書き下ろし作品「炎の女帝」創作ノート2

1999年1月〜

1998年12月

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01/01
1999年の正月。ひたすら仕事をする。
「炎の女帝」(仮題)の4章。このあたりで、持統と同世代の登場人物がずらりと揃うことになる。
重要なのは男では大海人皇子、有馬皇子。女では額田女王。これらの人物のキャラクターは充分に描けていると思う。
冒頭部分では中大兄と中臣鎌足が活躍したが、このあたりから持統天皇讃良媛のキャラクターが大きくなっていく。子供から大人になっていくプロセスで、大海人との出会いと、あの間皇子の死が、大きなステップになっていく。
全編を貫く主題として、父天智天皇にタイする愛憎がある。基本的には憎しみと怨みで引っぱっていくことになるが、最終的には父を理解するという志賀直哉的テーマにつながっていく。その意味でこの作品は純文学的な主題をもっているといえる。ただそうしたテーマが全面に出ないようにストーリーで引っぱっていかなければならない。
有馬皇子は脇役なので、どの程度描くかが難しい。これだけで小説一冊書けるくらいの物語を背負っている人物だから、あまり深入りしすぎると作品が長くなってしまう。
コンパクトに、しかも印象的に、というのが難しいところだ。作家の腕の見せ所がこういうところにある。このあたりは少し時間をかけて考えたい。
大海人に関しては白馬にまたがって登場するパロディーふうのファーストショットから、漏刻と呼ばれる水時計を長めながら少し哲学的なことを語るシーンまで、うまく展開できている。水時計というような小道具があると作品はふくらんでいく。「天翔ける女帝」でも双六とアイウエオの表で吉備真備をうまく描くことができた。あと使えそうなものとしては天文台がある。大海人は星を見る人物なので、世俗の人物とは少し違うというイメージを、天文台を使って表現したい。

01/05
三ヶ日の仕事場から三宿に戻ってきた。
まだ4章が終わらない。有馬皇子のエピソードが少し長くなった。ここで問題なのは、讃良媛が出てきてからはずっと讃良媛の視点で描いてきたことだ。
作品の冒頭は、もちろん、まだ讃良媛が生まれていないので、とりあえず中大兄の視点で描いた。讃良媛が生まれてからは讃良媛の視点で書いてきたのだが、有馬皇子に関するシーンには讃良媛が登場しない。
視点の移動ということに関しては大学でも教え子たちに、恣意的に視点を移動させないようにと注意している。視点が安易に動くと通俗的になりリアリティーと臨場感を損なう。
しかし有馬皇子と中大兄が出会うシーンは重要だし、有馬皇子と蘇我赤兄のエピソードも、ただアラスジとして物語るだけではなく、台詞のあるシーンにしたい。ということで、ここでは讃良媛の視点を離れて、神の視点と有馬の視点を適宜に混在させることにする。
そのぶんどうしてもウソっぽくなってしまうが、歴史小説というのはもともと見てきたような嘘を書いているわけだから仕方がない。ただ司馬遼太郎のように作者が出てきて解説するのではなく、あくまでもリアルタイムでストーリーが進行するというスタイルは崩したくない。
ストーリー展開の勢いで、読者に「視点」といったものを意識させないようにすればいい。
大学は最終回は休講にするし、学生の成績はつけてしまった。あとは卒論と、専門課程への進級者のセレクトのための作品を読むことと、総合講座のレポートを読むだけで、教室に出ることはないので、しばらくは仕事に没頭できる。
この章を早く締めくくって、次の章は書くペースを上げたい。

01/10
第4章完了。この章は分量が増えすぎたので、有馬皇子の死にまつわるエピソードは次の5章に回し、建皇子の死のところで終わることにする。
有馬皇子のエピソードは、最初はアラスジだけで通り過ぎるつもりだったが、それではイメージがふくらまない。
丹念に映像化し、台詞も緊張感のあるものにしないといけない。
建皇子の死も、印象的なイメージとして残すことにした。讃良媛が弟の手を胸に当てるシーン。なかなかに初々しいシーンだ。
4章までで180枚くらいある。これで1/3ほどできたことになる。もっとピッチを上げないと、2月末の完成は難しい。

