6月
7月
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5/21
光文社のエッセーの書き直し作業で中断した後、最初から読み返して見ると、密度の薄いところが見つかったので、丹念にチェックすることになった。そのうち光文社のゲラが届いた。まあ、これが作業が完了したので『清盛』に集中できる。
ここまで完全にチェックを終えたので、ようやく新たな領域に進める。保元の乱が終わったところ。全体のちょうと半分。清盛は少し優しい感じになった。そのぶん妻の時子がマクベス夫人に似てきたが、まあいいだろう。
5/25
連休前に書いた5章までをずっと読み返していたが、細かい不備が目立った。回想場面があって時間の前後がわかりにくかったり、後半の重要人物が前半ではイメージがうすかったり、というようなところがあって、書き換えに時間がかかった。しかしこの時期に前半部を読み返して書き直せたのはよかった。
登場人物が大変に多いので、1人の作家の頭の中では管理しきれない。読み返すことでそれぞれの人物のキャラクターも頭に入ったし、キャラクターが確立されていない人物はイメージを書き足した。これで準備が整った。
すでに6章に入っているが、ここでは平治の乱。これは保元の乱のようなわかりやすい話ではない。実に不可解なクーデターだが、テンポよく語る必要がある。
文芸家協会の総会など雑用が終わり、しばらくは仕事に専念できる。6月末までに草稿を完成させたい。
5/28
『清盛』第6章、完了。第5章が完了してから一ヶ月以上たつが、最初から読み返してチェックを入れていたので仕方がない。歴史小説は書いている本人が時代の細部についてよくわからない状況からスタートするので、書いているうちに次第にわかってくるということがある。
まあ、勉強不足ということだが、書きながら勉強しているわけで、その新鮮な驚きが書くエネルギーになるということもある。
『碧玉の女帝』の鳥仏師や蘇我蝦夷、『炎の女帝』の藤原不比等や額田女王、『天翔ける女帝』の吉備真備や行基、といった脇役のキャラクターが作品の厚みを築いていくわけだが、今回の『清盛』の場合は、男が主人公なので、女性が脇役ということになる。妻の時子、妻の妹の滋子、娘の徳子などが、主人公を圧倒して独自に生きていかないといけない。男では家人の家貞という人物に存在感がある。それと後白河院。この人物は三部作の三つ目の主人公になるので、重要人物ではある。この作品では脇役だから、あまり目立たないようにしないといけない。そこが難しい。
さて、予定より執筆ペースが遅れているが、6章までは完璧な文体になっているので、このままゴールに向かえばいいだろう。一週間で一章のペースで書けば6月末完成という目標に到達できる。ただし、講演旅行と短篇一つ、というのがネックになるだろう。講演は例年やっているもの。短篇は久しぶりに月刊誌から注文が来たので宣伝の意味で時代小説を書く。
平清盛という人物は、かなり好きになった。書くまではイメージがなかったのだが。主人公を好きになれないと作品には勢いが出てこない。いい感じでゴールに向かえそうだ。
6/27
短篇『電』完成。これで『清盛』に集中できる。いよいよ最後の追い込み。8章のアタマからチェック。長男の重盛との関係を少しずつイメージを追加してしっかりと描くことにする。父と子の対立というのがこの作品の大きなテーマになるはずだから。
7/10
第9章を前日、完了。第10章は「終章」という形で短めでもいい。この作品は第1章が導入部ということで、時代状況の解説ふうに書かれている。終章もそういう感じでいきたいが、まあ、2〜9章と比べて、少しテンポアップする、ということで感じを変えたい。
ラストの直前で子息や孫を全員集合させたい。そこから子孫の悲劇を浮き上がらせる。平家の悲劇はいちおう読者も知っているはずなので、あまりもたれないように、イメージをチラッと出すだけで、あっさりしたエンディングにしたい。
7/13
ゴール寸前。書くべきことはすべて書いた。清盛が病で倒れてあとは死ぬばかりだ。
死んだ、と一行書くだけでいいような気もするが、ここで臨終のシーンを盛り上げるのも一つの方法だろう。枚数としては、ここにしっかり書き込むと、第10章として、ちょうどいいくらいになる。
