書き下ろし作品「清盛」創作ノート1

2000年1月〜

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1/07
本日からこのノートをスタートする。
昨年の暮れに『碧玉の女帝/推古天皇』を書き終えた。これは女帝三部作の第三弾で、古代女帝をめぐるシリーズが完結した。作者にとっては、本格的な歴史小説の最初の試みがひとまず完了したことになる。
従って、次からは新しいシリーズになる。当面考えているのは、『平清盛』『源頼朝』『後白河法皇』の三部作。
これは仮りのタイトルで、女帝三部作と同様、それらしいタイトルを考えたいが、テーマがこの三人の人物であることは間違いない。
源平の時代を三人の人物をとおして立体的に描きたい。清盛も頼朝も人気のない人物だ。この時代は何といっても義経が主人公だ。
源義経に関しては、すでに『遮那王伝説』という作品を書いているのだが、これはユーモア小説ふうの作品なので、まあ、半分遊びのようなもの。
今回は真面目に書く。女帝三部作が内容の必要上、ファンタジー的な作品であったのに対し、この作品はリアリズムで押し切る。
1月は資料を読むのに費やす。実は今月はエッセーを書く約束をしている。団塊の世代論。これを一ヶ月で仕上げて、2月から執筆を開始する。
ということで、今月は実際の執筆はスタートしないのだが、資料を読みながら、このノートに構想を書いていくことにする。
といっても、本日の段階では、まだ頭の中に何もない。リアリズムでいく。それだけ。
ファーストシーンは、後白河法皇との出会いにしたい。ということは、後白河20歳、清盛は30歳くらいということになる。
その時代の状況や、清盛の父親の状況を調べないといけない。後白河は絶望のどん底にある。皇位継承者の補欠として、出家はせずに世俗の世の中にいるのだが、皇位継承のチャンスはほとんどないといっていい。
そこでニヒルになって今様に狂っている。文学の主人公としてまことに魅力的なキャラクターだ。三部作の主役はまぎれもなく後白河だが、その後白河を立体的に描くために、この作品ではひたすら清盛の人生を追う。
ということは、清盛は後白河の対極にある人物といっていい。実直な合理主義者。作品の主人公だから清廉潔白な人物として描きたい。
いまのところ考えているのはそれだけ。この一ヶ月で、徐々にキャラクターを練り上げたい。

1/14
この一週間でかなり資料を読んだ。この時代のアウトラインがわかった。
なぜ平清盛は権力を握ることができたのか。経済的な面でいえば、日宋貿易で儲けたのだろう。
宋銭の輸入によって流通を支配できる。宋銭と交換する輸出品については、志摩の真珠などが考えられる。
当時の権力闘争について。藤原頼長と信西入道の対立を挙げなければならない。
二人ともこの時代に中では傑出した戦略家だ。この対立の中を清盛はバランスよく生き抜いていく。
以上が保元の乱だが、平治の乱については、後白河天皇のホモ関係について調べなければならない。
清盛は後白河より十歳年上なので、ホモ関係はないと考える。
後白河はマザコン。これは重要なファクターだ。
さて、1/11に長男のピアノコンサートが終わり、今月のメインの行事が終わった。
これから卒論を読む作業にかからないといけない。けっこう時間がかかる。
団塊世代論もピッチを上げないといけないので、資料を読む時間が限られるが、頼長や信西についての資料が必要なので、買いに行かないといけない。
とりあえずは『保元物語』『平治物語』『平家物語』『愚管抄』などを読み返す必要がある。
1月は授業は休講にしているのだが、レポートをあといくつか読まないといけない。ということはレポートをとりに大学へいく必要がある。
さらに文芸専修への進級希望者の選考がある。おそらく30枚の作品を150編ほど読むことになる。
この選考会議がいつになるのかまだ連絡を受けていない。ということでまだ日程は未定だ。
文化庁の著作権審議委員会も今月2回予定されている。それらの合間を縫って原稿を書き進まないといけない。