01/15
第5章完了。長くなりすぎた前章を二つに割ったので、こちらはわずかな手直しと若干の追加で完成した。
この章では有馬皇子の物語が展開する。当初の構想では、有馬皇子はアラスジだけでいいと思っていたのだが、実際に試みてみると、アラスジだけではイメージがふくらまないことがわかった。
そこでまるまる1章をあてることにした。1章は40枚あるので、一つの短篇くらいの分量がある。
登場人物の多い歴史小説は、登場人物一人ずつを短篇に描き、それらの集大成として全体の小説の流れができると考えてもいい。
この作品の場合は、なるべく讃良媛を中心に書いていくつもりだが、第1章は中大兄、この第5章は有馬皇子が主人公となる。
さて、来週、担当の谷口くんが、「天翔ける女帝」の見本(完成した単行本)をもってくるので、5章までを手直しして渡そうと思う。
そのためこれから2日間くらいは、最初から読み返してチェックする作業にあてようと思う。
この章で最大の見せ場は、野天風呂に中大兄と鎌足と額田女王が入っている場面。鎌足が出てくるとユーモラスになるので作品がふくらんでいく感じがする。

01/24
第6章完了。この章では大海人と讃良媛の天文台における初夜のシーンを描く。ロマンチックであると同時に、惑星の運行についての大海人の哲学が語られる。
『天翔ける女帝』では道鏡の悟りや、吉備真備の戦略という、思想的なバックボーンがあった。
今回のこの作品では、額田女王が未来を見通すという以外には、神秘的な哲学がない。そこで大海人に星について語らせる。
大海人皇子は陰陽道の達人ということにされているけれども、あまり深入りしたくない。
占いではなく存在論の面白さを語りたいからだ。そのため、大海人の占いについては批判的に語られることになる。
初夜のシーンはうまくいった。この章のラストの額田女王の「熱田津に船乗りせんと……」という和歌も効果的に使えた。
大学は休みの期間。成績もすでにつけた。あとは卒論を読むだけ。
一週間に一章のペースでゴールまで着実に前進していきたい。


02/01
第7章完了。明日は卒論の口述試験だが、スーパーボウルの中継を見ながら採点を終えたので、準備完了。
仮眠して夕方起き、7章の結びの部分を書き終える。
この章は筑紫の国が舞台で、斉明天皇の死と白村江の敗戦を描く。
白村江の海戦はスペクタクルで描くつもりだったが、主要登場人物がまったく参加していない闘いなので迫力がない。何度か試みたが、結局、可能な限りコンパクトに記述することにした。
担当の谷口くんから戦闘シーンをしっかり描くように言われているのだけれども、関ヶ原ではないので、あんまり面白くならない。
この作品では壬申の乱がメインになるので、ここで戦闘シーンを描くつもりだが、この作品では戦争よりも、処刑や闇討ちなど、個人テロが中心になる。まあ、そういうところを楽しんでもらいたい。
執筆のペースはやや遅れているが、卒論を読んでいたので仕方がない。これで大学の仕事は、4月の半ばまでない。
いや、第二文学部の50周年記念の小説のコンペの審査員を引き受けている。これはセレクトされた何篇かを読むだけでいいが、他の審査員と会って協議することになるので一日とられることになる。
その他、宴会などの予定もあるが、なるべく飲まずに仕事に集中したい。
これから5日で1章のペースで進めば何とか月内にゴールインできる。
次の8章では中臣鎌足の長男、定恵の死が中心になる。ここで鎌足の心の中に中大兄に対する憎しみが生まれる。
またこのシーンで初めて、次男の不比等が登場する。全体の流れの中で、中大兄の時代が終わり、藤原不比等が台頭してくる、ターニングポイントとなる重要なプロットだから、印象的に書きたい。
その後、中大兄、大海人、額田女王をめぐる三角関係の有名な「野守は見ずや」の歌が出てきて、最後に中大兄の死までかければ、その次の章は全体を壬申の乱にあてることができる。
10〜12章では、子供の世代の死を描くことになる。壬申の乱で大友皇子が死に、次に死ぬのは大津皇子、最後に高市皇子が死ぬ。これらはすべて讃良媛が殺すことになる。
中臣鎌足、大海人も死ぬ。そして讃良媛の息子の草壁皇子も死ぬ。これらは病死ということになる。
主要登場人物が次々に死んでいくことになる。そのプロセスの時間的経過を、効果的に表現したい。
全体が12章の作品(予定)なので、7章まで書いたということは、すでに半分を越えていることになる。ここまで、かなりうまく書けていると思う。
『天翔ける女帝』の場合は、道鏡をめぐる宗教的な要素があるので、かなり純文学に近く、ストーリー展開の面では、かったるいところがあった。今回の作品は、ひたすらストーリーが流れていく。
文学性は少しうすれるかもしれないが、面白い作品を書く、という試みに具体的な成果を出したい。