源氏との戦が迫っているので、子息たちは前線に出払っている。時子だけが看取る、という設定で、妻とのやりとりだけで盛り上げたい。清盛の出世は、当初はマクベス夫人のイメージで時子を推進力として書き進めてきた。途中からは子息ができて、長男の重盛との絡みが多くなり、時子の影がうすくなっていたので、最後を締める意味で、時子に台詞をしゃべらせたい。
死んだ、と一行で終わった方が、ピリッと締まる気もするのだが、やはり小説としては、愁嘆場があってもいいだろう。
本日、ベルギーから長男が帰ってきた。次男が就職して以来、老夫婦と老犬だけの生活に慣れてしまったので、息子がいるとペースが狂う。明日には完成させたい。
7/14
完成。3月半ば、ベルギー旅行から帰ってきてから書き始めたので、4カ月かかったことになる。その時、ブリュッセルで別れた長男が昨日帰ってきた。草稿をプリントしている時に、ピアノの練習を終えた長男がリビングルームに入ってきたので、この前きみと別れてから書き始めた作品がいま完成した、というと、ベルギーで会ったことを忘れていて、正月に帰国して以来かと思ったらしく、半年かかったの、などととぼけたことを言う。
500枚の作品だから、3カ月で書きたかったが、『中年って何』の書き直しがあったり、体調を崩したりしたので、まあ、ほぼ予定どおりといっていいだろう。
エンディングについて、何も考えていなかった。第一章は状況の説明をした導入部で、第二章からストーリーが始まるのだが、そこからはほぼ清盛の視点で書いている。ラストで清盛は熱病にかかって死ぬわけだから、そこをどう書くかは、判断の別れるところだ。
徐々に清盛の視点から離れて客観描写に移行するという方法もあるが、結局、清盛の視点で押し通すことにした。すると熱病に浮かされて、ジョイス的支離滅裂になるのかというと、これは大衆小説(レベルの高い)だから、わけがわからなくては困る。少し熱病ふう、という感じで、幻想が見えるところで締めくくった。幻想といっても、妻が死ぬところが未来の断片として見えて、それから過去の回想が2カット入る。
映画やテレビを見慣れている読者には、とくに混乱はないと思う。
本当は別のエンディングを考えていた。女帝三部作と同様、最後の客観的な視点で、ストーリーとして描かれている時点のその後の歴史的事実を年表ふうに記述して、そこで終わる、という常套的な方法を考えていたのだが、この作品は一気に終わりたい気がしたので、幻想に落ち込むというやり方にした。
これがうまくいっているかどうかはプリントして読み返してみないとわからない。プリントしてチェックという作業が待っているが、歴史小説も4作目でかなり慣れてきたので、大きな直しはない。フリガナを付けて、ワープロの打ち間違いをチェックするだけで終わるだろう。
編集者にいつ渡すとは言っていないし急ぐ必要はない。作品としては完成しているので、渡せばそれで次の仕事にかかれると思う。
さて、草稿が完成した段階で、この『清盛』という作品について振り返ってみる。
いつもそうだが、なぜこの作品を書き始めたのか、よくわからない。清盛については何も知らなかった。白河院の落胤であるということも、平家物語に書かれた噂、あるいはフィクションであると思っていたが、どうやら歴史学者も認めているようで、だとすれば落胤説をとった方が話としては面白い。
書いているうちに、清盛という人物のスケールの大きさがわかってきた。むろんこちらが、大きく書こうと意図していたということはある。しかし聖徳太子に比べても遥かに大きな人物だ。
これまでの作品では、持統天皇というキャラクターが、作者としてはいちばん好感をもっているのだが、好き嫌いで言えば、清盛という人物は、あまりいい感じはしないけれども、好感が持てる範囲内で大きな人物、という感じがする。
清盛を英雄としてではなく、一人の人間として描くということをこころがけた。女帝三部作にはオカルトの要素があるが、今回はリアリズムで押し切った。阿部泰親という陰陽師が出てきて預言をするくだりがあるが、これはまあ平安時代としてはリアルなものだ。