1/17
『碧玉の女帝/推古天皇』の校正完了。これですべての作業が終わった。
校正ゲラを読み終えた印象。全9章のうち8章のあたりが少し理屈っぽくなっている。
イメージが少なくアラスジというか説明だけになっている。このあたりは政治的な力の拮抗があるだけで、戦争とか論争があるわけではないので、小説にしにくいところ。
まあ、7章まで、かなりテンポよく進んでいるので、読者はそこまでは読んでくれるだろう。半分以上読んでもらえれば、最後まで読まないわけにはいかない。
8章と終章はアラスジだけになっているのだが、終章はテンポよく書けている。聖徳太子の子孫が全滅するところは、それだけで本一冊書けるだけのドラマがあるのだが、5行くらいで書ききっている。
大河ドラマとはそういうものだ。また別の機会に山畝大兄を主人公とした作品を書くことになるかもしれない。
女帝三部作を書き終えて、女帝以外の登場人物が印象に残っている。
推古天皇では聖徳太子はもちろんだが、調子麿や鞍作鳥、馬子、蝦夷、入鹿など。
持統天皇では藤原不比等はもちろんだが、高市皇子が印象に残った。その子息は長屋王だ。長屋王の話を書かなければと思った。
大津皇子と大伯皇女の物語も書きたい。孝謙天皇では、道鏡は主人公だが、吉備真備はうまく書けたと思う。
この作品では次の桓武天皇につながるようなエンディングにしてあるので、いずれ書くことになるだろう。
『碧玉の女帝/推古天皇』のエンディングはそのまま『持統天皇』につながるようになっているし、『持統天皇』のエンディングは『孝謙天皇』につながる。
では『碧玉の女帝/推古天皇』に先立つ作品とは何か。飯豊青皇女ということになるか。いずれは神功皇后も書きたいと思っているし、天照大御神やイザナミも書きたい。
いろいろプランはあるが、いまは清盛だ。資料が不足しているので本屋へ買いにいくつもりだ。

1/24
大江匡房の資料を読む。なかなかの人物である。後三条天皇が東宮時代に学士として漢籍を教えている。ただし匡房の方が年下。従って、天智天皇に対する藤原鎌足や、孝謙天皇に対する吉備真備のようなブレーンではない。
明らかに院政の構想は後三条天皇がアイデアとしてもっていたものだ。しかしシステムを作っただけで天皇は崩御し、白河天皇の時代になる。
院政というアイデアを最初に考えついたのは誰か。少なくとも後三条天皇は、長い東宮時代を堪え忍んで、摂関政治と闘ってきた人物だ。
ということは基本的なアイデアは後三条天皇自身のプランと考えていい。後三条天皇は母親が皇女なので、摂関の影響を受けない天皇だ。五十年にわたって摂関の地位にあった藤原頼通が老齢化したということもあるだろう。
いずれにしても藤原氏との闘いを最初に始めたのは後三条天皇だが、東宮学士であった大江匡房は具体的な荘園統制の方法について、相談役にはなっただろう。
従って、後三条天皇の基本的アイデアを、大江匡房が具体化し、院政というシステムが確立されたところで、次の白河の時代が始まると考えればいい。
白河天皇は強烈な個性をもった人物だが、政治的なブレーンとしては大江匡房がブレーンであったと考えていい。
匡房は儒学者であり、仏教に詳しく、漢詩、和歌にも秀で、さらに呪術の素養もあったようだ。ともあれ儒教と仏教に詳しい人物であるから倫理的な正義感をもっていたはず。
そこで白河天皇のご乱行を諫める立場にあったと考えられる。
白河天皇としては、父の後三条が亡くなり、さらに頼通とその子息が相次いで亡くなって、摂関という存在もなくなった。匡房だけが目の上のタンコブであったようだ(というふうに創るつもり)。
匡房の没後に、白河天皇の乱行が激しくなり、崇徳天皇が生まれたり、清盛が生まれたりする。
ということで話のつじつまは合うので、物語の冒頭は、白河天皇と大江匡房で始めようと思う。
次の『源頼朝』の後半には大江広元が出てくる。広元は匡房の曾孫。これで出だしと結びが大江氏でブックエンドスタイルとなる。
源通親の資料も読んだが、こいつ誰や?という感じ。『頼朝』を書く前にもう一度検討したいが、清盛の晩年には都にいる人物なので、ちらっと出しておく必要はありそうだ。
団塊の世代論が少し遅れていて2月半ばまでかかりそうなので、『清盛』のスタートも遅れることになる。書き下ろしの仕事は締切がないから、ずるずると遅れ気味になることがあるが、2月中にオープニングを少しは書けるようにしたい。


