気に結集する。
まず有馬皇子。結局、有馬皇子の死は次の章で扱うことになったので、伏線としてチラッと出てくるだけだが。
大海人も出てくる。中大兄、額田女王、間人皇后、それに皇極上皇、さらには中臣鎌足が一堂に会して大議論をする。
中大兄、大海人、額田は三角関係にある。中大兄と間人は同母の兄と妹だが愛人関係にある。
額田は鎌足の妻となりやがて不比等を産む。これだけの密度の高い関係がここに集約されている。
しかも九歳の讃良媛がこれに関わる。やがて讃良媛は大海人の妻となる。讃良媛と中大兄は、父と娘ではあるが敵対関係にある。
この作品は、讃良媛の父に対する憎しみがモチーフになっている。中大兄がどのように死ぬかは、ここでは明かさない。読んでからのお楽しみとしておきたい。
ただしただ憎しみをぶつけるだけではない。讃良媛の体内には父の血が流れている。そのことを自覚することが、讃良媛にとっての大きなドラマであり、作品の盛り上がりでもある。
従って、讃良媛と中大兄の対立を、どりだけパワフルに書けるかどうかが、この作品の導入部の最大の課題となる。
有馬皇子のエピソードを効果的に使いたい。ここまでで鎌足の個性も描けたと思う。不気味であり、同時に滑稽でもある、道化役。これが演劇なら、儲け役だ。小説の場合も、この人物が出てくると、読者がほっと緊張を緩め、くすっと笑えるような人物に育てたい。
藤原不比等はこの作品のヒーローといってもいいので、あまり漫画的に描くわけにはいかない。父親の方は、できる限りコミカルに描きたい。
3章まで書いたがすべて40枚以上あるので、これで120枚になった。全体の4分の1に達した。その割にはまだ大きな事件が起こっていない。
次の章では、讃良媛の結婚から白村江までを一気に語りたい。とはいえここではまず有馬皇子の反乱と処刑にある程度、枚数を割かなければならないし、熱田津の額田女王の有名な歌や、姉の大田皇女が大伯皇女を産み、さらに大津皇子を産むことになる。すでに讃良媛は草壁皇子を産んでいる。
これだけの内容を1章で描くのは難しいかもしれない。しかしテンポが遅いと、本が厚くなってしまう。500枚以内に抑えなければならないので、天智天皇の死と壬申の乱は、作品の真ん中あたりに描かなければならない。
そこから先にもドラマがたくさんある。天武天皇の子供たちの世代には、膨大なドラマが待ち受けている。これをテンポよく語るのは至難の技だが、このストーリー群を500枚で語ることができれば、それだけでも不朽の名作になる。
3章のラストシーンは、大海人が額田女王の部屋に忍ぼうとすると、侏儒の鎌足が槍をもって番をしているというシーン。このイメージは鮮烈だ。もちろんこれは「史実」ではない。つまり、これまでに誰も考えなかったイメージだろう。こういうところに書く喜びがある。
1998年も終わろうとしている。今年は身辺に大きな波があった。プライベートな出来事なのでここには書かないが、いろいろな意味で人生の転機となるような出来事があった。
しかしそういうことをぬきにしても、この「炎の女帝」(仮題)という作品は、大きなエポックになりそうだ。
ところで、12/20、友人の岳真也氏の出版記念会があった。岳氏は20年来の友人で、最近出版した「吉良の言い分」という歴史小説がけっこう売れているらしい。
岳氏は20歳の時にアンチロマンでデビューした人で、同時代を作家として競い合って生きてきた人だ。彼が歴史小説を書き、実績を残しているというのも、時代の大きなうねりだろうと思う。こちらの書くものは歴史小説というよりは、歴史的な素材を用いた幻想小説といったものだが、現代をテーマにした作品が書きにくくなっているという認識では共通しているかもしれない。
で、その出版記念会で、廣済堂の谷口くんと会い、『天翔ける女帝』の表紙のイラストを見せてもらった。イラストというよりも、コンピュータグラフィックだ。
なかなかいいものであった。同じ人に、第二、第三作もやってもらうことにする。女帝三部作。三冊並べると、ある程度の迫力はあるだろう。
ただの歴史小説ではない。文学というものの可能性を、この三部作で確かめたいと思って書いている。これまで誰も書かなかったような、幻想的でリアルな、そして深くておもしろい小説を、できれば量産したい。
『天翔ける女帝』はエキサイティングなエンターテインメントにしたつもりだが、道鏡をはじめ、行基、良弁、菩提僊那、鑑真と、僧侶が大挙して登場するので、やや難解な哲学的議論が展開される。
その意味では、今回の作品の方が、エンターテインメントに徹する、といった感じのものになっている。
ここまで書いた3章は、ひたすらストーリーが流れ、登場人物が情念で対立し、しかも会話のテンポが速くてエキサイティングなものになっている。
ある程度、歴史に興味のある読者なら、あっというまに読み終えてしまうエンターテインメントになっているはずだが、さて、歴史に興味のない読者はどうだろうか。
できれば、新たな読者層を開拓したい。『いちご同盟』の読者にも読んでもらいたい。
その『いちご同盟』はお正月に教育テレビで放送される。ビデオは貰っているのだがまだ見ていない。
長男をモデルにした作品だけに多くの人に見てもらいたい。その長男のコンサート、なかなか評判がいいようだ。熱狂的なファンもいるみたいで、これでは息子の方が有名になってしまいそうだ。

12/30
静岡県三ヶ日の仕事場に移動。この仕事場は子供たちが小さかった頃に避難のために造ったのだが、いまは子供たちが仕事の邪魔をするということはないので、家族で移動する。
長男はブリュッセルだし、ふだんは次男もほとんど家にいないので、ゆっくり顔を合わす時間も少ないのだが、久しぶりで家族4人で車に乗って移動。ちなみに車はマツダのMPV。
『炎の女帝』4章の途中のままで今年も終わってしまう。当初の予定では年末までに3章書けばいいと思っていたし、1章の長さが予定よりも増えたので、ノルマは達成している。
登場人物がほぼ出揃ったところで、作品が動き始めた。中臣鎌足が愛すべきキャラクターになっている。
ということで、このノートの第一巻も終わる。1999年の創作ノートは次のボタンをクリックしてください。


創作ノート1999年1月〜


ホームページに戻る