ひとりの不遇な若者であった清盛が、徐々にスケールの大きな政治家になっていくプロセスが過不足なく描けたと思う。どこが面白いと言われれば、個人と歴史の交差点の面白さ、というしかない。
恋愛もないし、戦略ゲームのような面白さもない。サラリーマンが読んでも会社で出世するためのノウハウにはならないだろう。なぜなら、清盛は白河院の落胤だからだ。
それでも人間としての面白さはある。われわれが『ハムレット』を面白いと思うように、王子さまの物語にわれわれは共感できる。ハムレットというよりも、このノートの中にも書いたように、マクベスを意識していた。
それは時子という女性に個性があるからだ。やはり『平家物語』の入水のシーンが印象的で、今回の作品でも、夢の中のシーンとして登場させた。平家滅亡の前に清盛は病死するので、清盛の視点では描けないシーンだが、熱病で幻を見るということで強引に挿入した。
4カ月間、実に楽しかった。この楽しさは、何ものにもかえがたい。
次は、『頼朝』を書きたいところだが、準備が要る。それに約束した仕事もあるので、来年ということになるだろう。
このノートはあとしばらく続ける。草稿のチェックが終わったところで、次のノートに移るが、校正などで考えたことがあればこのノートに記すことになる。
なお、しばらく小説にとりかかれないので、次の創作ノートのタイトルは夏休みの宿題として抱えている2冊の評論についてのノートとする。
「星の王子さまと法華経」というへんなタイトルになるが、サン・テグジュペリ論と法華経入門を書くので、こういうタイトルにする。
07/16
プリントをチェックしている。1章は導入部で、書き始めの頃は評伝ふうのものを書きたいというプランがあって、状況説明だけて終わっている。2章からはストーリーが動き始める。そのあたりの文体の落差をどうするかということで、多少の修正をした。
大幅な直しはない。やはり導入部は必要だ。小説の方法としては、いきなり事件を起こして動きをつける、というのは常套だが、下品になる。この作品も三部作の冒頭と考えているので、悠然とスタートさせたい。少しかったるいかもしれないが、本気で読んでくれる読者を相手にしたい。
読むのに時間がかかる。フリガナは最小限度にとどめて、必要なら編集部で追加してもらう。人名など、けっこう手間がかかる。パソコンによる修正作業で疲れたくなので、ルビはあとで考えることにする。
2章まで読んだ感じでは、うまくいっている。臨場感がある。清盛のキャラクターもいい。いい感じで仕上がっている。
長男がベルギーから帰り、次男も土日に帰ってきたので、久しぶりに家族4人が揃った。家族というのはいいものだと改めて思った。
07/17
本日は文化庁著作権審議会に出席したので、半日しか仕事ができなかった。これは自分にとっては雑用のごときものだが、著作権について真剣に考えてる作家は自分一人しかいないと思うと責任を覚える。作家というのは概ねエゴイストで自分のことしか考えていない。それは当然のことなのだが、例えばこの審議会のようなものは、誰かが出席して意見を述べないと、ずるずると作家の権利が浸食されることになる。そもそも著作権というものを主張して権利を確保したのは19世紀のバルザックだった。小説家はただ小説を書けばいいというものではない。小説家としての、さらに言えば人間としての責任と義務を果たさないといけない。
ということで本日は2章と3章の半ばくらいまでをチェックをしただけだが、うまくいっている。1章の文体も少しいじったので流れがよくなった。この作品は真ん中あたりで盛り上がるのだが、出だしは悠然としている。まあ、読者は少し我慢して先まで読んでいってほしい。
シドニー・シェルダンの小説なら出だしから派手な事件が起こるのだが、あんまりやりすぎると下品になる。
この『清盛』という作品は純文学ではない。しかし大衆小説でもない。純文学と大衆小説の狭間の作品を中間小説と呼ぶのだが、自分では中間小説でもないと思っている。では何かといえば、横光利一が夢見た「純粋小説」というものに近いだろう。