2/07
実に多忙で創作ノートを書くひまがなかった。資料を読む時間もとれなかったので、構想はあまり進んでいない。
平清盛を白河天皇のご落胤とするかどうかについて、迷いがあったが、落胤とすることに決定した。
史実がどうであるかは、誰にもわからない。しかし白河天皇の行状を見ていると、百人くらい落胤がいてもおかしくない。
手をつけた女を家臣に下げ渡すわけだが、心変わりして愛人を次々に替えるというタイプではない。
同時並行的に何人でも愛せるという立派な人なので、ふつうなら愛人を家臣に下げ渡す必要はない。
下げ渡すのは、妊娠したからだと考えた方がわかりやすい。
白河天皇は自分の娘(育ての親なので血縁はない)を、自分の孫(鳥羽天皇)に押しつけている。
しかもその後に妊娠させている。生まれたのが崇徳天皇で、だから鳥羽天皇は崇徳のことを、「叔父さん」と呼んでいた。父の弟だから叔父さんなのだ。
さてその崇徳の弟にあたる後白河の父親は誰だろうか。鳥羽の実子なのか、それとも崇徳同様、白河が実の父なのか。
後白河が白河の実子であれば、清盛と後白河は兄弟ということになる。
しかも、清盛の母は、後白河の実母の育ての親の妹なので、母方からしても関係が深い。後に、清盛の妻の妹が後白河の妃となり、高倉天皇が生まれる。
というふうに考えれば、清盛が一介の武士の身でありながら、関白にまでのしあがっていった理由が明解になる。
今回は、女帝三部作と違って、オカルトやファンタジーの要素はなく、こてこてのリアリズム歴史小説を目指している。
従って、『平家物語』に記載されているご落胤説をそのまま採用することはためらわれたのだが、検証の結果、ご落胤という設定は充分にリアルだと判断される。
さて、現在執筆中の書き下ろしエッセーの進行が遅れている。新年会の季節だし、大学の卒論やレポートを読むのに時間をとられた。
というわけで、小説執筆のスタートは、3月半ばくらいになるかもしれない。それまでに充分に準備をして、書き始めたら一気にゴールまで進む、という決意で臨みたい。
ということで、草稿の完成は6月末くらいになるか。

2/12
『団塊老人の逆襲』3章完了。この本は5章で終わりなので半分は超えた。
あと10日ほどで完成させないといけない。時間との闘い。
清盛については考えているヒマはないが、タイトルはとりあえず「清盛」に決めた。
理由はとくにないが、シンプルでいい。

2/25
『団塊老人の逆襲』5章で完結。これでようやく手が離れる。
予定としては3月前半までは資料を読み、後半から具体的な執筆を始める。
6月末くらいに渡せればと考えているが、締切のない書き下ろしなのでどうなるか。
本人のヤル気だけで進行するわけで、心配だが、まあ大丈夫だろう。
『碧玉の女帝』は聖徳太子が出てきてオカルト的な幻想が出てくるのと、冒頭部分は神話の領域なので、イメージを創るのに時間がかかった。
その点、『清盛』はリアリズムで貫くので大きな問題はない。
文体として、司馬遼太郎ふうの説明と解説を交えた評論ふうのスタイルをとる予定。
従って、資料をしっかり揃えておけば、あとはすらすら書けるはずだと楽観している。
そのため資料の読み込みに少し時間をかけたい。