02/07
第8章完了。この章は中臣鎌足の長男、定恵が主役となる。
定恵は鎌足の長男だが、孝徳天皇の落胤という噂があり、留学僧として唐に渡るのだが、帰朝するとすぐに毒殺されてしまう。
なぜ死んだのか史実は何も語らない。そこでよりドラマチックになるようにフィクションで話をふくらませることにした。
ストーリーはヒロイン讃良媛を離れて進行するので、いささか脱線かもしれないが、作品の後半の重要人物、藤原不比等の人格形成に大きな影響を及ぼすプロットなので、しっかり書かないといけない。
全体を12章と考えて書いてきたが、8章まで来てもまだ壬申の乱が始まらない。これでは500枚を越えてしまうかもしれないが、連載ではないのだから、いつ終わらなければならないということはない。
中身が充実していれば長くてもいいだろう。定価が高くなるのは困るが、この作品は圧倒的にストーリーが面白いので、値段のぶんは充分に楽しんでもらえる。1冊の本の中で次々と主要登場人物が死んでいくというスリリングな展開だし、それだけにストーリーを急ぎすぎるとリアリティーが希薄になる。
壬申の乱のあとにも悲劇がいくつか待っている。一つ一つのエピソードを過不足なく丹念に描いていく必要がある。
本日は週末の日曜日。どうにかノルマを果たした。次週からは5日で1章、を目標としたい。

02/10
第9章完了。3日で1章、約40枚書いた。いい感じになってきた。
この章は、定恵の死を扱った前章と、おそらく天智天皇の死から壬申の乱に至る次章との間、つなぎの部分だろうと考えていた。
人が死ぬようなプロットがないと緊張感を持続させるのが難しい。しばらく讃良媛が出ていなかったので、讃良媛の周囲の穏やかな日常を語るつもりだった。
実際に書かれたのは、讃良媛と額田女王の会話が中心なのだが、この会話が突然、盛り上がった。シェークスピアみたいな奧の深い会話だ(自画自賛)。 愛とは何か、人が生きるというどういうことかが、ここではさりげなく語られる。その結果、この章は、全体の中で最も重要な章になったと思う。
こういう思いがけない展開があると、書き手としての喜びがわいてくる。計画に沿って書くだけでは、単なる「業務」だ。発見の喜びは書く喜びにつながる。何を発見するかというと、結局、自分が文豪であるということではないだろうか。
まあ、凡庸な作品ではなく、少しはレベルの高いものであることを実感できるようなアイデアがわいて、嬉しい、ということだ。
3日で40枚書いたのはその喜びと無縁ではない。書ける時というのはこういうものだ。
しかし作品がゴールに近づきつつあるということでもある。ようやく登場人物のキャラクターがアタマの中に入って、オートマチックに人物が動くようになった。ありがたいことだ。
こうなると3日に1章というのは、たまたま書けたのではなく、安定してこのペースで書けるということではないか。そうであってほしい。
小説40枚書いただけでなく、『中央公論』のエッセー5枚も書いた。あと一つ、12枚の雑用が残っている。これを含めて今週末まで(あと3日)までに次の章が完了できるようだと本物だ。そうあってほしいと思う。

02/14
第10章完了。この章は4日かかった。この前の章が3日なので、1週間で2章書いたことになる。
調子が出ている。ここまで来ると登場人物のキャラクターがアタマの中に入っているので、人物がひとりでに動き出す。こうなると作家は楽で、自分で考えるのではなく、目の前で展開されるプロットをそのままキーボードで打つだけという感じになる。
しかもこの1週間にエッセーを2つ書いた。5枚と13枚。トータルすると1週間で100枚ほど書いたようだ。
さてこの章は大海人が宴会の席で中大兄の前に槍を突き立てるシーン(史実である)と、中大兄が殺されるシーン(史実ではない)。
このあたりから藤原不比等が作品の中で大きくなっていく。鎌足が死に、ここからは不比等が中心になっていく。もちろん主人公は讃良媛だが、脇役が交替するので、少しトーンが変わってくるかもしれない。
ここまでは一気に書いてきたが、次の章はいよいよ大スペクタクルの「壬申の乱」なので、構想を練るのに少し時間をかけたい。確定申告の計算も必要だし。年に一度、エクセルを使う日です。