要するに、これは小説なのである。はっきり言って、いまの中間小説は文章のレベルが低い。読者はそれほどバカではない。あまりサービスしすぎてわかれやすい軽い文体を用いると、深さがなくなる。むろんコケ脅しの難解な文体を駆使するのは、書き手がコケであるといっていい。読みやすく、同時に格調みたいなものがあって、読んでいて気持ちがいい、というような文体を確立したい。
このペースでいけば今週中には手が離れる。週末に『法華経』の担当者が来るといっているのだが、締切の約束はしたくない。せっかく書き下ろし中心の仕事をしているのだから、時間に縛られたくない。
そろそろ夏休みの宿題に取りかかる準備をしないといけない。『星の王子さま』と『法華経』。これを同時に読むというのも奇妙だが、いま不意に気づいたのだが、この二つはとても似ている。星の王子さまも空を飛ぶけれども、『法華経』の菩薩たちも空を飛ぶ。もしかしたらこれを20世紀最後の夏の課題とするのは、運命みたいなものかもしれない。この二つの仕事はともに担当編集者の提案によって決めたもので、書き手の主体的なアイデアではない。まあ、運命みたいなものだろう。こういう仕事を大切にしたいと思う。
7/18
4章までのチェックを終える。並行してパソコンへの入力も進めている。4章は「保元前夜」という章で、緊迫感がある。とくに信西入道と清盛のやりとりはスリルがある。戦は始まっていないのだが、こういう言葉のやりとりによる闘いも、小説で描くと面白くなる。ここまではうまくいっていると思う。1章、2章は少しかったるいかもしれない。仕方がない。やはり保元の乱に至る過程が一つの山場だ。当初は保元の乱が最大の山かもしれないと思っていたのだが、書いた感じでは平治の乱も鹿ヶ谷も充分に盛り上がった。そのあたりをプリントで確認したい。
全然関係ないが、ラップトップパソコンを買いたいと思っている。いま使っているのは昔、大学がくれたもので、何とウィンドウズ3.1などというものが入っている化石のごときものだ。入っているのがワードなのだが、プリントチェックや入力には一太郎を使っている。軽いラップトップがほしいのだが、オールインワンのものは3キロはする。それだといまのと同じなので、モバイルふうのものにするか迷っている。
7/23
すべてのチェックが完了。これでついに完成。3月半ばにスタートしたので、4カ月かかったが、500枚を越えるボリュームのある作品になった。50歳代を代表する作品になったと思う。
草稿チェックに関して、とくに大きな問題はなかった。思っていたとおりの内容になっている。これでこの創作ノートは終わりにする。しばらく休憩して、8月から新たなノートを書き始める。
7/24
原稿を担当編集者に渡した。これで終わり。清盛のことはきれいに忘れて、次は『星の王子さま』に移行する。
8月から新しいノートを始めるが、ここで夏休みの作業のコンセプトだけ書いておきたい。
小説ばかり書き続けていくと脳が疲れるので、間にエッセーを挟むことにしている。小説としては、ハードな歴史小説と、ファンタジーふうの歴史ロマンを並行して書きたいと思っている。
歴史小説としては、『清盛』の次は『頼朝』、三部作の最終は『後白河』と考えているが、こちらは年一冊のペースで進みたい。
ファンタジーの方は、菅原道真を書く。その次は考えていないが、神武天皇が書けたらと考えている。
間に挟むエッセーは、文春ネスコで書いていた「謎を解くシリーズ」を夏休みの課題としていたのだが、今年は休ませてもらって、別の出版社から出す。書きたいテーマが二つあって、一つに絞れなかったので、二冊書くことになった。
テーマは星の王子さまと法華経。どちらも深い内容を、わかりやすく調理しなおして読者に伝えるというもので、簡単にいえば読書感想文みたいなものだ。だから、一ヶ月で一冊書ける。まあ、自分が生きた証として、この種の本も残しておきたいと思うし、読者との接点という意味でも大切な仕事だ。歴史小説が軌道に乗れば、この種の仕事は減らしたいとも考えているけれども、書きたいテーマがまだいろいろあるので、テーマがある限りは書いていきたい。
来年は「維摩経」と「生命科学」をテーマとしたい。それと、スペイン旅行の話。
とにかく今年の夏は、まず星の王子さまでスタートする。
詳しいことは、8月の創作ノートに書く。
以下は随時更新します