3/14
しばらく旅行に出ていた。長男のいるブリュツセルを中心に小旅行をした。
観光が中心だがいずれこの旅はエッセーか私小説になるので取材の旅でもある。
いちおう『清盛』の資料はもっていったが、行き帰りの飛行機の中で読んだ程度。
しかし「書く」という決意は盛り上がってきた。帰国したのが昨日だが、すでに本日から出だしの部分を書き始めた。
書き出してすぐに、これは難しい、と感じている。
清盛の祖父にあたる平正盛が出雲で反乱を起こした源義親の首をもって京に凱旋するシーンがファーストショットだが、さて、正盛が清盛の祖父だとして、義親って誰、ということになる。
義親の父は八幡太郎義家である。そうすると前九年後三年の役を説明しなければならない。
さてこの凱旋パレードを鳥羽の離宮から白河法皇が見物している。傍らに大江匡房が控えている。この二人を説明しなければならない。
これだけで本一冊ぶんくらいになってしまいそうだ。
本を開いて最初の見開き、原稿用紙にして数枚のうちに、ストーリーが進行しないといけないのだが、これだけの説明を数枚以内でまとめるのは不可能だ。
どうするか。これから考える。
『碧玉の女帝』では、武烈天皇、手白香皇女、継体天皇、蘇我稲目、欽明天皇、これだけの人物を説明するために、結局、百枚以上、2章にわたってストーリーを展開した。
それでようやく推古天皇が出てきたが、ヒーローの厩戸皇子が登場するまでにはさらに1章が必要で、実際に厩戸皇子すなわち聖徳太子が活躍するまでに200枚くらいかかった。
今回は清盛だけが主人公となる作品なので、早い段階で清盛が活躍を始めないといけない。
しかし母代わりの祇園女御と、父の平忠盛、さらに本当の父の白河法皇を描くとともに、貴族社会が崩壊して武士が台頭するプロセスを語っておかないと、清盛が活躍する背景、基盤が明らかにならない。
とくに白河法皇はしっかり描く必要があるだろう。
とにかく本日より執筆を開始した。文体をつかむまでに時間がかかる。
清盛が少年として動き始めればペースは速くなるが、それまでは苦難の試行錯誤が続くだろう。
今月中にペースをつかみたいが、雑用もあるのでどうなるか。
嬉しいことがあった。長男がウエスカ国際ピアノコンクールで一位になった。
でもウエスカってどこ? という人は多いだろう。スペインのサラゴサの近くで、一時は王国の首都が置かれたこともある古都らしい。
もう一つ、嬉しいこと。シドニーのコンクールの予選もクリアーした。
シドニーは、知ってるよね。長男はよく頑張っている。次男も今月末日から、就職。家から離れる。
老妻と老犬だけの生活になるが、そのぶん仕事に集中できるだろうと思う。