02/22
第11章完了。この1章には1週間以上かかった。今日は月曜日だが、先週は宴会が3日もあり、執筆時間が短かったこともあるが、やはり壬申の乱という山場なので、スタートに時間がかかった。
吉野の山中で、讃良媛が霊感を感じるシーンに少し筆を割いた。壬申の乱へのつなぎとしてどうしても必要な部分だ。なぜかというと、壬申の乱は戦なので、讃良媛には活躍の場がない。しかし讃良媛はヒロインだから、作品の舞台から消えてしまっては困る。
そこでこの章の冒頭では讃良媛を中心に吉野での生活を描き、そこから一気に壬申の乱に突入することにした。
壬申の乱そのものは資料を見ながらコンパクトに叙述するにとどめた。何しろヒロインのいない場面だから、神の視点から書くしかない。
そのため人間の心理などは描かれない。まあ、讃良媛がヒロインなのだから仕方がない。最後の部分だけ、大友皇子の視点を入れた。その方がリアルだと思われた。
戦争がどんな具合に進展したかは読者に伝わるだろう。大活躍する高市皇子、少し活躍する大津皇子と、病気がちの草壁皇子のコントラストは印象づけられるようになっている。
壬申の乱までは讃良媛の父に対する怨みがモチーフとして推進されるのだが、ここから先は草壁への執着がモチーフとなる。大津皇子が虐殺されたあとで、讃良媛が父と自分とが親子であることを実感する。そこがこの作品のミソになっている。
つまりこの作品はオイディプスと同様の、「父と子」の物語だ。「父と子」とは「王と王子」の物語を意味する。
これは現代のごくふつうの家庭でも同様で、家族の中では父は王であり、父にとっては息子は王子、娘は王女さまだ。
古典的であると同時に現代的な作品、というのが、この「女帝」シリーズの基本理念である。
さて、壬申の乱が終わった。すでに11章、440枚となっている。残りの部分はテンポをさらにアップして、可能な限りコンパクトに書いていきたい。
12章は7年後の吉野における六皇子の誓約から話を始めたい。順番に書いていったのではテンポが遅くなる。
ここまで実にいい感じで展開できているので、気をひきしめてエンディングに向かいたい。

02/25
第12章完了。予定通りのペースで進んでいる。前章で壬申の乱が終わったので、あとは細かいエピソードを積み重ねてエンディングに向かうばかりだ。しかしその細かいエピソードはいくつかある。まず大伯皇女が斎宮となること。十市皇女の死。さらに大津皇子の死へと続く。
主要登場人物が次々と死んでいく。書き手がセンタメンタルにならないように淡々と叙述するように努めなければならない。


03/01
第13章完了。4日で1章のペースで進んでいる。次は終章になるので数日中に草稿が完成する。
この章では大津皇子の悲劇を描いた。姉の大伯皇女との別れ。讃良媛の愛息草壁皇子の死。
そして即位して持統天皇となり、藤原に遷都する。そこで「百人一首」に入っている有名な歌を詠む。
この歌の解釈はこの作品を読むとまったく別の意味にとれるようになっている。こういう細かい仕掛けが書く喜び。
少し疲れてきているが、主要なエピソードはすべて書いた。あとは高市皇子が殺されれば、死ぬべき人物の全員が殺されることになる。
残りはヒロインの持統天皇のみで、天寿をまっとうして安らかに死んでいく。あ、額田女王もまだ生きているか。死んだ年がわからないので適当に殺すことにしよう。
文章の入力には大学がくれたノートパソコンを使用しているのだが、これにはウィンドウズ3.1というとぼけたものが入っていて、ワープロもワードなのだが、なぜか漢字変換は古いエイトックだったりして、あまり使い勝手がよくないのだが、貧乏なのでそのまま使っている。
これで入力したものを一章書くごとにテキスト文書にして、デスクトップの98に移し替えている。これには一太郎8が入っているので、そこでフリガナなども付けているのだが、その際、タイプミスや文章のチェックもしているので、草稿が終わった段階でほぼ完成とみていいだろう。
いちおうプリントしたものを読み返すつもりだが、登場人物の年齢のチェックとか、その程度のことで完成ということになるはず。
3月はこのあと、書き下ろしエッセーに挑む。

03/04
終章完了。これで草稿が完成した。引き続きプリントをチェックして全体を読み返す作業に入る。来週の水曜日に担当の谷口くんと会う約束をしたので、それまでに仕上げなければならない。