3/21
第一章完了。40枚ほどか。ただし問題がある。主人公がまったく出てこない。というか、この40枚は状況の説明だけで小説としての動きがまったくない。
歴史小説を書く難しさは、読者がどの程度、歴史について知っているかということがはかれないことだ。
信長や秀吉、家康について知っている人は多いだろう。だが、清盛、頼朝、後白河はどうだろうか。
今回の「清盛」では、まず白河法皇について書かないといけない。白河法皇は自分の養女をいつしか愛人とした。それだけでなくその愛人を自分の孫の鳥羽天皇に押しつけた。それが中宮の待賢門院で、やがて崇徳天皇が生まれる。
以上の出来事は歴史的な常識だろうか。そうでなければまずそのことを説明しておかなければならない。
その養女を育てた祇園女御が清盛の育ての親である。父親は白河法皇だ。だが清盛は武士の子として生きなければならない。子供の頃からすでに分裂が始まっている。
それは個人史であると同時に、武士の台頭とか、院政とか、日宋貿易とか、当時の時代状況と無縁ではない。
歴史小説の面白さはそういうところにあるが、これをちゃんと説明するのは至難のわざだ。
ハムレットには時代背景がない。そう感じるのはわれわれにヨーロッパの歴史の知識が欠けているからか。
確かに「マクベス」に出てくるバンコーは、シェークスピアの時代の王の先祖なのだ。当時の観客は皆そのことを知っている。だから説明する必要はなかった。
ところで、『平家物語』には清盛は白河法皇の子だと書いてあるが、学校の歴史の時間にはそういうことは習わなかった。崇徳天皇の生い立ちについても習わなかった。
いまの高校生たちは歴史そのものを習っていないだろう。だからやはり説明が必要だ。
というわけで40枚のすべてが歴史の説明になってしまった。まあ、それでいいのではないかと思う。
小説としては、いきなり鮮やかなイメージを提出し、セリフや動きがあって、人間の対立の緊張感が読者にインパクトを与える、というようなオープニングがのぞましいが、歴史的状況がわかっていないと、インパクトも弱くなる。
小説というもののスタイルは多様だから、常套的なスタイルから逸脱することを怖れることはない。
スタンダールにしろ、ユゴーにしろ、19世紀の小説は長大な説明が延々と続いてなかなか物語が始まらない。
そういう時代遅れのスタイルで書くというのも面白いだろう。ということで、このまま2章に進むことにする。

3/30
第2章完了しているが、ここまで清盛はまだ活躍していない。小説的な展開がまったくない。
担当編集者には「評伝」を書くといってあるので、小説でなくてもいいのだが、ただの評伝を書くつもりはない。
イメージが不足している。そこで最初から読み返すことにした。まだプリントしない。ノートパソコンの画面で読んでいく。その方が気がついたところがあればすぐに直せる。
第1章の初稿では、平正盛の凱旋を白河法皇と大江匡房が眺めている冒頭シーンから、ひたすら白河法皇の院政の説明となり、保元の乱までの歴史的展開が一挙に語られることになる。
それでわるくはないのだが、保元の乱のところまで来てから、もう一度、院政とは何か、という問いから、後三条天皇の院政について語られていた。この段取りがよくない。歴史が元に戻ってしまう。時代順に語る必要がある。
ということで、白河法皇の院政が出てきたところで、後三条天皇の院政について説明することにした。そこでは、後三条天皇と大江匡房の出会いのシーンをイメージとして挿入する。
評伝ということにこだわると、セリフがまったくない作品になってしまうので、必要な箇所にはセリフをどんどん入れていく。主人公でもない人物に深入りすると作品のテンポがなくなるおそれはあるが、大江匡房は重要なキャラクターなので、読者の目にイメージをやきつけておきたい。
この修復作業に数日を要するか。とにかく月末の時点でいちおう2章までは出来ていると考えたい。1章50枚で全体が10章500枚と考えているので、2章100枚、全体の20パーセントが出来たことになる。
このペースでいけば5月末には草稿が完成しているはずだがどうなるか。4月後半には大学の授業が始まる。学生の宿題が提出されるのは5月の連休が終わってからだが、4月のアタマに「創作指導」という授業のセレクトのために作品を読む必要がある。
定員15人に絞るために、受講希望者に作品を提出してもらうことになっている。作品の宣伝不足で定員割れだったのだが、今年はどうか。定員と同じくらいだとありがたい。いずれにしても、提出された作品を第一回の提出物として添削指導をする必要がある。
というわけで4月になると多少、大学の仕事で時間をとられることになるが、何とか乗り切りたい。


4/03
第2章(1章50枚)まで出来ているのだが、どうも気に入らない。担当編集者に「評伝を書く」と言ってあるせいで、どうも小説的展開が少ない。
女帝三部作と違って源平の時代には歴史的資料がたくさんある。だから嘘がつけないということがあるし、歴史的事実を紹介するだけで充分に面白いということもいえる。
ことさらにオカルト的なイメージで読者を刺激する必要もないし、不明の部分の歴史をフィクションで捏造する必要もない。
というわけで、資料を整理して歴史的事実を並べるだけで充分に面白いとは思うのだが、それだけでは書物として読んで面白いものにはならないと思われる。かなり読者が努力しないと読めないものになるおそれがある。
今回の作品は、次の『頼朝』や『後白河』につながるステップとなる作品なので、第一弾は相当に面白くないといけない。出版界は不況なので、面白くない本を一冊出すと、次の注文が来なくなる。
というわけで、面白さのパワーアップを施す必要を感じた。それで出来上がった2章の全面書き換えを試みている。
まず歴史的事実の提出の順番の並び替え。読者の理解と感覚的な把握にそって負担なく事実が並べられていないといけない。さらに資料の羅列ではなく、適宜にセリフによるシーンを展開して、イメージでも理解できるようにする。
すると評伝ではなく小説に近づくことになるが、スタイルをどう呼ぶかは問題ではない。というような作業を現在進めている。1章の書き換えは完了。いまは2章に取り組んでいる。3章も少しできているので、1週間で1章書くというペースはやや遅れくらいで進めると思う。
ところで、なぜ歴史小説を書くのか、ということを最近、よくきかれる。
例えば『僕っ何』は、現在の学生にとっては歴史小説といっていい。ただし、『僕って何』や『いちご同盟』は名もなき人物を主人公に据えている。それに対し、女帝三部作は天皇がヒロインだし、今回も清盛というビッグネームが主人公だ。
王や王子が主人公になるというのは神話や伝説の定型である。その点では、小説ではなくロマンスを書いていることになるけれども、ロマンス的な展開をなるべく実存的にとらえて近代小説の側面から描くということをやっているのだろうと思う。
そのことにどのような意味があるのか、ということは考えるに値することではあるが、いまは考えない。
書いていて楽しい。文句あるか。そういうことだ。
しかしあえて説明すれば、小説家は結局、自分の世界観や自分のセンスを書くことによって表明するのだろう。で、自分を表現するために私小説を書いてもいいが、例えばハムレットに託して自分を描いてもいいわけだ。
ということで、推古天皇はわたしだ、と言ってもいい。まあ、例えば『天翔ける女帝』の場合、道鏡、吉備真備、行基、といった人物に対する作者の愛情の表現が、「自分を描く」ことになるのだろうと思う。
『碧玉の女帝』なら聖徳太子はもちろん、蝦夷にも調子麿にも鳥にも、作者のシンパシーが表現されている。
そしていま、清盛を書いている。わたしは清盛が好きだし、清盛はわたしだといってもいい。
これはわたしがある年齢に達したからかもしれない。人生というものをある地点で見極めて、歴史上の人物に、素直にシンパシーがもてるようになったということがあるだろう。
もう少し詳細に言うと、いろいろと要因があるようでもあるが、これは改めて考えてみることにしよう。
ということで、しばらくは歴史小説を書き続けることになる。まあ、そんなところです。

4/10
第3章完了。1〜2章の手直しをしていたため少し遅れたが順調に推移している。
これで保元の乱の直前まで来た。次の第4章が山場となる。ここまで、清盛の生い立ちについて書いてきた。清盛はハムレットのような存在であり、父をいかにして乗り越えるかが人生の出発点における課題になっている。
清盛には父が二人いる。形式上の父、平忠盛。そして、白河法皇。とりあえず清盛は、武家の棟梁である忠盛の後継者となる必要がある。後継者とならないと乗り越えることもできない。
弟との対立はあまり強調しなかった。弟の家盛は病死する。その前に、父が清盛を認めるという状況を書かないと、ストーリーに必然性がないことになる。
清盛は白河法皇の子供だから、たぶん遺伝子として、傲慢にして楽天的な性格を受け継いでいるはずだ。たぶんおおらかな好色漢でもあるだろう。
作者とは異なった性格なので、どれだけ描けるかわからないが、ここまで書いてきて、清盛という人物に充分にシンパシーをもっているので、それなりにリアルな人物像が描けるのではないかと思う。
ところで2月末に書き上げた団塊の世代論は、六月末刊行と決まったが、営業部からの注文が出て多少の手直しをすることになった。たぶん2週間くらいその作業に時間をとられるだろう。
次の4章を書き終えてから、いったん『清盛』を中断して、その作業に入ることになる。なるべく速く片付けて『清盛』に戻りたい。
エッセーと小説とどちらが大事かといえば、もちろん小説を優先したいところだが、エッセーは速く出さないと内容の新鮮さが失われるので、こちらの締切を優先したい。
同時代に対して発言するために、エッセーを書いている。小説はしばらく歴史小説を書き続けることにしているので、エッセーの方はタイムリーな話題を選んで同時代と関わっていきたい。
その意味では、夏休みに書く予定のサン=テグジュペリ論も重要。生誕100周年の今年中に出版しないと意味のない企画だ。
そのためには『清盛』を6月中に仕上げる必要がある。そろそろ大学も始まって学生の宿題を読まなくてはならない。時間に追われる生活になりそうだが、まあ、頑張るしかない。