03/09
チェックが終わり、最終的に完成。3カ月で予定通りに作品が完成した。
エキサイティングな作品になった。自分のベストの作品になったのではないかと思う。

03/10
作品が完成したので、とりあえずこのノートはここで終わることにする。またゲラが出てきたら何か書くかもしれない。
書き終えた直後の感想は、なかなかいい作品が出来たということに尽きる。
問題は読者がどれだけ読んでくれるかということで、三部作を書き上げてから、フィードバックしないといけない。
この三部作以前に書いた時代小説は、『霧隠れ雲隠れ』と『遮那王伝説』だが、いずれも軽いタッチの作品だった。ユーモア幻想小説といった感じの作品だ。
今回の女帝三部作は、自分では純文学だと思っている。ただ展開が早く読みやすく書いているのでポップな作品になっている。
自分の目指す理想的な作品だが、これでも一般の大衆小説の読者には少し重いだろう。
もっと軽くするか、このままで先に進むかは、三部作のあとで考える。軽くしようとしてもこちらの気分が乗らなければ原稿が書けないわけだから、書きたいものを書くということでいいのかもしれない。
三部作の三つ目『碧玉の女帝』はハードな幻想小説になる。ポップな要素は少し減らす。
仏教という抽象的な思想と、神道のアミニズムの闘いを描く。神宿る女としての推古女帝と、同じく神宿る皇尊(すめらみこと)でありながら釈迦の思想を理解している思想家としての厩戸皇子、聖徳太子を描く。
ふつうのリアリズムでは不可能で、やや難解な幻想小説になるだろう。『碧玉の女帝』の創作ノートは、四月後半か五月からスタートするので、この創作ノートのページはしばらくお休みさせていただく。
春休みはユーモアエッセーを一つ仕上げて、経済的な側面を支えないといけない。

3/26
『炎の女帝』校正ゲラを読み終える。大きな問題はない。これが完全に手が離れた。
4月からは『碧玉の女帝』の創作ノートをスタートさせる。
最後に、ゲラを読み終えた直後の感想を書いておく。
これは『天翔ける女帝』についても言えることだが、ストーリー展開を急ぎすぎて、一つ一つのシーンの印象が淡くなっている部分がある。
2作とも500枚前後の作品で、これ以上、書き込むと、1冊の本としては分厚くなりすぎる。それにこの作品は「女帝三部作」を構成しているので、500枚の作品3つで1500枚の作品ということになる。
読者に負担なく読んでもらうためには、これくらいの長さが限度だろう。
『炎の女帝』に関していえば、例えば柿本人麻呂などはもっとじっくり描きたかったのだが、最後にちょろっと登場するだけにとどめた。出てくるのが作品の末尾に近い。この種の作品では末尾の付近では時間の速度をアップしないと、読者はエンディングに向かって疾走できない。
出だしはテンポよく、終盤をじっくり描き、ラストの直前はものすごいスピードで時間を経過させる、というのが、今回の三部作の基本の手法となっている。
これは題材の制約から生じた構成でもあるが、長篇小説というものはおおむねそういう感じで構成されているのではないかと思う。
次の『碧玉の女帝』も同じような感じで書くことになる。3篇を続けて読めば、この構成の効果が見えてくると思う。簡単に言えば、同じことが繰り返されるという神話の手法がとりいれられているのだ。
そのことの効果がどういうものかは、説明すると長くなるが、一例を上げれば、『炎の女帝』の冒頭、中大兄が森の中を馬で駆けているシーンは、中大兄の死のシーンで繰り返される。
そこで読者は一種のデジャヴューを感じるはずだ。そのことによって、天智天皇中大兄の死というこの作品のハイライトの部分のトーンに神秘性を付加したいというのが書き手の意図だ。
もう一つ例を挙げれば、ラスト近く、皇嗣を決める朝議の席で志貴皇子がイビキをかいて寝ているシーン。これは『天翔ける女帝』の朝議の席で白壁王(弘仁天皇)が寝ているシーンと重なっている。
志貴皇子は白壁王の父親だ。同じことが繰り返されたあとで、覇王としての天智天皇のイメージが、白壁王の息子の桓武天皇に重ねられる。
女帝三部作のあとは何を書くか決めていないが、いずれ桓武天皇を主人公にした平安京の物語を書くつもりだ。
という具合に、イメージを重ね合わせることによって、単純な論理や描写では表現不能な、言葉によって表現できる領域の向こう側にあるものを描こうとしている。
すなわち不可能性の文学への挑戦である。
『炎の女帝』は自分の感じでは、前作より構成がうまくいったと思う。次の『碧玉の女帝』はさらにオカルト色の強い幻想小説になるはずだが、神宿る皇子でありながら仏教の哲学性を理解する一種の文人でもあった聖徳太子厩戸皇子の人間としての苦悩も描きたい。あまり苦悩を強調しすぎると人間くさくなり作品のスケールが小さくなる。そのあたりが難しくなるが、そのあたりは次の創作ノートでじっくり考えていく。
ということで、この創作ノートはここでおしまいとします。


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