4/16
第4章完了。このあたりが保元の乱になるかと思っていたのだが、保元の乱の直前で終わってしまった。従って次の第5章が保元の乱になる。ここは作品の最大の山場になる。エンターテインメントであれば、ここに戦闘シーンを盛り込んでスペクタクルにするところだが、いちおう評伝ということになっているので、見てきたような嘘は書けない。しかし資料はあるので、歴史的な事実を講談口調で語るだけでもエキサイティングな展開になるだろう。
信西入道が登場した。おそらくこの作品の登場人物の中でいちばん頭のいい人物だろう。頭のいい人物としては、『碧玉の女帝』では蘇我蝦夷。『炎の女帝』では藤原不比等。『天翔ける女帝』では吉備真備。という具合に描いてきたが、今回は出てきた途端に死んでしまう。
つまり聡明というよりは狡猾という感じのキャラクターにしないといけない。4章で初めて出てきたのだが、しゃべり始めると面白い。頭のいい人物はセリフが楽しい。評伝ではあってもここぞという部分はセリフを使ったシーンとして描くことになる。
1章は最初の草稿ではセリフが一つもなかったのだが、それでは学術論文になってしまうので、セリフを追加したら読みやすくなった。すべてのストーリーをシーンに変換すればもっと面白くなるが、それでは大長篇になってしまう。500枚というボリュームに収納しないといけない。それでも三部作と考えているので全体では1500枚になってしまう。
10年くらいかけて日本史をくまなく書きたいと思っているので、一つ一つの作品はコンパクトに書く必要がある。
あと一週間かけて保元の乱を書き上げてから一休みしたい。

4/19
保元の乱、半分くらいのところ。
この作品の清盛はハムレットのイメージで書いてきたが、ここへ来てマクベスふうになってきた。妻の時子のキャラクターが立ち上がってきたからだ。
ある程度、予想されたことではあるが、書いているうちにイメージがふくらんでいく。
大学が始まった。一年生の基礎演習は今年は81人が登録している。例年は抽選で30人に絞るのだが、今年は任期の最終年なので、来年はもう大学にいない。つまり学生と接する最後の機会だ。抽選に洩れた学生とは一生出会うことがないと考えると、全員を引き受けざるをえなかった。81人もいては演習にはならないのだが、以前、第一文学部の三年生の演習を担当していた頃は、やはり80人くらいを相手に創作指導をやっていたので、問題はない。
一年生は宿題を出すのは後期だけなので、何とか乗り切れるだろう。

4/23
現在6章の半分。保元の乱は終わり今度はは平治の乱だ。いい調子で書けているのだが、ここで作業を中断しなければならない。
2月に書いた『団塊の世代論』について、編集部からタイトルを変えたいと言ってきた。営業部からの要請だという。仕方がない。
タイトルを変えると導入部をそっくり書き換えないといけないし論旨も微妙に変わってくる。全体をチェックする必要がある。
というわけで、これからゴールデンウィークにかけては『清盛』を中断する。

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